恨みっこなしの男の友情
僕の親友は彫刻のように美しく、全ての女性を虜にしてしまうルックスの男だった。
美しいのにどんな男よりも男らしい不思議な魅力の持ち主だという評判で、いつだってモテていた。
特に切れ長の鋭い目が特徴的で、その目で見つめられれば惚れない女はいないなんて噂が流れたこともある。
さらに僕の親友は、見た目だけではなく性格まで良いのだ。
幼い頃から知っている僕が言うのだから、それは事実だ。
幼いながらのわがままっぽい嫌な一面も見たことがないし、思春期ならでは反抗的な一面すら見たことがなかった。
勉強も一生懸命にしていた。
両親ともいつも仲が良かった。
僕の両親にも礼儀正しかったし、年の離れた弟にまで親切に接してくれた。
これはもう勝てっこないし、勝ちたいという意欲すら湧かない。
そもそも勝ちたいと思ったこともない。
それに僕の性格上、そして本当に仲が良いというのもあって、競ったり争ったりをしたくなかった。
とにかく僕らの絆は深かった。
共に過ごした時間で芽生えた情があった。
でも大学一年のあるきっかけを境に、僕は心の中でこっそり親友を『あいつ』と呼ぶようになった。
重要なのは心の中でだけで対抗しているという点で、表面上は変わらずに親友のままでいるというところだ。
本当の意味で親友でなくなるのを望んでいないからだった。
せめてもの抵抗ならぬ、せめてもの対抗。
本当の意味で恨みたくないから、心の中で『あいつ』と呼ぶくらいで抑えておくのが僕なりの努力だった。
「あれ? なんか悪役の方がマスクも衣装も格好良くない?」
大学二年の夏。
遊園地でのイベントが始まる前に“あいつ”が言った。
大学に入学してから、あいつと一緒にイベント会社でアルバイトを始めたのだ。
今回、あいつがヒーロー役で僕が悪役。
つまり、僕がステージ上であいつにやっつけられるというわけだ。
「涼子さんも観に来るって」
あいつは涼子さんのことを誘った。
自分がヒーローになるところを見せてアピールするという魂胆だろうか。
大勢の前でやっつけられる僕を、涼子さんに見せるという魂胆もあるのかもしれない。
でも、そんな魂胆は可愛らしいものだった。
涼子さんをイベントに誘うだけではなく、あいつにはもっと重大な目的があったのだ。
「今日、告白しようと思ってる」
あいつはそう言った。
僕らは親友だから、あいつはもちろん涼子さんに対する僕の想いも知っている。
知っているからこそ、正々堂々と伝えているのだ。
僕はこう返した。
「じゃあ僕はそのあとで告白するよ。少しでいいから、涼子さんとの時間を譲ってくれない?」
あいつは驚きながら
「マジ?」
と訊いてきた。
「マジ」
「マジか」
「うん、マジ。振られるのは分かってるけど、告白だけはさせてもらうよ」
僕も正々堂々とそう伝えた。
あいつは、当然のように納得してくれたらしく、
「分かった。っていうか俺が振られるかもしれないし⋯⋯まあ、気持ちは分かるよ。だって俺も、振られるとしたって絶対に涼子さんに告白したいと思うから。絶対に」
親友と僕の気持ちは同じだった。
僕だって、振られるとしても片想いをただ放棄するのは良くないと思っている。
もちろん、涼子さんを奪えるとも思っていない。
だからせめて、告白だけはしようと決めていた。
あいつのあとでいいから。
僕が親友を心の中で『あいつ』呼びするようになったのは、同じ人を好きだというのが判明したことがきっかけだった。
これまで好きな人は一度も被ったことがなく、被るどころか正反対のタイプを好きになった。
それなのに、僕の史上最高の恋とあいつの史上最高の恋がピッタリと⋯⋯一点だけが交わるグラフみたいに重なってしまったのだ。
正直、涼子さんが良い女過ぎるせいだろう。
一年前の夏。
涼子さんへの恋心を先に打ち明けたのは僕だった。
その時、あいつには恋人がいるはずだったから、僕はウキウキした気分で涼子さんの魅力なんかを語ってしまった。
語り終えたところで、あいつが言ったのだ。
「実は俺も好きなんだよね」
「へっ?」
僕はみっともない顔をして聞き返したと思う。
「涼子さんのことを好きになっちゃって、恋人とも別れた」
恐らく僕は、苦笑いになっていただろう。
小さい頃からいつも一緒にいる男が⋯⋯この世で一番ライバルとして遠ざけたいタイプの男が⋯⋯恋のライバルだと判明したからだ。
「マジ?」
この時は僕がそう訊いた。
「マジ」
「マジか」
「うん、マジ」
マジというたった二文字に対して、ゲシュタルト崩壊を起こしそうになったのを覚えている。
それ以降、僕らは親友を続けながらも、恋を叶えるためにそれぞれが必死になった。
どちらかに譲るなんて発想もなかったし、だからと言って相手を蹴落とそうとすることもなかった。
でも僕は、明らかに劣勢な状況に耐えるため、心の中では『あいつ』呼びをし、時には悪態を吐いてみたりした。
結局、慣れない『あいつ』呼びの罪悪感のせいで熱を出したりもした。(心の中だけのことなのに)
僕は余程、友情に熱い男なのかもしれない。
そして、今。
悪役の僕はヒーローを苦しめ、ステージ上から子供を怯えさせ、泣かせてしまった。
子供が泣き出した時には焦ったけれど、それだけ自分の演技が上手いのだと、どうにか役を放棄せずに済んだ。
涼子さんのことはステージに上がってすぐに見つけていた。
僕の好きな人であるからというのも理由だが、その可愛さのせいでもあるだろう。
芸能人にならないのが不思議なくらいの可愛さなのだ。
その可愛さを思えば思うほど、あいつの横に並べばお似合いだろうなという現実を思い知らされた。
ヒーローにやっつけられる場面になる。
心の中で、悪役の僕がヒーローをやっつけてバッドエンドにしてやろうかという妄想が一瞬広がった。
でもすぐに思い直す。
そんなものは子供たちに見せられないし、僕の道徳に反するそんな妄想を頭の中で広げてしまったことに反省しつつ、台本通りにヒーローにやっつけられた。
ヒーローに向けて、子供たちの歓声が上がる。
「大丈夫~?」
その時、小さな声が聞こえた。
女の子の声だった。
僕がこっそり声の方を見ると、
「ママ、可哀想だよー」
と先頭の席に座る女の子が、僕を可哀想だと言っていた。
「ヤバイな」
僕は、マスクの下で呟いた。
涼子さんに振られる未来が見えている今、やっつけられている僕を見て、
「可哀想」
という優しい女の子の言葉に、泣きそうになってしまったのだ。
ただタイミング的にちょうどよく、僕は最後にもう一度苦しむ演技をするとステージからはけていった。
「危ない危ない」
またマスクの下で呟いた。
涙が流れていないのを確認しつつ、マスクを外す。
ヒーローのあいつはステージ上で大袈裟な動きをしていた。
子供のためじゃなく、涼子さんのための舞いのように思えた。
相変わらず分かりやすい男だなとニヤけてしまう。
美しいルックスのモテ男のくせに、クール系とは程遠い、熱くて分かりやすい性格をしているのだ。
僕らは着替え、撤収作業を手伝い、バイトを終えた。
あいつが涼子さんに告白するまで、どこかで時間を潰して待っていようと思った。
僕はあいつと恋人になった涼子さんに、振られるのを分かりながら告白するのだ。
なんと切ない物語だろう。
でもそうしないと、あいつは僕に気を遣うだろうし、僕だってもどかしい気持ちを抱えたままになってしまうから仕方がない。
とりあえず適当に空いてるベンチに座った。
あいつは園内のどこで告白するのだろうか⋯⋯と考えようとしたところで、
「お疲れ」
と声を掛けられた。
それは、涼子さんだった。
「あっ、どうも。さっき観てたんですよね? 来るって聞いてました」
ステージ上で涼子さんを見つけていたとは言えなかった。
「ナイス悪役だったよ」
「ありがとうございます」
「隣いい?」
「あっ、ええと⋯⋯はい」
僕はあいつがどこにいるのかが気になった。
この短時間であいつが涼子さんに告白できたとは思えない。
「あの⋯⋯あいつ、涼子さんのこと探してましたけど」
言ってから、心の中だけの『あいつ』呼びが実際に声になってしまったことに気づく。
涼子さんは遠慮気味に笑った。
「珍しいね。そういう言葉遣い」
「あっ、すみません」
慌てて謝り、何も言えなくなってしまう。
「なんか、さっきの悪役が嘘みたい。カメレオン俳優っていうの? そんな感じだね」
「そんな凄いものじゃないです。でも、どうも⋯⋯」
褒められ、されに照れてしまう。
「話があって来たの。実は君の親友くんに大事な話があるって言われたんだけど、それは今度にしてもらったの」
「え?」
「私は、やっつけられた君に話があるの」
「僕に?」
「そう」
どんなに鈍感な人でも、この流れの行先は察知できるだろう。
僕は何だか臆病になって、
「やっつけられたのは、まあ、悪いことをしたから仕方がないですよ」
とふざけてみた。
「君がやっつけられてるのを見て思ったの。前から思ってはいたんだけど、さらに強く思った」
涼子さんは真剣だった。
「君のことが好きなの。私と付き合ってくれない?」
当たり前に振られると思っていたせいで、実感が全く湧かなくて困った。
夢みたいという感想だけが、ふわふわと浮かぶ。
「無理かな?」
「いえ。無理じゃないです。僕も涼子さんが⋯⋯いや、でも、どうして僕が。だって⋯⋯」
訊きたいことは男として訊いてはいけないことだと分かっていた。
でも、涼子さんにはすぐに分かったらしい。
「君の親友くんのことを言いたいの? 君の親友くんがモテ男だから、どうして僕を選んだのかって?」
「はい」
「見つめられれば惚れない女はいない、そんな瞳を持つ男だから?」
「そうです」
涼子さんはまた遠慮気味に笑う。
「私、あなたの女の子みたいに可愛い瞳が好きよ」
「それは褒めてるんですか?」
「褒めてるよ。でも、ごめん。女の子みたいっていうのは余計だよね。だけど本当に⋯⋯あなたの無垢な女の子みたいな、純粋な世界が広がるような瞳が好き」
「無垢って」
「いつも親友くんと自分を比べてきたの?」
「そんなことはなかったんですけどね。もちろん、格好良い男が隣にいることを気にしないと言えば嘘になるけど、これまでは全然」
「私、悪い女みたいなこと言ってもいい?」
「悪い女ですか?」
「うん」
涼子さんなりの悪い女の表現なのか、唇の右端を可愛く引き上げていた。
「言ってもいいですよ」
「君は私を好きになってから、親友くんにライバル心を抱いたんじゃない?」
本当に悪い女の発言だと思った。
でも、僕の目には良い女として映ってしまう。
「その通りです」
「こんなこと言って自分が嫌になっちゃう。でも、良かった。君は感情が表に出ないタイプだから、振られる覚悟で告白したの」
「僕こそ、まさか涼子さんに告白されるなんて」
「親友くんのあからさまな感じと違って、君は奥ゆかしい」
「女の人に奥ゆかしいと言われるのは、あまり嬉しくない気が」
「でも私は、そういうところを好きになったの。だから親友くんにも正々堂々と、私と付き合うことになったって報告してね」
「分かりました」
涼子さんがあいつを選ばなかったのが不思議ではあったけれど、そんな風に言ってくれるなら不思議に思うのをやめようと思った。
そして、心の中の『あいつ』呼びもやめようと思った。
涼子さんと付き合えたからって、威張ったり勝ったような気持ちになるのだけはやめようと誓いもした。
「涼子さん」
「ん?」
「好きです」
「私も」
「涼子さん」
「何?」
「あからさまな感じの親友でも、凄く良い人なんです。涼子さんが僕を好きになってくれたのだって、親友と過ごした日々があって、こういう僕になったからだと思うので」
「君⋯⋯良い人すぎるよ」
「僕は良い人じゃありません。だからお願いがあります。ここで待ってるので、行ってあげてくれませんか?」
涼子さんは綺麗な瞳を大きくする。
「まさか⋯⋯君の親友くんのところに今すぐ行けってこと? 告白の余韻の最中で?」
「はい」
「それって、告白されに行けってことだよね?」
「はい。そのあとでちゃんと僕から涼子さんとのことを話します。こんなの酷いって思われるかもしれないですけど、違うんです。僕らの間では、これは酷いことじゃないんです。約束なんです。振られるとしても告白するというのが」
「そう」
実際は分からない。
自分の告白よりも先に僕らが付き合うことになっていたと知ったら、親友は激怒するかもしれない。
僕とは違ってモテる男だから、プライドが傷つくかもしれないから。
でも、親友は言ったのだ。
振られるとしたって絶対に涼子さんに告白したいと。
だから僕は、親友が僕に言った発言に嘘がないと信じるためにも、涼子さんを親友の元に行かせることにした。
当然のように自分が涼子さんと付き合えると思っていたり、当然僕が振られるだろうと僕のことを見下していなかったと証明したいから。
それに、片想いをただ放棄するのは良くないことだから。
誰かが僕を酷い男だと言ったとしても、モテ男の親友に勝って調子に乗った奴だと罵ったとしても構わない。
「そんなの奥ゆかしくない」
と涼子さんに嫌われてしまったのなら、それでも仕方ない。
だって、史上最高の恋である涼子さんに好きと言われてもなお、素直に喜べない気持ちは全部親友のせいだから。
共に過ごした時間から芽生えた、情のせいだから。
親友が涼子さんに告白して振られることで、僕らは同じ人を好きになってしまった関係からただの親友に戻れるのだ。
恨みっこなし。
そこでようやく、モテる親友に勝とうとしなかったこれまでの僕が報われる。
恨みっこなしの男の友情が、ついに成立する瞬間が訪れるはずだ。
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