試験前日
「人でなしさん、経過報告なんですが、大丈夫でした?」
毛並みの良い狐耳をぴくりと動かし、受付嬢が身を乗り出してきた。彼女の尻尾が、机の後ろでゆらゆらと揺れている。
しかし、大丈夫という言葉のいかに便利なことか。なんとなく、相手を気遣っている風に見えるから便利だ。
文句ついでに、俺は人差し指の指輪を見せつけた。
「あは、犯罪者が付けられる奴ですね?それ」
そう、『罪科の導』という、教会が製造に成功した聖遺物である。保持者の位置を簡単に特定できる優れものであり、教会はこれを前科者の監視に用いていた。
指を切る以外の脱着方法はなく、外したければ聖人になるしかないそうで、指輪の装着を条件に自由行動が認められた。犯罪などしていないのに。
「なぁ、俺の人生どうしてこうなっちまったんだろうな?」
「心まで前科者にならないでくださいって」
傍から見れば受付嬢に絡む厄介者だ。しかし、俺は状況がどんどんと悪くなっていくようで悲しい。
「それで、人でなしさん、本日はどのような要件で?」
ふむ、おかしい、話は通じていなかったのか?と思考を巡らせていると、背後から声がかけられた。
「人でなし、要件は私が伝えよう」
と、ギルド長の声が響く。
彼女の説明によれば、教会がギルドに黒装束を寄越すのはやはり、やり過ぎだったらしい。ギルド所属の冒険者への示威行為として、ギルド側の面子を潰した形になったとか。
そこで、『聖人認定試験』の内容をギルドに一任することで、信頼関係の回復の手掛かりにしたいと。
有り体に言えば、審査員はこちらが寄越すが、試験の内容はギルドが決めてくれ。という何とも投げやりな話である。
俺が苦虫を嚙み潰したような顔で聞いていると、ギルド長は
「試験は明日だ、問題ないか?」
「ええ、まぁ」
俺にはルクスがいる。ヒモのようで心苦しいが、もうこの街に俺の味方になってくれそうな人はいないからしょうがない。主にルクスのせいである。
しかし、ギルド長も俺の不安気な顔に気が付いたのだろう。
「まぁ、人でなしなら、どうとでもなるさ。言っておくが、人でなしというのは蔑称ではないぞ?過酷な冒険者を生き抜くためには、いづれにせよ情は捨てなけれならないからな」
と大笑いをして去っていった。
彼女にも麗しい受付嬢時代があったと思えば、物悲しい気持ちになる。
俺は目つきの悪い獣人受付嬢が目に付いた。
「これが…あれになるのか」
「なりませんよ!」
受付嬢はテーブルを叩いた。
しかし………なんだ……
「その反応も失礼じゃないか?」
「た、確かに」
彼女の耳はしゅんと垂れた。
獣人受付嬢にささやかな罪悪感をプレゼントしていると、いよいよルクスがギルドに訪れた。彼女こそ俺の評判が地に堕ちた原因であり、俺の『人でなし』なる蔑称の由来なのだが、残念なことに、ルクスがいなければ日課のゴブリン退治もままならない。
運命とは得てして不合理なものである。
しかし、その日のルクスは少し違った。
何かを思い悩んでいたのである。
「どうしたんだ?ほら、大好きなゴブリン退治だぞ?」
「嬉しいです」
彼女の言葉はどこか拙かった。心ここにあらず、といった様子。
「どうする、今日はやめておくか?一日くらい野宿したっていいんだぞ?」
ゴブリン退治の報酬は二人で割れば、ちょうど一泊と三食分。しかし、ルクスは俺の大事な寄生先である。彼女の健康が第一だ。
しかし、ルクスは少し悩んでみせると、俺に向かって言った。
「いえ、行きましょう」
ルクスの不安が解消されぬまま、依頼は始まった。
ゴブリンと接敵することは数度、倒した敵は数十体。
順調どころの騒ぎではない、しかし、得も言われぬ不安感は次第に形をはっきりとさせていく。
ルクスは無傷で依頼をこなした。
これはおかしい。平時なら彼女は二桁は死んでいるはずだ。
「本当に大丈夫なんだな?」
ルクスは顔を背けた。元々、彼女は俺に嘘を吐かない。言いたくないことは、誤魔化すのではなく、黙秘する。そういった習癖がある。
今の今まで、彼女は出生や家柄といった彼女自身に関わることを答えなかった。
それと似たような反応だった。
彼女の足はぐんぐんと先へ急ぐ。
奥へ奥へと、焦燥を表すように、進んでいく。
木は一層に茂り、林は森林へと変わる。小鳥の囀りも止み、葉々の擦れる音だけが辺りを支配した。
不気味だった。
口を噤むルクスも、陰る空も、横切る小動物も、何もかも。
遂に、終点へと着いた。
簡素な造りのログハウス。
時の重みがのしかかるように朽ち果てたドアの残骸。中を覗けば、蜘蛛の巣に茸と、外の自然が入り込んでいる。しかし、仕立てのいい家具がズラリと並び、暖炉まである。外観に反して、建物の住人はかなりの資産家とみた。
場所という一点を除けば、避暑地に立った夢の家のようである。
いや、崩れ落ちた誰かの夢という表現の方が適切かもしれなかった。
ルクスはこちらへと向き直る。
暗い森の中で、彼女の蜂蜜色の眼が猫のように光っていた。
不思議と不安はなかった。
「ここは私の家です」
俺は言葉が出なかった。
彼女の言葉は、あまりにも真に迫っていた。
ただ、現実味だけがなかった。
家は古びていて、住めるような状況ではない。
それはもちろん、生活感だってない。
俺の困惑をよそに、ルクスは俺に蠱惑的な笑みを浮かべていった。
「私が死んだのって、もう何十年も前なんですよ?」
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