第9話 執行役員の佐々木への復讐とその経緯を緑子に説明
あの事件から十年が経ち四十五歳になった美夏は現在、総務部に移り自身の実力で部長に昇進した。その日も親友の緑子とバーで会っていた。
美夏は今回の一人で渡り合った佐々木執行役員のセクハラ告発について経緯を話した。
「実はあの山下夢佳が私の部下になっていて、彼女から相談を受けたの」
「あの山下課長が今は何なの?」と緑子。
「課長職のままよ」と美夏。
「出世が一番早かったのに、どうしてなのかな?」と緑子は怪訝そうに訊いた。
「
「そんな事があったんだ。ま、社内では噂は出ていたけどね」
「それなのに、部次長に三期下の他部署の女性がなったのね。その女性は前CEOの親類で、佐々木は近く子会社のエネルギーのCEOに就任するらしいとの噂が飛び込んで来ていて、
「そんなに長く」
「そう、その後、佐々木執行役員に何度も連絡したけど一度も返信を貰えなかったらしくて私が相談を受けたの」と美夏。
「それは酷いわよね」と緑子。
「佐々木はエネルギーのCEOになる代わりに、
「彼女の気持ちになれば、そうなってもおかしくないわよね」と緑子が納得したように言った。
「以前に緑子が佐々木執行役員からのレイプの写真を撮ってくれていた事はいつも頭にはあったんだけど。私もそうだったけど、あの当時の女性課長職を全て佐々木の毒牙に掛かった事が職権乱用でどうしても許せなかったの」
「本当にそうよね」
「でも自分の事を問題にするのは、勇気がなかったのは情けないんだけど……、あれから何度もいつやろうかと自問自答したけど、結局は忙しさにかまけて動けなくて……」
「仕方ないわよ。あの音声と画像をコンプライアンス部に出したら、部の全員の目に晒されるんだもの」
「そこが私もネックだったの。だから、結局は根性がないんだけどね」
「美夏の気持ちは良く分かるから、そんなに卑下しないでよ」
「うん。ありがとう。そして佐々木は当時の
「それは卑怯よね」
「課員たちも、『課長は女の武器を使ってまで出世を勝ち取ろうとしていたのですね。あの噂は本当だったのですね?』と陰口が聞こえてくるようになって、新入社員にも直接、『課長! ダメですよ。セックスで地位を得ようなんてしたら!』と直接イヤミを言われた事もあったらしいの」と美夏。
「それは酷いわね」
「セクハラで訴えたのは、男性優位の社会の中に置かれた、弱い立場の部下を守る為だったけど、佐々木に復讐して、職場で陰口を叩かれて危うくなった彼女の状況から生きる道を見出して上げようと必死で考えて実行しただけで、他人の為だからできたんだけどね」と美夏。
「確かにそうよね。自分の事では中々動けないしね。わかるわ」と緑子。
「あの頃の私にはできなかった事だから。それに
「美夏は正義感旺盛になったって訳ね?」と緑子。
「そう、それでね。子会社の日哲商事の私の名前を正々堂々と書いて、親会社の日哲通運グループ本社の佐藤社長にメールを書いて、詳細の説明をしたの」
「そしたら?」
「佐藤社長が直ぐに会って下さって、緑子が撮ってくれたあの佐々木の私へのレイプのCDRを社長だけに見せて他言無用にしてもらったわ。そしたらうちの日哲商事の社長に電話して佐々木を調べさせたの」
「それで?」
「出てくるわ。出てくるわで、佐々木の裏の顔が暴露されて、佐々木の出世は止められて、退職したって訳」
「それは大成功だったわね」
「本当に良かったわよ」
「私はお陰様で自分なりのやり方で誠実に頑張ってきたから良かったわ。でも
「そうよね。セックスは本当に愛している人とするものだものね?」と緑子。
「うん。まぁね。それと、例の口約束の婚約していた彼なんだけど、中々、煮え切らなかったから私、彼に内緒で青森県津軽のオヤジと付き合っていて、セックスはやっぱり好きな人としなくちゃね。だって心も体も満たされたもの」と美夏。
「そんな人と付き合っていたんだ」と緑子。
「うん、精力が強くてね。一夜にスキンを一ダースも使い切るのよ。凄くエッチでね」
「それは凄いわね。私のカレだってそこまで強くないから」と緑子。
「だから抱かれた朝はトイレに行くのも四つん這いで張って行くぐらい、もう腰がガクガクしちゃうんだから」と美夏。
「私もそこまでのセックスはした事ないから、でもちょっと羨ましいわ。どんな感じなのか……」と緑子。
「取らないでよね。キープなんだから。そしてあの彼の婚約を解消した、その月にうちの会社の支店に勤務する十歳年下の彼も出来たのよ。まだエッチはしていないけど。若いから焦らしてあげようと思ってね。その子、熟女好きなんだって。それに真面目腐った顔して、『結婚を前提に』って言ってね。これも全て緑子のお陰だけどね!」と美夏。
「女の顔を持って男性優位の冷たい硝子の海を泳ぐって本当に大変よね。私だったら直ぐに心臓麻痺して溺れちゃうわよ。私にはできないから美夏が今後も益々、出世するのを遠くから楽しみに見ているから、頑張って!」と緑子。
「何よ、その言い方、冷たいんじゃない?」と美夏。
「ごめんね。実は私、主人と離婚して例のカレと再婚する事になったの。そんな訳でカレの実家の北海道に引っ越す事になって、これからは夫に内緒にしないでも済んだってこと」と緑子。
「そうだったのね、おめでとう!」と言い合い二人は喜び合った。
「そう言えば、うちの会社だけど、更なる海外進出の為だとかで最近、社名を日哲商事からNT商事に変更したじゃない?」と緑子。
「うん。前の方が呼びやすいと思うけど、上が決めた事だから仕方ないわよね。親会社だって日哲通運からNT通運になったし」と美夏。
そこに親会社の五十嵐社長秘書課長から美夏の携帯に電話が入った。
店内は二人だったので美夏はハンズフリーにして緑子にも聞かせた。
「はい、高橋美夏です」
「先日はどうもありがとうございました。NT通運の社長秘書課長の五十嵐です」
「あ、その節は大変にお世話になりました」と美夏。
「今、お時間、大丈夫ですか?」と五十嵐。
「はい」と怪訝そうに返事をした美夏。
「実は我が社のグループのNTロジテック株式会社のCEOを君に任せる事を役員会議で決定したので、そのつもりでいて下さい。近日中にまた連絡しますので、本社に来てもらいますので」と五十嵐。
「えっ、この私が……ですか?」と美夏の声は震えていた。
「はい。そうです。本来は辞令が先ですが、社長が内密に電話をしてあげなさいとおっしゃったものですから」と五十嵐。
「ありがとうございます。謹んで拝命いたします。佐藤社長には宜しくお伝えくださいませ」と美夏と言うと電話が切れた。
「美夏、女性社員で一番の出世頭になったってことよね? それも親会社のグループ企業のCEOなんて凄いじゃない。つまり冷たい硝子の海を泳ぎ切って天井を自分の実力だけで打ち破ったってことだもの、子会社始まって以来の快挙よ。おめでとう!」と興奮して話す緑子。
美夏は「ありがとう」と言ったものの、夢かと思って自分の頬を抓った。
「痛い!」とそれは夢でなかった。その時、あの津軽の静雄の優しい笑顔が浮かんだ。
コロナ禍の緊急事態宣言中、窓とドアが開放されたバーで女二人がカウンターに佇み話していると、気持ちの良い爽やかな初夏の風が吹き抜けていった。
― 了 ―
冷たい硝子の海を逞しく泳ぐ女たち @k-shirakawa
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