異端審問
「特級奇跡の使用が確認された。よって、聖人認定保護規定により、捕まえさせてもらおう」
黒衣の頭領の声が場を支配した。
白昼堂々、捕まえるなんて云えるのはこの国の宗教がすこぶる強いからに他ならない。自由も人権も、神の前では塵芥に等しいのである。
しかし、俺自身、おとなしく捕まる気はさらさらなかった。
ネクロマンサーの力は、教会には眼の仇にされている。死者を操るという行為は、それだけでかなりの冒涜だ。たとえ、聖人だとしても、判決の槌を避けることはできないだろう。
しかし、このまま黙っているのも怪しい。
「ルクス!」
別れたルクスを呼んでおく。
はったりを利かせるというのは重要だ。場を膠着させ、思考を巡らせる時間を稼げるだろう。
しかし、ん?気づけば、見慣れた銀髪が、来てないか?怖!来てるよ。
やはり、この世界最大の謎はルクスだ。
「はい、神様!」
ルクスの言葉に怪訝な顔をする奇跡官ども。
俺は何とか取り繕う。
「彼女の語尾は、神様、なんだ。信仰心が強すぎる故のものだ。気にしないでくれ」
黒づくめの男は―なるほど……これほどの信仰心なら………特級奇跡をも、と呟いている。素直すぎるだろ。
「違うよ?」
ルクスが首を傾げる。
「神様というのは、この人のこと」
俺は思わず目を閉じた。余計なことを、まったくもって余計なことを。
呼ぶべきではなかったか、しかし、呼ばずとも来てくれる気がする。
彼女が俺に抱くのは果たして好意なのだろうか?悪意でないことを願うばかりである。
「神様、安心して。一人一人確実に刺し違える」
なんとも不安な一言とともに、ルクスは一歩を踏み出した。
場を諫めたのは、一人の老婦である。
「教会の連中だって?、ここでの狼藉は許さないよ」
ギルド長を務める、ジュディー・ジョーンズの声が響き渡る。
女傑然とした彼女の声に、一瞬の静寂が訪れた。
「確かに人でなしは、人でなしだ。だが、だからといって、まだ何の罪も受けていない人でなしを捕まえる権利がどこにあるのかい?ここはギルドだ。神様の目だって届かぬ神外地域さ」
ジュディーの言葉には重みがあった。この街で『神外地域』と認められているのは、ギルドと闇市場、そして娼館だけだ。教会も手出しを控える特権を得る代わりに、ギルドは治安維持の任を負っている。一介の奇跡官程度が、その暗黙の了解を破るとは考えにくい。
事態は混迷を極めた。
全員が、皆、狐につままれたような面持ちだった。何か噛み合っていない、ただそれだけが分かったのである。
「神様は…むぐっ」
まずはルクスの口を抑えた。これで、これから起こるであろう問題の八割方を解消できただろう。
俺は奇跡官へと目配せをした。まず、聖人認定保護規定とやらが何か、分からなければ話は進まない。
頭領は少々狼狽えながらも、一度わざとらしく咳をすると、語り始めた。
「ええと、一昨日の話だ。神様を自称するバカが見つかったとのことで、異端審問が行われた。しかし、これといった企みは見つからず、ちょっとした夏バテだろうと判断された」
話も半ばというのに、既に視線は俺の方に集まっている。
異端審問というのは、それだけ危ない奴の証なのだ。
しかし、ルクスまで俺を胡乱な目で見つめるのは解せない。お前のせいだ。
「昨日には、その男を信奉する女がいるということで、少々捜査をしたという。その際に、死者の蘇生が確認された。時刻は昼、ゴブリン退治にて、ゴブリンと相討ちになったはずの女が起き上がった。遠目からで確かではないが、治療ではなく蘇生であったそうだ。これが異端審問会から挙がった情報になる」
その言葉に受付嬢は何度も頷いた。確かに、俺はゴブリン退治に出向いていた。
今思い返してみても、悪夢のような出来事だった。
ネクロマンスの調整が効かなくなったのである。気がつけば、死に戻っては蘇生を繰り返すルクスと、同じように生き返り続けるゴブリンによる不毛な百回戦が始まっていた。
結果はルクスの勝利に終わった。死の恐怖に耐えられなくなったゴブリンによる切腹自殺により、全てが済んだ。彼の眼は澄んでいた。
うん、見られていたのか。
「そこで、本日、我々が改めて捜査を行ったところ、確かに蘇生が行われていた。『蘇生の奇跡』は特級奇跡として、秘術指定されている。使えるものは聖人として登録され、我々の監視下に置かれる必要がある。しかし、事前調査にて、男には人格面に多大なる問題があるということが分かった。従って、聖人認定保護規定という条例に従い。確保を優先することに決めたのだ」
さて、誰が悪いかは決まったようだ。
俺はニヒルな笑いを浮かべ、両手を差し出した。
頭領は気まずそうに、縄をかけた。
「危険人物の管理は我々の専門外でね」
奇跡官の言葉通り、俺は教会の地下、異端審問会の管轄下へと移された。
では、最初から異端審問会が捕まえればいいじゃないですか、という正論には皆、顔を逸らしていた。
煩わしい手順が必要になるあたり、日本の行政機関のようだ。
教会の地下、細い蝋燭の明かりだけが揺らめく中で、俺はマルグレーテさんと向き合っていた。
彼女は異端審問を務める、非常に真面目な女性である。
「で、ここに来たわけ?」
異端審問官のマルグレーテさんは、ため息まじりに言った。彼女の前で正座する俺は、今や風物詩となっている。実のところ、これで通算三度目なのだ。異世界に来て三日目であることを考えれば、皆勤賞である。
「物騒な護衛付きだったわね」
「いや、これには訳が」
「ええ、いつもどおり『訳がある』のでしょう。今日はどんな『訳』かしら?昨日は『死体遺棄に見える状況には訳がある』、一昨日は『生贄の儀式に見える状況には訳がある』だったわね」
マルグレーテさんのもの言いたげな視線に、俺はうなだれてしまう。
見かねた彼女は机の引き出しから、クッキーの缶を取り出した。俺のための定位置ができている。なんだかんだ言って、マルグレーテさんは優しい。
「実は今回は本当に………その………あるんですよ、理由が、主にルクスが」
彼女の微笑の前では、後ろめたいことを全て見透かされたような気になってしまう。後ろめたいこと、特にネクロマンサーとしての力は特にだ。現状はルクスしか知らない秘密も、マルグレーテさんになら、と思ってしまう。
冷静になれ。彼女は教会側の人間だ。そんなことはできない。
俺は大きく息を吸って、彼女と視線を合わせた。
途端、気恥ずかしくなって、クッキーへと視線を落とした。
「で、ルクスって子は今どうしているの?相変わらず元気?」
ルクスは道端で倒れ伏していたところを蘇生、もといネクロマンスしたところ、恩を感じて着いてきたのである。彼女は神出鬼没だ。いると思えばいないし、いないと思えばいる。しかし、居て欲しいときには必ずいるのだから不思議という他ない。
だが、今はいない。
「さぁ?」
マルグレーテは頭を抱えた。彼女は聖職者らしい慈悲深い微笑みを浮かべ、こう言った。
「神を自称することは神への冒涜。これは鉄則よ。でも、今のあなたの問題はそこじゃないでしょう」
問題?少々恥ずかしがり屋な点を除けば、俺は善良な一青年だ。
「お上から通達が来てる。あなたを聖人認定試験に送るってね、まぁ、私たちの管轄ではないけど」
「はい?」
「昨日までは、犯罪者予備軍、明日からは聖人様予備軍、一体なにをしたわけ?」
「全く、身に覚えがないですね」
「まぁいいわ、異端審問終了、あなたは立派な異端分子よ、聖人認定試験、ガンバってね」
三度目とあって、異端審問は形だけのものとなった。俺の周りからまともな人が減っていくようで悲しい。マルグレーテさんまでこんな調子である。
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