過去に戻った俺、長年片思いしていた初恋の子になりました。

霧うるみ

改プロローグ

 深夜まで残業した帰り道。

 なんで俺、今こんな人生送ってるんだろう──そんなことを考えながら俺は孤独に地面を見つめて歩いていた。


 高校時代、俺は美波さんに恋をした。

 長い黒髪と優しい瞳。外見も中身も、誰もが憧れる高嶺の花。

  

 初恋のきっかけは、他の人からしてみれば些細なことなのかもしれない。

 俺が高校に入学して、一年目のことだ。

 体育の授業中、俺はバスケットボールを取り損ねて、隣のコートに転がしてしまった。

 慌てて拾いに行くと、彼女は練習を中断して真っ先にボールを拾ってくれて、こっちに投げる。そして、にっこりと笑いかけてくれた。


 ──その一瞬で、俺は彼女の何もかもに恋をしてしまった。


 けれど結局、一度も想いを伝えられないまま卒業。

 あの時、もし告白していれば。今でもそんな後悔ばかりを繰り返している。


 噂では、卒業時点で彼女は誰とも付き合っていなかったらしい。

つまり、俺にもチャンスはあった。

 

 どうして俺は、到底叶い得ない恋をしてしまったのだろう。 

 未だ俺をあの笑顔が縛り付ける。その結果が、未だ一人きりの夜。


「あ〜あ、いい加減もう忘れた方が……うわっ!?」

 耳元で虫の羽音。驚いて顔を上げると──


 「……鳥居?」


 見間違いかと思った。

 暗闇の中に朱色がやけに鮮やかに溢れている。

 月光を受けて、一層やけに艶めいて見えた。


 気づけば周囲は大木だらけ。さっきまでの喧騒は影も形もない。

 湿った土と苔の匂いが鼻をつき、夏の夜気とは違う冷たさが漂っていた。


 おかしいぞ。こんな場所に神社があるなんて話、聞いたこと無い。

 

 まるで夢と現の狭間に迷い込んだような、おかしな感覚。

 灯篭に誘われるまま進むと、蛇の御神仏の御前。

 そのひざ元……蛇だから胴元か。には、苔むした木肌の古びた賽銭箱。

   

 正月ですら神様に賽銭を捧げたことなんてないのに、神秘的な空気に当てられつい小銭を5枚放り込む。 


 ──その瞬間、境内の気温がわずかにまた下がった気がした。


 拍手を二度。ぽたりぽたりと心に溜まっていた悔恨の雫が、ひとつずつ喉元まで浮上する。

 

 みんなを拒んだ未練。

 かっこつけて、誰とも話そうとしなかった俺、今考えれば痛々しい。

 

 喧嘩別れした、唯一の親友だったあいつと仲直りできなかった無念。

 あのとき、たった一言でも謝れていれば、あいつはまだ側にいてくれただろうか。

 

 いや、それよりなによりも。


 深く頭を下げながら、願いをそっと唱えた。


 ――どうか俺を、あの頃に戻してください。


 

 ……が、何秒待っても何かが起きる気配はない。


「ま、分かってたけどさ。そんな都合よくいくわけないよな。はあ、帰ろ。貴重な睡眠時間が――」


 いつもの日常に戻ろうと振り返った瞬間、息が止まった。 

 来たはずの細道が、闇に塗りつぶされて消えている。


 静寂。虫の声も、風もない。

 耳の奥で自分の鼓動だけがうるさく響き、肌に触れる空気が妙に重くなっていく。


『訪れし者よ。願いは確かに承った』


 「……へ?」


 直後、魂が肉体から引き剥がされるような浮遊感が全身を襲った。

 腰の鈍痛が消え、肩の重さが霧散する。


 視界が低くなる。さっきまで見下ろしていた灯篭が、今は同じ高さに。

 

 首筋に触れるしなやかな髪が揺れ、鼻先をくすぐる甘い香り。

 それはどこか懐かしい匂いだった。



 胸のあたりがむず痒い。シャツのすぐ下で、何かが熱を持っている。


 もしかして、これって……。


 あり得ない、外れてくれと願いながら俺は軽く触れた。


「んぅっ……⁉」


 確かめるように掴んだそれは、指を通じて脳を直接揺さぶってくる。

 つい熱がこもった声が漏れ、男にはあり得ない弾力と柔らかさを返した。

 


「な、なにこれ……? えっ⁉」

 

 咄嗟に口を抑える。 

 転がるように口から出たのは、少女のような甘い声。

 これまた聞いたことのあるようなそれは、俺の予想を裏付ける。


 頬をつねる。痛い。夢じゃない。

 

 「なんなんだよ、これ!? どうして……!」


 足が震える。呼吸がうまくできない。体中から冷たい汗が滲む。

 今まで感じたことのない恐怖が、背骨から全身に伝染していく。

 

「嘘だろ、なんで、なんで――」


 崩れ落ちそうになっている中、追撃のように鈴のような声が響く。


「お待たせしました、悠真様。入り口で見た時よりずいぶんとお可愛いお姿になられて」


「っ!?」


 声の方向に振り向けば、白と紅の巫女服を纏う少女がそこにいた。

 月の光で輝く銀の髪を揺らす彼女は、見た目は人間のようでいて、それでもどこか人ならざる雰囲気を纏っている。


 疑問に対する返事はなく、やがて少女はこちらを青い瞳で見据えながら続けた。


「では、これからあなたの願いを叶えるための説明を始めます」

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