二十九話

 少し、不安になる。

 だけども、きっと大丈夫だというように私は心を落ち着かせた。

 願うべくは、きっと柊が。

 バカが怪我なく、帰ってくることだ。


 私、伊勢 イエナはそう願った。


 彼を意識し出したのは出会った時だ、だけど共に訓練する内にその情熱は燃え上がっていく。

 この情熱は炎だ、燃え盛る炎のようだ。

 目覚めても、寝ていても。


 瞼を閉じて、横になる。

 少し、眠気を感じた。

 もしくは直感か、なぜか強い眠気が私を襲う。


「あ、どうも伊勢さん」

「何やってんのよ、バカ。早く訓練場に向かいなさい、あと五分もない内に訓練が始まるわよ」

「わ、分かりましたっ!!」


 いつの間にか寝ていたのか、もしくは。

 いいやこれは記憶だ、きっと過去の記憶。

 平凡な一日の記憶であり、ある訓練の時の記憶。


 朝、部屋を出ると彼と出会った。

 彼は隊服にこそ着替えていたが、寝癖がついており寝起きということが嫌でもわかる。

 慌てて走っていく後ろ姿を見ながら、少し寝坊したのだろうと予想を立てた。

 斯くいう私も、今日は少し遅れている。

 彼の後ろを、決して遅くない速度で追いかけた。


 訓練場に着く、クラートに所属している存在は文官も含めて全員が戦闘要員だ。

 より正確にいえば、全員が普通の魔徒を殺せる実力を持つ。

 一般職員の全てが、その教育を受けている。

 故に、一般職員も訓練場を使用することが多い。

 だが今日は、二人以外の姿が見られなかった。


 目の前でストレッチを行い、走り込みを行っている真琴。

 私は少しの違和感を持ちながら、彼の横で走る。

 彼は息を切らしながら、だがまだまだ走ろうとしているようだ。

 私はそんな彼を見て、少し休むように忠告する。


「そろそろ休んだほうがいいわね、もう限界よ?」

「い、いえ。まだまだ、動けます……」

「そういう訳にはいきません、ほらあんたは休みなさい」


 地面に倒れ込むように、力無く地面を横たわる。

 その姿も愛らしい、好きだ。


 彼女は、真琴は地面に転がり込んだ。

 それ以上動く気力が湧かないようだった、私は仕方なく水分補給用に設置されてある自販機からスポーツドリンクを取り出し彼女に渡す。

 彼女はそれを受け取ると、一気に全て飲み込んだ。


 それでも立ち上がらない、立ち上がれない。

 呆れてしまう、だから私は先に戦闘訓練の準備を整えた。

 昔を思い出す、私も入った時にこんな風になった記憶があるのだ。

 あの時は猫山と、小鳥遊の両親か。

 彼女の両親が、私に稽古をつけた。


 クラートの中における文官、それなのにクラート隊員と遜色のない実力を誇った人類という名前の怪物。

 どちらも恐ろしいほどの実力を有していた、本当に。

 勝てた記憶はない、最終的に惜しいところまで行けたが勝つより先に彼女らは死んでしまった。


 原因は魔徒だった、日本第三支部に襲撃が行われたのだ。

 第三支部は半壊、新たなネームドを引き換えに職員の50人程度が死ぬこととなった。

 その、その50人の中に小鳥遊の両親もいた。


「あれ……、涙が……」


 何を考えていたのか、古い記憶に蓋をする。

 あの日を思い返すのは、今で無くていい。

 それに涙を流すという弱い姿を見せたくない、私は。

 私は天才と言われた、そして私は天才だった。


 だから、誰かに弱い姿を見せる訳にはいかない。

 だから、思い出に囚われる訳にはいかない。

 

 頭の中の記憶に厳重に蓋を被せる、彼女たちは育ての親のようではあったが親族ではなかった。

 だから、涙を流して悲しむ必要はない。

 こうして、何年も経過してまで。

 涙を流して、流して悲しむと。


 こうして涙を流して悲しむと、まるで自分が何も出来ない子供のようだから。

 彼女たちが見た私という天才は常に強気で意地っ張りだから、私は常にそうでなければならない。


 装備をとって、真琴の元へと向かう。

 彼女は地面に座っていた、少しだけ回復した様子だった。

 真琴は私の姿を見ると、少し申し訳なさげな表情を浮かべて装備をとる。

 指が触れ合い、滴る汗の匂いが私の鼻腔を通っていった。


「ほら、タオル。使いなさい、そんなに汗を垂らしてたら手からすっぽ抜けるわよ」

「ありがとうございます……、すみません。あっ、後で代えのタオルを……」

「気にしなくていいわよ、全く……」


 そう言い返し、近くにあったスポーツドリンクを飲む。

 すると真琴は少し不思議な表情を浮かべ、私を見ていた。

 何か、そう思っていると不意に答えがわかる。

 そうか、彼女が飲んだのだから間接キスになるのか。


「気にしないでよ、気にしたらこっちまで変な気になるじゃない。それとも、キスでもして欲しかったの……?」


 少し、期待を込めた目を向ける。

 彼女は顔を真っ赤にして、ぶんぶんと首を振っていた。

 愛らしい、可愛い。

 私はそんな感想を抱いて、彼女の首を掴む。

 そして、一気に唇を付けた。


 初めてのキスの味は、甘かった。

 私が飲んだスポーツドリンクの味だろうか、それとも別の。

 私の気持ちが、そう思わせたのか。

 理由はわからない、分からないながらもそのキスは甘かった。


「な、なななななな」

「何よ、別に減るもんでもないでしょ?」

「そ、そうは言っても!!」

「間接キス如きにオドオドしてるからよ、ほら構えなさい」


 照れ隠しのように、彼女に練習用の銃を渡す。

 彼女の技術は進歩していない、だがそれでも心構えぐらいはできただろうか。

 私は木で作られた槍を構えると、彼女の動きを見た。

 狙いがバレバレだ、構えも狙いもその考えも。


 頭は危ないから外そう、胸も怖いから外そう。

 足は? 歩けなくなるのは困る、腕も同じだ。

 書けなくさせるのが怖い、だから外そう。

 お腹は? それは危ないかもしれない、だから外そう。


 そんな思考を感じる、バカじゃないの? そう思う気持ちを堪えて一歩を踏み出した。

 引き金を引くより早く、槍の一撃を叩き込む。

 遅い、怯えが見てとれる。

 それでは死んでしまう、殺されてしまだろう。

 だめだ、それは。


 地面に寝転んだ彼女を冷徹に見据える、殺されないために力をつけさせなきゃならない。

 焦りにも似たソレは、私に力を与える。

 恋焦がれる思いは、彼女を生かすために。


「全く敵いません……、はぁ。もう少し、どうにかなるかと思ったんですけど……」

「バカを言わないでよ、バカ。あんたは狙いを澄ましすぎ、撃つのなら頭でも腹でも撃ちなさい。じゃなきゃ、死ぬわよ?」

「ソレでも……、僕は伊勢さんに怪我をさせたくないんです」

「嬉しいことを言ってくれるわね、けど優しさで死んだら意味はないわ。魔徒は敵よ、殺さなきゃ殺される。訓練なら幾らでも死ねる、だから何回でも殺しに掛かりなさい」


 そういうと、柊は。

 真琴は少し悲しげな顔をして、だけど覚悟を決めた顔をする。

 いい顔になった、だがどうしてこうも悲しくなるのだろう。

 なんで、そんなに私は悲しさを感じるのか。


「一つ、聞きたいんですけど。伊勢さんなら、もしも死ぬって時になったら。伊勢さんなら、何をします?」

、別に何も特別なことはしないわ。老衰で死ぬのなら、寿命で死ぬのなら、病で事故で避けよう無く死ぬのなら受け入れる。けど、魔徒との戦いで死ぬのなら特別なことは何もしないわ。ただただ、その血肉の一片が尽き果てるその時まで牙を剥くだけよ」

「なるほど……、伊勢さんらしいですね」

「何よ、全く」


 目の前が真っ白になる、目覚めの時間だ。

 感覚的に理解した、私は私の目覚めを理解する。

 この会話が本当にあったのかは、この会話が本当に過去で行われたのかは分からない。

 だけど、一つ言えるのはここから先は。

 絶対に言っていない言葉だろう、少なくともこの記憶の中で。


「任せたわよ、第三支部を。あんたは私の中で、未来のエースなんだから」


 目が覚めた、さっきまで私は何を話していたのか。

 思考に没頭しようと、記憶を再度拾おうと外に視線を向ければ。

 視線の先で、赤黒い一条の光が放たれていた。

 私は思う、私は願う。

 彼女の、無事を。

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