9. 貴族の誇り《ノブレス・オブリージュ》

「ユリウス様が成してきたこと。その全ては、無駄でしたでしょうか」


 問い詰めるような、カリンの瞳。


 僕は、事ここに至ってもなお、答えるべき言葉を持たず。


 だからカリンは、また言葉を続けます。


「もう一つ、お伝えしたいことがございます。私の、魔法について」


 差し出す両手に、光が生まれ、一振りのレイピアを形作ります。いつも目にしている彼女の……いえ、彼の武器。鈍く光る刀身へ、カリンは目を落とし、


「不思議には思いませんでしたか。中位程度の魔法で、なぜ最上位貴族と渡り合えるのか」


 呟いた瞬間、レイピアがひとりでに砕けました。


 驚きに、目を見開く僕の前で、鋭き鉄塊はボロボロと崩れていきます。それだけでは、ありませんでした。端から小さな光の粒に解け、鉄粒一つさえ残すことなく、


「『月魔法』。……魔法を壊す、魔法です」


 跡形も無く、消えました。


 唖然と思考さえも失う僕へ、カリンは再び顔を上げます。


「かつて、忌みの青とされた王の隣にも、我が祖先、月の使い手がおりました。災厄たる『異能』と呼応するように生まれた、無能と壊魔の月。……彼の王は、魔法世界に仇なしかねない力にて、それでもひたむきに剣を捧げる従者を庇うため、自らに忌みを背負った。

 ゆえに私は、その恩義に報いるため、貴方の隣に居るのです」


 ユリウス様。


「貴方が居てくださったからこそ、私はこうして、騎士の使命を全うできるのです」


 そう告げるカリンは、ゆっくりと伸ばした右手で、僕の左手を取ります。


「我々騎士も、民とて馬鹿ではございません。国に尽くし、民を愛し、その未来全てを守ることができる理想の王など、夢物語に過ぎないと理解しております」


 それでも。


「そう在ろうとした。そんな夢物語を現実のものとし続けようとした、理想の体現者であろうとした王たる意志の血脈を。『貴族の誇りノブレス・オブリージュ』を、存じております」


 カリンは、真っ直ぐに僕を見上げます。


 天の果て、地平の果て、どこまでも続くような、暗闇の中に。


「ユリウス様。貴方様は紛れもなく、我らにとっての王です」


 燦然と輝く星々。


 煌々と浮かぶ月。


 ――否。


 夜明けをもたらさんとする、真なる陽光を、望むように。


「……ひ、う」


 涙が、溢れました。


 みっともなく、恥も外聞もなく、十六の子供のように。


 声を上げて、右手で必死に目元を拭って。ボタボタと流れる雫、滲んだ夜の闇に、もう『アリシア』と『ユリウス』の姿はなく。代わりに、この薄い胸の中へと、何もかもが解けて一つに収まっていくような、暖かさばかりを感じながら。


 唐突に膨れ上がった感情に、どう始末をつければいいのかも分からないまま。


 ただ、泣き続けていました。






        ◇






「……ごめんなさい。取り乱しました」

「いえ。信頼ゆえと驕るならば、望外です」


 僕はぐずぐずと、鼻をすすって泣き腫らした目尻を拭って、長く息を吐きます。


「もう大丈夫です。心配をかけましたね。……それで、その」


 目の前、変わらず無表情で跪き続ける我が騎士は、僅かに首を傾げます。僕はさて何と切り出すべきか、視線を泳がせもじもじしながら両手の指を絡めて、


「カリンは、始めから僕が、男だと知っていたのですよね」

「はい。姫に男が侍るわけにもいかず、されどユリウス様の事情を思えばと、伝えられずにおりました。他の近衛たちも同様です。……主を謀ったこと、謝罪の言葉もございません」

「いえ、それは構わないのです。道理ですしお互い様ですし……。そうでは、なくてですね」


 また、僅かに首を傾げる騎士に。


 ええと、と。


「カリンは、その。僕の性別を、知った上で?」

「はい。心よりお慕いしております」

「ふぅぐ……っ! そ、それはその、どういう意味で?」

「仕えるべき主として」

「あ、ああやっぱりそういう……」

「また、男性としても――女性としても」

「それはイロイロと聞き捨てがならないのですが!?」

「一目見たその時より、比類なき王としての資質はもちろん、畏れながら、この世のモノとは思えないほどにお可愛らしい御方だと思っておりました」

「そ、それは諸々ありがとうございます!? いえ合ってるんですかねこの返しは!?」

「ユリウス様のお望みとあれば、不肖この身……生みますし、生ませてみせましょう」

「何をですかどうやってですかどっちがですか!?」


 まさか方法に心当たりが!? やはり鬼の国由来の秘術なのですか!?


 ……などと言うことは、全く無いようで。ともあれ「意気込みであります」と真剣な眼差しを向けるカリンに、さてどうしたものやらと、やおら熱い顔を両手で覆っておりますと、


「ユリウス様が、アリシア様であれ。男性であれ女性であれ。私が貴方様へ捧ぐ思いは、決して変わりません。この身は、全て、貴方様の剣なれば」

「カリン……」

「それはそうと、男でも問題ないと思わされたのはユリウス様がきっかけでした」

「本当にごめんなさい! ちょっと悩みましたけどやっぱり僕は女で居るべきですね!?」


 イロイロなモノのために。


 主に、我が国我が民たちの、性癖のために。


「ちなみにレンは本人曰く『ガチノンケ』ですし、ルーシィは本気でレンに想いを寄せておりますし、ベルはレン×ルーシィ創作が捗るからさっさとくっつけと申しております。連中の事情について、ユリウス様が特に気を揉むことはないかと」

「なるほどあの状況の全てに合点がいきましたねえ! 理解が及び切らないですが!」

「とはいえレンの実力を開花させたのは、自分のあまりの女装の出来栄えに「敵兵に負けたら『使われ』かねない」という精神的背水の陣から死と紙一重の鍛錬を積んだ結果でしたし、ルーシィが吹っ切れたのも、秘かな趣味だった女装を堂々とできるかつ思い人と背中を預け合える環境を得たからですし、ベルはあの二人の行く末を見届けるためならば近衛騎士でも女装野郎でもなってやると、殺気めいた意気込みでのし上がってきました。

 やはりユリウス様の素性は伏せるに越したことはないかと」

「僕が決め手で近衛たちのナニカが不可逆的に崩れそうですものね、ええ!」


 特に、レン辺りの精神的なアレコレが。


 ちなみに三人それぞれの本名が『グレン』『ネルソン』『ロベルト』であるということも聞きましたが、もう処理が追い付かないので脳内でもいつも通り呼ぶことにしました。本当にそろそろ発狂してしまいそうでしたので、ええ。


 そんな心中を知ってか知らずか、未だ片膝立てて跪くカリンは、いつもの仏頂面で僕をじいい……と見つめています。


 ま、まだこれ以上何かがあるのでしょうか? などと。


 逃げられる状況ではないと、僕だって自覚しておりますとも。


「――カリン」

「はい。ユリウス様」


 決意を込めた、名前に。


 真っ直ぐな黒の瞳が、見つめ返されて。


「……色々と一杯一杯なので、少し、待っていただいてもいいですか」

「心中お察しします。何年でも待ちます」

「せ、せめて一年以内には答えを出しますからね!?」


 我ながら凄まじく日和った回答、猶予期間でした。


 とりあえず、今は向き合うべき大きな課題が山積しておりますので。


 ……逃げてないですよ?


「そういえばカリン。あなたにも、本名が?」

「『カーマイン』と申します。ですが、いつも通りお呼びいただければ。戸籍からも、既に書き換わっている名です」

「……分かりました。名がどうであれ、あなたは変わらず『私』の近衛ですから」


 認識変更。


 私は、アリシア。


 しかと切り替えつつ、自分の不甲斐なさに、また息が漏れます。


 全く、いつも隣で私を支えてくれた騎士たちにまで、名前を、身分を偽らせて。何をやっているのでしょうね、と。


 悔恨は、されど、もうこの身を立ち止まらせることはなく。


 これからのために、背負い、また歩き出すための決意へと変えて。


「カリン」

「はっ」


 改めて呼ぶ名に、我が騎士は頭を垂れて応えます。


 スカートの裾で拭い、ゆっくりと、差し伸べる小さな右手に。


「共に国のため、民のため。力を尽くしてくれますか」

「御意に」


 僅かな逡巡さえも無く、大きな左手が、力強く重ねられました。






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