第2話 森に住む少女(後編)
「実に美味い!」
食堂で、ギルネラの作った料理を食べながら栗毛の青年は言った。
「この手の生えたエビのようなモノはなんです? 獣人の国に住む魔物ですか?」
「アホ」と青年の向かい側に座ったセーラツィカ。
「ここから南東に馬を3日走らせれば大きな湖に着くわ。このエビは、そこでしか取れない貴重な食材。そんなことも知らないの?」
「そ、それは失礼しました。なにぶん、獣人の国には不慣れなもので…」
(バカめ)少女は心の中で毒づいた。
「で、あなたは誰なの? 寝食を与えてもらいながら名乗りもしないなんて、一体どこの野蛮人?」
「あっ…!」青年はそう言うと、ナイフとフォークを端に置いた。「非礼を、どうかお許し下さい。私の名はバルナレク、エネクルジュ家のバルナレクです」
「エネクルジュ…」青年の姓をセーラツィカは口の中で呟く。「『帝国貴族便覧』に載ってたわ、上から数えて5番目の家ね」
「4番目です、最新版では」
ムッと、セーラツィカは眉を顰める。
「で、4番目の大貴族様がこんな僻地になんのご用?」
「先程も申しましたが、あなたをお迎えに参りました、皇帝陛下」
「世迷言を。ね、ギルネラ?」
「はい」部屋の隅に控えていたギルネラは、表情を変えずに答える。
「この屋敷は大王の個人的な書庫で、私はただの管理人。人違いよ。こんな森の奥までやって来て、酷い無駄足だったわね」
「なるほど」バルナレクは頷く。「あなたのような少女を雇わねばならない程、獣人の国は人材不足なのですね」
ムムッと、セーラツィカはまた眉を顰める。(コイツ、ああ言えばこう言って…)
「不遜な人間には、異文化など理解できないでしょうね」
「確かに私は無知です。だが、論理の穴くらいは分かる。なぜ書庫の管理人が、
「それは…、大王が慈悲深いからよ。例え相手が下々の人間であっても、大王はいつでもお優しい」
「なぜあなたの世話をする者が?」
「…蔵書が多過ぎて、1人では管理できないから」
「どうしてこんな僻地に? 都から遠く離れた帝国との国境沿いに」
「…安全だからよ。こんな所に、大事な書物があるとは思わないでしょう?」
「どうしてあの時私を射たなかったのです? どうして私を招き入れたのです?」
「そ、それは──」
「慈悲深い、セーラツィカ様」今度は相手の返答を待たずに、バルナレクは言った。
「それはあなたが、私の話に興味を持ったからだ。無礼を承知で申します、あなたは自分が皇帝と呼ばれたことに心を動かされた。違いますか?」
セーラツィカは口を尖らせて、椅子に深く座った。(弁論術の本をもっと読んでおくべきだった…)
「だけど、証拠がないわ。私がその…、皇帝の血統であるという証拠が」
「あります、ありますとも!」バルナレクは声を張り上げた。「セルラルシェの『我らが皇帝史』は読まれましたか?」
「え、ええ。一応は…」少女は困惑気味に答える。
「なら話は早い! 私は幼い頃より、紙が擦り切れるほどにアレを読みました。他の人間にはない、特別な能力を持った皇帝達が活躍する様に、私は手に汗握って熱中したものです。それで寝不足になり、よく母親に叱られて──」
セーラツィカとギルネラは目を丸くして、1人で鼻息荒く喋り続ける青年を黙って見つめた。
「つまりです。それぞれ内容は異なるが、皇帝の血統を持つ者は皆、特別な能力を持っていた。セーラツィカ様、あなたにもあるのでは?」
「ない」少女はつまらなさそうに答えた。「何もないわ」
「そんなことはない! 例えばそうだな…、1番分かりやすいのは魔術だ。セーラツィカ様も、魔術が得意なのでは?」
「いいえ」
「竜巻を起こしたり、巨大な岩を宙に浮かせたり、地面を割ったり、雷を降らせたり」
「指先から、小さな炎を出すことだって出来ない」
「それでは、腕力に優れている?」
「今日弩弓を持ったから、明日は1日中筋肉痛よ」
「竜とか魔物を、舌戦だけで打ち負かせるとか」
「今さっき、人間のあなたに負けたばかりよ」
「それでは、雲間から神々を呼び出すことも…」
「もう良い加減にして」
バルナレクは「…なるほど」と言って俯いた。バツが悪そうに、セーラツィカは部屋の隅へと目を逸らす。
「失望した?」相手に目を合わせぬまま、少女は言った。「可哀想に、やっぱりあなたは無駄足だったのよ」
「とは言え」バルナレクは顔を上げる。
「やはり調べの通り、あなたはヤーコシュ殿下とミュレオーニナ様のお子だと思います。獣人の大王とヤーコシュ殿下は親友でもあった」
「論証が甘いわ。宮廷闘争に敗れて亡命した、帝国貴族の娘かもしれないでしょ。獣人の有力者が、帝国人との間に作った私生児かもしれない。大王の情婦という可能性だって──」
「証拠はまだあります。セーラツィカ様の、髪と瞳の色ですが──」
「赤毛で緑の眼が証拠だと言うなら、皇帝の血統なんてそこら中にいるわ」
「はい。ですがその髪と瞳の色は、余りにもご両親に似ておいでです」
「なんですって?」少女の声は上擦っていた。「あなた、私の父と母に会ったことがあるの?」否定することも忘れて、思わずセーラツィカは尋ねた。
「あるかもしれませんが、小さかったのでよくは覚えておりません」
「ならどうして…」
「我が家にお2人の肖像画があるからです。あの事件の後は倉庫に隠されましたが、私は今でも時々眺めに行きます。セーラツィカ様の髪と瞳の色はきっと、お2人のお子であるという何よりの証拠である、と私は思っています」
青年の言ったことが少女には信じられなかった。父と母に関わる事は文字であれ物であれ、全て燃やされたと聞いてたのだ。
2人の生きていた証拠がまだ残っていると知って、セーラツィカの心は嬉しさで一杯になった。
「わ、私は…」震える声で少女は言った。「似てるの? その、お父様とお母様に…」
「もちろん」青年は微笑む。
「今日あなたとお会いした時、初めての気がしなかったのは、小さい頃から親しんだお顔にそっくりだったせいだと思います。セーラツィカ様はご両親によく似ておいでです。聡明で、美しいお顔だ」
セーラツィカは突如として、自分の頬が太陽のように熱くなるのを感じた。
少女は慌てて水を飲み、深呼吸をした。それで落ち着いたと思いきや、バルナレクの顔を見ると再び顔が熱くなった。
「そ、それで!」動揺を隠すために、怒ったようにセーラツィカは言った。
「私を皇帝に引き立てて、あなたはどうしようと言うの?」
「3ヶ月前、皇帝陛下が亡くなったことはご存知ですか?」
「ええ」
「陛下に世継ぎはいません。それゆえ、今は摂政が帝国を取り仕切っております。だがあろうことか、摂政には来訪教徒であるという噂が立っている」
「来訪教徒…。来訪者、つまりは異世界からやってきた者達を神と崇める人々のことね」
「はい」
「なるほど、帝国は岐路にあると言いたいのね? 100年前に敗れて独立を許した者達に、今度は国まで乗っ取られそうになっている、と」
バルナレクは無言で頷く。
「私は、帝国と来訪者との戦争に関わる文献を何冊か読んだわ。もちろん、来訪教徒が書いたものもね。私が導き出した結論はただ1つ。それは、帝国の自業自得ということ。どうしようもない驕りと慢心が今の結果を生んだ、違う?」
相手が黙っているので、そのままセーラツィカは続けた。
「あれだけの圧政を敷けば、来訪教徒達が帝国に反感を持つのも無理はないわ。帝国は最後までそれが分からず、旧態にしがみ続けた。その結果滅びるとしても、誰にも文句は言えない。それが神々の意思なら、唯々諾々と従うべきではないの?」
バルナレクは何も言わず、机の上で組んだ自分の両手をじっと眺めていた。
(弱虫、意思薄弱者)少女は心の中で毒づく。だが心のどこかで、青年が反論するのを待っていた。
「仰る通りだ」ようやくバルナレクは口を開いた。
「神々は帝国の滅亡を望んでいるのかもしれない。私達は神々を敬いながら、その意思に逆らっているのかもしれない。だが、例え大河の流れに逆らうことになったとしても、私は抗います」
「なぜ?」セーラツィカは挑むように問いかける。「抗わずに受け入れれば、幸せに暮らせるかもしれないのに」
「幸せには暮らせない、それだけは言える。来訪者とその信奉者達をこのまま好きにさせれば、必ず破滅が訪れます。我々が数百年かけて築き上げてきたものが、全て台無しになる」
「帝国が何を築き上げてきたと言うの? 100万の死体? 瓦礫? 憎悪?」
「はい。そして、栄光と繁栄も」
「…傲慢だわ。来訪教徒が書いた本を読んだ事がある? 彼らにとって、私達帝国人は魔物よりも邪悪な存在なのよ」
「傲慢です。もしかしたら、最期には惨たらしい死を迎えるのかもしれない。それでも私は、死にゆく祖国を助けたい。一度失敗したなら、今度は間違いのないようにする。100万の死体と、瓦礫と、憎悪への償いが出来るように」
セーラツィカは知らぬ間に、バルナレクの瞳に魅入られていた。
「も、もし…」少女は目を伏せながら、ためらいがちに尋ねた。「もし皇帝がいなくても、あなたは戦うの?」
「はい」バルナレクは即座に答える。「悪と腐敗を正すために、来訪者とその信奉者達に挑みます」
「来訪者は強いわ、時の皇帝達だって勝てなかったのに…」
「負けるかもしれない。だが、たった一度では終わらせない。最後の残り火が消えるまで我々は抗い続けます。例えそれを、神々が望んでいなくても」
「それほどまでに、帝国の現状は悲惨なの?」
「はい、例えば──」だが、青年は続きを言わなかった。
「いや、言うより見た方が早い。今お伝えすべきことはこれで全てです。私は、明朝には帰らねばなりません。数週間後に改めて迎えを送りますので、帝都にお越しください」
「そ、そんないきなり…! 私はまだ了承してない!」
「気が乗らないのであれば、迎えの馬車を空でお返しください。だがもしお越しいただける時は、道中で嫌というほど帝国の現状を見せつけられるでしょう。申し訳ありませんが、お先に失礼いたします。慣れない長旅に少々疲れました」
「…ふん、寝床なら物置よ。ペテン師には相応の寝室でしょう?」
「はい。おやすみなさい、セーラツィカ様」
◇
翌朝、日の出と共にバルナレクは玄関に立った。
「まさか、見送りをしていただけるとは」肩掛けを羽織った、気怠げなセーラツィカにバルナレクは言った。
「別に、目が覚めただけ」
「物思いに耽る余り、よく眠れなかったのですね。申し訳ありません、昨晩は喋り過ぎました」
「ち、違う! 昨日は昼寝をしたから、夜眠くなかっただけ!」
「なるほど」
「それで、ババルバルとやら」
「バルナレクです」
「あなたは本気で、私が皇帝になれる器だと思ってるの? 魔術も剣も使えなければ、魔物と喋ることだって出来ない、帝国史上最弱の皇帝候補だけれど…」
「皇帝は武器ではない」キッパリとバルナレクは答える。
「皇帝は旗印、戦う意味です。自分が強いだけでなく、『この人のためなら死んでも良い』と兵士達に思わせることが大事なのです」
「皇帝は旗印、戦う意味…」
「と、『我らが皇帝史』に書いてありました」
「…なんだ、他人の言葉」
「ハハハ」青年は笑う。
「あなたはきっと善き皇帝になれます。それにまだ若いのだから、これから特別な力に目覚めることもありましょう」
「根拠は?」
「ありません!」
「もういい、さっさと帰って」
「神々の恩寵によって、帝都で再会できますように。それではまた、我が皇帝陛下…」去り際にそう言って、バルナレクは帰って行った。
「風邪を引きますよ」どこか遠くを見つめて、玄関に立ったままの主人に、ギルネラは言った。
「ごめん、もう少ししたら戻るわ」
セーラツィカが考えていたのは、閉じた門の向こうにある道のことだった。その道は鬱蒼とした大森林を抜け、やがて帝都へと辿り着く。
(善き皇帝になれる、か…)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます