第2話 令嬢(悪)は疲れる

「……癒されたい」


高笑いは何処に行ったのか。沈んだ顔でラインは虚空を見つめている。


そんな表情であっても磨き抜いた令嬢スタイルのために様になっているのが悲しい。


「今さらだけど、令嬢(悪)って何なんだよ。なんで成人した段階で貴族入りを目指して悪人退治をしなきゃならないんだよ。隣人みたいにパン屋とか出たら良かったのに」


酒を優雅に煽りながら管を巻くが、下品さはない。


「すぅ……はぁ……」


魔法で加工された葉巻を吸う。本来ならば令嬢に煙の匂いは御法度だが、この特注の葉巻は男令嬢仕様なので匂いも痕跡も残りにくいのだ。ちなみに香りは果実とハーブである。


「この一服だけが味方だ……」


 さらに脱力するライン。これ以上だらけると品位を落とすギリギリまで気を抜いていた。


「聞いたよ、また捕まえたんだって?」


 扉を開けて入ってくる者が1人。


「ええ、3人組でしてよ」


 瞬きの間に姿勢を正したライン。筋金入りである。


「水臭いよ、ボクの前では令嬢をやらなくて良いよ」

「……それもそうか」


 入ってきたのはパンを袋いっぱいに詰めたパン屋風の人物だった。


「ほら、焼きたてだよ」

「いつも悪いな、いくらだ?」

「いらないよ。ボクが君からお金を取った事なんてあるかい?」


 バチコーンとウインクを決めるパン屋。整った顔から繰り出される必殺技であるが、ラインには効かない。


「流石に悪いと思ってきたんでな」

「良いんだよ。ボクは君に手作りのパンを食べてもらうのだけが生き甲斐なんだ」

「パン屋に命かけすぎじゃないか」

「令嬢に命かけてる君に言われたくはないな」

「そりゃそうだ」


 笑い合う2人。


 このパン屋の名前はブレ・イースト。ラインのお隣さんである。というか、ラインのお隣さんでなかった時間がない。


 生まれた家、教育機関、現在の住居、そのどれであってもラインの隣にはブレがいた。


「君がいればそれで良いんだよ。ボクは」


 蕩けるような笑顔のブレには裏の顔がある。それは男令嬢後援会の会長である。


ラインの了承を受けていないファンクラブではあるが、数百人の会員数を誇っている秘密組織であった。


後援会が自らに課している役割はただ1つ。男令嬢が健やかにあること。ただそれだけである。

会員は、それぞれの権限と道徳に基づいて男令嬢を陰日向にサポートしている。例えばそれは、ちょっとだけ安く生活用品を提供するとか、報酬に少しだけ色をつけてあるとか、そういうものである。


ゆえに、普段の生活においてラインが受けている恩恵はそこまで大きなものではない。一般庶民を100としたとき、ラインが101~103くらいになるくらいのものだ。身体を張って治安維持を始めとした活動をしている見返りとしてはささやかなものと言える。


しかし、ファンクラブの真価、というか狂気が発露するのはもっと別のところである。男令嬢という物珍しさに加えて、死に物狂いで身につけた気品はある種の癖を強烈に刺激する。つまるところ、誘拐・調教・奴隷化などを目論む輩が一定数いるのである。ラインの身体能力やそれに基づく戦闘力を考慮すれば、そこらの相手に負ける可能性などない。心配の大部分は杞憂に終わるものである。


だが。


だが、しかし。


ファンクラブはそれを許さない。


そもそもの話、街を守って悪人を退治する、美しく優雅な麗人という存在は半ば神格化しており、今までの実績も相まって表に出さないが熱狂的な支持を得ているのだ。つまりはラインを狙うという行為は信仰対象へ対する冒涜を企てる事となる。


冒涜の兆候を察知した瞬間からファンクラブはその様相を変える。入念な下調べのうえで行われる警告から始まり、真綿で首を絞めるようにじわじわと追い詰め、最後の一線を越えたと判断されたタイミングで断罪されるのだ。


断罪後は極秘に処理され、初めからそんな事はなかったとされる。この最終段階まで行くものはわずかだが、いる。


さて、そのような事ができる会の会長がただのパン屋だろうか。


否。


ラインは一生隣に居るつもりの隣人が何の天啓を受けているかを知らない。


巧妙に隠されたその役割の名は。


魔王。


人類の脅威と化し、間引きと発展を促す暴力装置である。だが、魔に類するものを従えるべく与えられた能力をフル活用してブレは推し活を満喫していた。


「ライン、君は世界を救っているんだよ」

「お前は時々何を言ってるか分からないな。せっかくだからパンを作る要領で俺の身体も揉んでくれないか」

「いや、ボクは推しとは適切な距離を保ちたい派だから」

「なんだそれ」

「いや、こっちの話だよ」

「まあ良いや、今日はもう終わるから帰って寝るわ」

「そっか、お疲れ様」

「お前だけだよ、俺の事を労ってくれるのは。ありがとな」


 軽くハグをしてから出ていくライン。扉が完全に閉まったのを確認してからブレは崩れ落ちた。


「……は、はぁ……むり……良い匂いしたし、思ったよりギュッと締まった身体の感触がした……不意打ちはずるいよ……」


 ちなみにブレに性別はない。厳密には無性状態を維持している。理由は1つ、無性状態でなければ即座にラインを襲って独占してしまうからである。


「眠いですわ……」


 男令嬢モードに戻り目をしょぼしょぼとさせて歩くライン。ブレの理性という薄氷の上でその生活が成り立っていることに気づくのはずっと後の事である。



 





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適正クラスが令嬢(悪)になってしまった男冒険者は今日も無理して高笑いをする。 @undermine

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