「いやはや、流石は異世界人だ」甲冑姿のまだ歳の若い将校は、血と土埃に汚れた顔に笑みを浮かべて言った。「我らの皇帝を３人も屠っただけのことはある。冥土の土産に、良きものが見れました」

「ふざけている場合か！」栗色の髪をした青年は口早に言い返す。「コレをどう切り抜ける？　勝ち目はあるのか？　砦は持つのか？　将軍は、アイツはなんと言っている？」

「閣下は──」若い将校の回答は、近くに落ちた火球の音で遮られた。土埃と火の粉が舞い、兵士達の悲鳴が聞こえた。

「閣下は責を取り、砦を枕に死ぬつもりです。光栄かつ不運なことに、指揮は私が引き継ぎました。動ける兵をまとめ、皇帝陛下の退路を死守します。速やかに脱出の準備をお願い致します、長くは持ちません」

「砦を枕に…」栗色の髪の青年は、守備兵達が張り付く城壁を見遣った。

　壁の向こうからは火球や石礫（せきれき）、稲妻や氷塊が間断なく降ってくる。噂には聞いていたが、青年は異世界人の力がこれほどのものとは知らなかった。

「よし、逃げよう！」青年は監視塔の根元へと走った。

　砦の最も堅牢な部分であり、指揮所が置かれていたその一室には、赤毛の少女が３人の側近と共に身を潜めていた。

「セーラツィカ様！」その少女に向かって青年は声を張り上げる。「急ぎ馬車にお乗り下さい、砦を脱出します！」

　赤毛の少女は黙って頷くと、足早に部屋を出た。その後ろを１人の獣人の少女が従い、２人の森人が飛来物から少女の頭を守るように盾を掲げて歩いた。

「スュルデとシギルナは共に馬車に乗り、セーラツィカ様を護衛してくれ」青年は２人の森人に言った。

　スュルデと呼ばれた方は「分かった！」と鼻息荒く答え、シギルナと呼ばれた方は「死んだわ…」と諦観に満ちた吐息を漏らす。

「バルナレク」馬車に乗る前に、赤毛の少女は栗色の髪の青年を振り返った。「将軍と兵士達はどうするの？」

「少数の殿（しんがり）を残して退かせます。将軍は…後で来るでしょう」

「私を盾にすればいい、来訪者の魔術なんて全部弾いてやるから！」

「敵が多すぎて捌ききれません。漏れた魔術は平気で兵士達を殺すでしょう。守る兵士がいなくなればセーラツィカ様も危うい。逃げればいずれ、勝機もある」

「アナタはどうするの？」

「私は先に飛び出して、迂回してくる敵兵の気を引きます。その間にセーラツィカ様はお逃げ下さい、東の森まで行けばなんとかなるでしょう」

「バルナレク」

「はい」

「し、死んだら許さないから…！」

「死にません」青年はニッコリと微笑む。「あなたを本当の皇帝にするまでは。神々の恩寵によって再会できますように。それでは、また」

　幌が閉じられ、赤毛の少女は獣人の少女と共に身体を荷台の隅へと寄せた。外からは何かが弾け飛ぶ音や燃える音、馬のいななき、人の怒号や悲鳴とが聞こえた。

　馬車が動き出すと、赤毛の少女は四つん這いで揺れる荷台の後方へと移動し、幌の隙間から外を見遣った。砦は、死にかけていた。

　攻撃を受けとめる壁面は殆ど足場もない程に崩れ、歩兵が攻撃を仕掛ければ容易に侵入出来るくらいの穴がいくつも空いている。堅牢な見張り塔も虫喰いのように穴だらけで、まだ立っているのが不思議なくらいだった。

（逃げればいずれ、勝機もある…？）

　煌々と燃えて闇夜を照らす砦を見ながら、少女は青年に言われたことを考えた。来訪者の力が本気を出せば、あれほど立派に見えた砦でさえ腐った果実も同然なのだ。

（そんな連中にどうやって勝つというの…？）

　赤毛の少女が乗る馬車に続いて、崩れかけの砦から人馬が這々の体で駆け出した。砦を迂回しようとする王国の魔術師達は一層大胆になって近づき、無防備な敗残の兵達に攻撃を浴びせた。

　鋭利な石礫が腕や足を切り裂き、氷塊が兜ごと頭を潰し、稲妻と火球とが身体を焼いた。

　魔防具を持たない兵士達は、魔術に対抗する術など微塵もない。兵士達の遺骸を踏み潰しながら、馬車はひたすらに走った。

（呪われろ、来訪者…！　滅びろ、異世界転移者…！）倒れゆく兵士達から決して目を離すことなく、少女は強く心に念じる。

（私にもっと力があれば、来訪者に対抗できるくらいの力があれば、兵士達を、祖国を守れるのに。憎い…、来訪者が憎い…！　アイツらを皆殺しにしてやりたい…！　神々よ、ああどうか神々よ。もし私達をまだ見捨てていないのなら、異世界人とその信奉者を打ち滅ぼすための力と機会を、どうか与えて下さい…）