二十話

 ゆっくりと、目を開いて。

 伊勢さんは目を開け、周囲を見る。

 そして眉を顰め立ち上がろうとし、そして地面に崩れた。


「……あんたがしたの?」

「何をですか?」

「足」

「まさか!! 僕らが発見した時点でもうすでに切られてたんですよ!!」


 彼女の疑いを聞き、僕は大きく首を振る。

 伊勢さんは信用していない様子だったが、僕がスキルヴィングを返すと一応は信用した様に息を吐いた。

 そのまま通路の端で立っている吸血鬼、改めアナスタシアは伊勢さんの視線に気づくと首を傾げる。

 そして彼女は少し考えたあと、伊勢さんの視線に応じるようにポーズを取り出した。


「……バカ?」

「私の美貌に見惚れているのではないですか?」

「何言ってんのかしらコイツ、と言うか吸血鬼なのに人間と仲良しってわけ? 何を企んでるのかしら」

「まぁ、否定はしませんね。吸血鬼と人間の関係性を考えれば確かに私がこうして貴方達と交友関係を持っているのは可笑しな話です」


 意図的に自分の正体と目的を伏せた物言いをするアナスタシア、僕は伊勢さんの様子に少し恐ろしさを感じている。

 明らかに伊勢さんは怒っていた、スキルヴィングを強く握り今にも襲い掛からんと身を屈めていた。

 だがその動きは達成されることがない、アナスタシアは巧みに間合いを図りスキルヴィングが届かない位置を陣取っている。


「この一度においては双方ともに利益があります、一度矛を収めるのを賢い提案としませんか?」

「生憎と、クラートとして。それ以上に、私は私自身の理由であんた達を滅ぼす予定なの。その話は認めれないかしら、吸血鬼」

「悲しい話ですがそうなれば仕方ありません、ならばここで離別としましょうか。私は貴方達を殺す意志はありませんし、貴方達は私を殺そうにもそれだけの力がない」

「待ってほしい、僕は彼女と別れるのに反対だッ!!」


 僕は思わず声を上げた、何故なら僕には確信があった為だ。

 この地下下水道には下手をすれば数百から数千に及ぶ魔徒がいる、ソレは今まで倒して来た魔徒の数から考えればおかしな話ではない。

 僕だけで30体以上は、僕を除いてももう既に50体近くは殺害している。

 なのにその総数は一向に減る様子を見せない、ソレどころか警戒網は綿密に編まれ捜索するために動員されている魔徒は増えている様に見えた。

 つまり、魔徒の数は僕らの予想以上に存在している。


「なるほど、あんたの考えは分かった。確かに此処を生きて抜けると言う一点を考えれば、彼女と協力するのは決して愚策ではないわ」

「なら、やりましょう!! 今はとにかく生き延びることが……!!」

「けど、私は貴方の監督責任者としてソレを認めないわ。ゴメンね、けどもしもソレを認めた場合クラートとして問題が生じるの」

「組織人の面倒なところですね、吸血鬼にはそう言うのがないのでわかりませんが」


 伊勢さんも僕の言葉には一応の納得をしていて、だからこそそれ以上の反発をした。

 僕らは国際特務対魔徒機関の『対魔徒決戦部隊クラート』に所属している、人類最後の盾にして人類最先の槍なのだ。

 そんな人間が、一時的にと言っても魔徒と。

 吸血鬼と手を組むと言うことは許されない、許されてはいけない。

 もしソレを行えば、最終的に国際特務対魔徒機関の信用が消え去るのだ。


「拘束状態にあるのなら、吸血鬼と知らずに手を組んでいたのならば言い訳はできるわ。だけど、あんたも私も彼女が吸血鬼だと知っている。そんな状態で協力関係を結べば、ソレこそ国際的な問題が発生するわ。良くても私たちの首が飛ぶ、ソレほどの責任問題へと発展するの。これぐらいなら言い訳ができる、誰も観測してないから私たちが口外しなければいい。だけど地上に出て、他の面々と会ったときにどう言い訳するの? 吸血鬼を引き連れてやってきましたって正直に言って通ると思う? もしもそれでバレたら上のメンツは? 東京第三支部のメンツはどうなると思うの? それ以上にクラートが掲げる絶対悪という大義はどうなるのかしら?」

「ソレは……、けど!! このまま進んでも死ぬだけですよ!! 大義が崩れると言うのはわかります!! けど大義のために命を捨てるのは許容できません!!」

「……ソレでも、よ。ソレでも私たちは大義を押し通すのよ、あんたは覚悟も猶予も出来ずに入って訓練だけしてきたけども。私たちはそうじゃ無いの、命を賭けて大義を押し通す義務が私たちにはあるのよ」

「ソレで、ソレでもしも死んだ場合!! 死んだら誰が責任を取るんですか!!」


 僕の言葉に、伊勢さんは少し目を伏せた。

 そして歪ながらに立ちあがり、スキルヴィングを杖代わりとする。

 そのまま自分の手首を切ると、スキルヴィングに血液を補充した。


「あんたは死なないわ、私が守るもの」


 目に、意志があった。

 殺さない、殺させない。

 僕を守り抜くという、意志があった。


 再度、何度でも言おう。

 僕は愚かだ、愚かな人間だ。

 彼女と違い、覚悟がない。

 彼女と違い、意志がない。

 何かを成そうとする意志が希薄で、流されるままに僕はこの場に歩いてきた。

 どこまでも、どこまでも身勝手で得手勝手な行動だ。

 だから、僕はこれ以上何も話せなかった。

 彼女の言葉、その意思を聞いても。

 自分の身勝手を通すほどの意思が、僕にはなかったのだ。


「……、はい」

「吸血鬼、あんたを殺すのは辞めておくわ。ついでに警告として殺されたくなければ逃げなさい、この周辺には『嘆きの破壊』がいる。渋谷事件の『殺害記録保持者レコードホルダー』のアレよ、いいわね?」

「生憎とそういう訳にはいけません、なのでしばらくは周辺に潜伏させていただきましょう」


 カツカツと、靴音を立てながら彼女は消えていく。

 僕はそんなアナスタシアを見送りつつ、静かに息を吐いた。

 引き止めるだけの言葉を、引き止められるだけの大義を持ち得ない。

 僕の正義は結局、ちっぽけな自己満足でしかなく。

 伊勢さんの覚悟と意思を見せられて仕舞えば、僕に言える言葉はなかった。


 少しだけ、漏れ出そうな涙を堪えながら上を向く。

 伊勢さんは何も言わずに僕のスキルヴィングを手に取った、そして彼女は血液を僕のスキルヴィングに流し込む。

 残弾を増やしたのだ、自分の血液を対価にして。


「あんたのスキルヴィングの力、『使い古された切り札クラシックジョーカー』の能力は切り札。相手との実力差を埋められるこれ以上ない強い能力、追い詰められたときこそその力を発揮するわ。だから、使えるように気を張りなさい」


 そう言い切ると、フラリと倒れかけた。

 僕は慌てて彼女を支える、彼女は少し眠そうに瞼を閉じようとして。

 だが、一生懸命に目を開くように歯を食いしばっている。


「大丈夫ですか!! そんな、無茶な血液の消費をしたら……!!」

「ふふ、大丈夫。まだ、もう少しだけ出ても問題ないわ」

「問題ないわけないでしょ!!? 今までの出血量からして1リットルは消費してるはず、ソレに意識が朦朧としてるってことはつまり血液総量の20%はッ!!」

「大丈……夫、あんたに抱えられてるうちはまだ死なないわ」


 血液を一気に消費しすぎて、彼女はもうすでに理路整然とした思考ができなくなっているだろう。

 血液が抜けていけば頭が朦朧とし、思考が纏まらなくなる。

 まるで夢見心地で、だが鼓動が激しく高鳴り命の危篤を知らせるのだ。

 喉が渇き、立ちくらみや眩暈を感じて平衡感覚は消えていく。

 まっすぐに歩くことすら難しく、立つことすら困難である。


 一度、訓練で経験しただけで僕は嫌になったあの感覚。

 ソレを彼女は、安心感とは程遠い中で覚えてこれ以上なく心細い状態で。

 なおソレでも、弱々しく僕の腕の中にいる彼女は。

 気丈にも、僕に対してイタズラ染みた笑顔と共にこう告げる。


「無事に戻ったら、伊勢おねぇちゃんって呼びなさい」

「もう少し、緊張感のある言い方はなかったんですかぁ……?」

「なら、キスもしなさいよね?」

「……まぁ、減るもんでもないですし……」


 少し、緊張感はないかもしれないが。

 死にかけの彼女は、これ以上ないぐらいの満面の笑みを浮かべていた。

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