side リリィ(エリオン王国部隊長)
リリィは、エリオン王国の精鋭部隊を率いる隊長。
数えきれない戦場を駆け抜け、死と隣り合わせの修羅場を幾度も潜り抜けてきた。
その中で鍛えられた直感は、彼女の何よりの武器だった。
強敵の気配を察し、生き延びるための最善を選ぶ。それが、彼女と部隊を幾度も死地から救ってきた。
──だが、今。
目の前に広がるのは、直感すら役立たない地獄。
その場にいるだけで心を押し潰されるような、救いのない絶望だった。
部下たちは必死に食らいついていた。
剣を振り、槍を突き、魔法の障壁を張り、命を賭けて抗っている。
限界などとうに超えて、それでも歯を食いしばって立ち続けている。
だが──魔族は強すぎた。
常識を超えた膂力、鋭すぎる爪、悪夢のような存在力。
それらが兵士たちを次々と切り伏せ、蹴散らしていく。
「やめろッ──!」
叫んだ瞬間には遅かった。
若い兵士が雄叫びとともに突撃し、次の瞬間には甲冑ごと引き裂かれ、地に転がった。
また一人。
声が、届かない。
胸が裂けるように痛む。きしむ音が聞こえた気がした。
それでも目を逸らせない。逸らした瞬間、もっと多くの命が消えるから。
別の兵士が駆け出す。
その背は、勝つためではなく死に場所を求めているようにしか見えなかった。
そして、吹き飛ばされ、鈍い音を立てて地面に叩きつけられる。
「このままじゃ……全滅する……」
歯を噛み締めすぎて軋む音が鳴った。
悔しい。怖い。けれど、止まれない。
自分が崩れれば、すべてが崩れる。だから、声を張り上げ続けるしかなかった。
「踏ん張れッ! 一歩でも退くなッ!」
部下たちの命を、少しでも繋ぎ止めるために。
だが、その叫びは虚しく戦場に溶けていき、命が消える音にかき消された。
この世界では、人は神から授かる「ギフト」を頼りに生きる。
それは確かに希望だった。だが、戦場ではそれだけでは足りない。
本当に必要なのは――「存在力」。
命そのものを削り、燃やす覚悟。
リリィはその覚悟を持っていた。
ずっと、自分の命を削って戦い続けてきた。
けれど、もう限界だった。
呼吸が荒い。視界が揺れる。存在力の枯渇が心身を蝕み、これ以上戦うには命を丸ごと差し出すしかない。
それでも、目の前で部下が散るのを見ると、自分の命などいくらでも安いと錯覚してしまう。
「私は……足りないのか……力が……」
その瞬間だった。
戦場全体を押し潰すような“圧”が襲った。
存在力をも超えた、説明のつかない“何か”。
直感が全身を震わせ、思わず振り返ったリリィの目に映ったのは――
一人の少女。
……いや。少女と呼ぶのは正しくない。
武器も構えず、ただ戦場の中心に立っていた。
まるで、この地獄と無関係であるかのような軽やかな足取りで。
しかし、その姿を見た瞬間、周囲の魔族がピタリと動きを止めた。
下級の魔族が近づいた――次の瞬間。
彼らの身体は、前触れもなく塵へと崩れ落ちた。
リリィの心臓が凍りつく。
“存在力”なんて次元ではない。
そこに立つだけで、戦場の均衡をねじ伏せる気配。
彼女を中心に、世界そのものが軋んでいる。
「……誰……あの子……?」
混乱、恐怖、理解不能。
それでも、銀の髪が月光のように輝くのを見た瞬間、目が離せなくなった。
血と土と絶望にまみれた戦場において、あまりにも異質で、あまりにも神秘的。
リリィの記憶が過去を呼び覚ます。
かつてこの国を救った「光の七騎士」。
幼いころから伝え聞いた英雄たちの物語。
――けれど、あの少女は違う。
英雄たちすら凌駕している。
「人間じゃない……あれは……」
本能が叫ぶ。
敵か味方かもわからない。
だが胸の奥がざわつき、これまでにない感情が込み上げる。
恐怖か。
それとも――希望か。
わからない。けれど確かに、何かが変わろうとしていた。
「まさか……神の遣い……?」
口にした瞬間、自分でもその言葉の意味がわからなかった。
戦場を知るほどに神は沈黙し、祈りに応えたことなどなかった。
だが、今目の前にいる存在は奇跡そのものだった。
膝が震える。喉が焼ける。声が出ない。
「違う……でも……怖い。神よりも……」
神ではない。人でもない。
自分たちが触れてはならない“何か”。
背筋をなぞる冷気が這い上がる。
それでも目を逸らせない。逸らせば取り返しのつかないことが起こる。
少女の銀髪が風に揺れた。
そのわずかな仕草だけで、世界の空気が震えた気がした。
息が詰まる。胸が熱い。
ここから何かが始まる――戦場だけでなく、この世界全体を揺るがす“何か”が。
「……どうして、今ここに……」
問いは宙に消え、答えは返らない。
けれど、その存在が敵か味方かを知ること。
それだけが、今のリリィに残された唯一の希望だった。
無意識に、一歩を踏み出す。
恐怖を押し殺し、希望にすがるように。
ただ、その真実を確かめるために。
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