改1話 借り物の人生スタート

 自分以外に誰もいない、女子高校生らしい部屋でひとり。

 深呼吸をして、鏡の前でそっと口を開く。


 「悠真くん、ずっと大好きでした。私と付き合って下さい」

 

 頼み込むように頭を下げ――言い終えてすぐ我に返る。

 

「……はぁ。1人で俺何やってんだろ。鏡に向かって告白とかさ」

 

 ため息をつきながら目を逸らす。

 異性の部屋に入るのは、30年近く生きてきて初めてのことだった。


 上に何も置かれていない整理された机、隙間なく本が詰め込まれたベージュの本棚、真っ白なカーペット。

 ベッド脇には猫のぬいぐるみが三匹、仲良く肩を寄せ合って並んでいる。

 

 本来なら喜ぶべき出来事なんだろうが、今はそんな気分じゃない。

 鏡の中の自分――肩にかかる艶やかな黒髪、澄んだ黒い瞳。

 

 「まだ信じらんないけど。これが、俺なんだよな」

 

  そう、俺は立場も容姿も、初恋の人になっていた。


  春川美波はるかわみなみ

  明るく優しく、誰にでも分け隔てない、憧れの人。

 

 本来の俺は見た目も中身もごく平凡な一般的サラリーマン。

 だというのに今の俺は、姿に加え声までもが十数年前の初恋の人の生き写し。

 

 「んー……やっぱ試練、やらなきゃだよな。そうしないと元に戻れないって話だし」

 

 その場から離れ、ベッドに背中からぼすんと倒れ込む。


 天井に向かって手を伸ばし、開いた指先をじっと眺める。

 細くて小さな、自分のものとは思えないほど華奢で繊細な指。

 この部屋で目が覚めてからずっと変わらない、異常な現実。


 なんで、こんな事になったんだか。

 

 俺は思い出す。

 信じがたくて、不可解で、まるで冗談みたいな出来事の連続。

 俺の人生が、根本から変わった昨夜のことを――


 ◇

 


 「待てって! な、なんで俺の名前を知っているんだよ。それに、この体はなんなんだよ!?」

  

「その身体は、あなたの役割を全うするために必要な器でございます。簡潔に言えばあなたは今、あなたの恋した少女になっているのです」

 

 まだ幼さの残る透き通った声で、銀髪少女はとんでもないことをやけにあっさりと告げてきた。


 世界から音が消えたかのような錯覚。目の前の少女の唇だけが動き、意味をなさない言葉の羅列が、ただ鼓膜を滑っていく。


「まずは何をするか、ですが。これからあなたには1年間、過去の世界であなたの恋した少女として役割を全うしていただきます」


「……は? いやいや、どういうこと?」

 

「ご安心ください。役割の内容は、生死も関わらない簡単なものです。期限内に、かつての己——すなわち、過去の“あなた”と恋人に――」

 

「だから何を言って……って俺と恋人に⁉ ほんとに何言ってんの⁉」


 そう甲高い声で凄んでも、彼女の表情は乱れない。

 

「もちろんあなたがやらないのも自由ですけど、その場合は元の世界にも男にも、もう戻れません」


「えっ。戻れないって……て、現代? 俺今から過去に飛ばされんの!?」


 やばい、どうしよう。

 ただならぬことが起きてるってのは分かっていたけど、想像以上にもほどがある。


「お忘れですか? それを望んだのは、あなたです」

 

「ち、ちなみに。今からキャンセル出来たりとかは……?」


「既に主様が決定されたことです。では、ご健闘を」


 そうきっぱりと断ち切るように言われ、次の瞬間、意識は闇に沈んだ。 

 □

 

 目覚めると、この部屋のベッドの上だった。

 鏡を見て、周囲が大きく見える理由も、声が高くなった理由も理解した。

 俺は美波さんになっていたのだ。

 

 枕元の猫の人形をひとつ、俺は両手で上に掲げる。

 それだけの動きで長い髪が目にかかる。


 払いのけ、意味もなくぼやく。

 

 「やっぱどう考えても出来る気しねえよ。なあ、猫吉」

 

 願いを叶えるには、越えねばならない2つの壁がある。 

 ひとつは過去の俺――女に話しかけられるだけで逃げ出すビビリ。

 じっくり時間をかけて、女慣れさせなければ攻略はまず無理だろう。


 もうひとつは俺自身――あの頃の自分が大嫌いで、どうしても好きになれない。

  


 あまりに険しすぎる。

 

「って、もうこんな時間かよ。ひとまず着替えるか」

 

 そろそろ学校に行く時間だ。俺はベッドから跳ね起き、鏡の前へ向かった。

 

 パジャマのボタンをぷちっと外す。その瞬間、我に返る。

 

 これを全部外せば、美波さんの素肌が――。


 1つ、2つ。手を震わせながら、ゆっくりと最後のボタンを外す。

 そして、そっとパジャマをセミオープン。

 

 「ふぅ。これは反則だろ……」

 

 美しすぎて息を呑む。

 そこにあったのは、まごうことなき絶景。

 

 引き締まっているわけでもないが、無駄な肉もない。触れるのがためらわれるほど、綺麗な色白のお腹。


 青く平たいブラジャーは、とてもじゃないけど外せない。

 

 日和った俺は、パジャマのボタンをそのまま閉め直した。


「よし、着替えは後回し! とりあえず顔洗ってこよ!」

 

 こうして、俺の美波さんとしての生活が始まった。


 中身が俺とはいえ、見た目は俺基準では最上級。

 人気もあるし、あとは性格さえ取り繕えば、最高の学園生活が送れるはずだ、と。

 

 過去の俺と付き合うって目標が無けりゃ、文句なしに最高のシチュエーションなんだけど。

 

 ――まだこの時の俺は、想像すらしていなかった。

 たったの数時間後、とんでもない恥じらいを受けることになるなんて。



 

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