第2話 貴族のメイド・ラナー

洗濯する手がかじかむ。

この痛みをご主人様方が知ることは一生無いのだということをどこか不思議に思う。


洗濯はこのお屋敷に来て最初に教えられた仕事だ。

最初は失敗してもいいようにと使用人の服をやり、仕事に慣れてきたらご主人様の服を扱うようになった。


服は貴重だ。自分たちが普段着るようなものでさえ買い替えるのは数年に一回。それも新しいものではなく古着を買うのだ。ましてやご主人様の服なんかはそのお値段を考えるだけで思考がどこかへ飛んで行ってしまうようだ。


そんなもんだから、洗濯も力いっぱいしようものならメイド長から拳骨を何回ももらってしまう。


今日も早朝から井戸の水を汲み、かじかんで悲鳴を上げる手を無視して動かし続ける。そうしているとだんだんと痛みも薄れていき、無心で洗濯をし続ける人形のような気分になってくる。


そんなときふと思うのだ、この痛みをご主人様が知ることは一生無いのだろうなと。

こんな感傷に意味がないことはわかっているのだがそれでも思わずにはいられない。


別に自分が特別不幸であるとは思っていない、貴族の家のメイドなど庶民の中では上澄みで、むしろ恵まれているとさえ思う。


「愚民どもめが」


ご主人様はたまにこのようなことをおっしゃる。こういう時はたいてい町で問題が起きており、ご主人様がその解決に悩まされているのだ。


ご主人様は比較的良い主人なんだとメイド長に聞かされたことがある。

メイド長はご主人様に雇われる前に別の貴族に雇われていたらしくそのときの貴族はたいそう気性の荒い方だったそうだ。


ご主人様が比較的良い主人だというのはメイド長に言われる前からなんとなくわかっていた。

定期的な休暇を下さったり、お小遣いを下さったり。少し体調が悪い時なんかはわざわざ気遣いの言葉を貰うこともある。


そんな心優しいご主人様でさえ、庶民と貴族とを明確に分け、時には同じに人間と思っていては出てこない言葉で庶民を罵る。


ここで最初の感想に戻ってくるのだが、ご主人様はこの洗濯のたびに経験する(夏は幾分かましだが)手の痛みを決して知ることはない。


これこそが私とご主人様を明確に分ける違いであるような気がする。


そう、違いなのだ。これはであってではないと私は感じている。結局貴族と庶民なんてこの程度の違いでしかないのだと。


私は手のかじかみに顔をしかめ、メイド長に怯えながらも現状を幸せであると感じている。しかし、ご主人様は暖かい部屋で傷の無い綺麗な手を常に握りしめて貴族の立場に苦慮している。ご主人様が何かに悩んでいない姿などめったに見ない。


ご主人様もこの手の痛みを経験すれば、なやみなんて一瞬でなくなるのに。



そこまで考えたところでメイド長の足音が聞こえてきた。

規則正しく、お淑やかで、背筋の凍る足音だ。


気づいたら同じ服をずっと洗っていたようだ、メイド長の監視は屋敷の隅々まで届いている。きっとこれから私はメイド長の拳骨を受けるのだろう。ああ、足音がすぐそこで止まった。



結局、苦しみから解放されることなんて無いのだ。



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