六話

 五日目、今日も勉強の日々だ。

 今日は朝から猫山さんが現れて、僕のベットの周りで四足歩行のままに低くグルグル唸っている。

 昨日、彼女から言われたように勉強をしているがこの状況では集中できるものも集中できない。

 数時間やってみたが中々頭に入らず、結局テキストを机に置く。


「猫山さん? なんの用事ですか……」

「にゃん? にゃんのことかにゃー?」

「いや、周囲でこうして騒がれていると勉強が進まないっていうか……」

「にゃら静かにするにゃ」


 そうして、僕の足元で丸くなる。

 いや、そう言う話じゃない。

 そう突っ込みたくなる僕だが、この子には何を言っても無駄だろうと確信しため息を吐く。


「にゃにゃにゃ、にゃにか文句でも?」

「無いよ、自由に寛いで……」


 僕の言葉を聞いてか、聞いていないのか。

 足でゴロゴロと唸りながら自分の手をぺろぺろと舐め始めた、見た目を気にしなければその動きは猫の毛繕いだ。

 可愛い、そう思い僕も勉強に戻る。

 その日は彼女のスマホが鳴り響き、仕事に戻るまでそんな状況が続いていた。


 六日目、昼ぐらいに主治医が来た。

 僕の様子を確認すると、明日退院と告げてきた。


「え?」

「明日退院、というかもう十分歩けてるわねぇ。遺伝子改造されてる人間でもないただの人間にしては回復速度が異常だ、とはいえ気にすることでもないねぇ」


 既に補助具なしに歩けるようになった僕をみて、主治医の彼女はそう言った。

 未だぎこちないとはいえ、普通に歩けるようになった僕をみて告げられた言葉。

 ソレを聞いた僕は間抜け顔を晒す、だってそうだ。

 重症だった、朧げながらに記憶にあるあの遊園地での一件。

 あの時に負った傷は、下手な怪我ではない。


「本当に、明日退院なんですか?」

「ああ、退院退院。ソレとも医者の言うことが聞けないのかい?」

「いえ、そう言うわけじゃないんですが……」

「なら話は以上、終わり終わりだ」


 そう言って出て行った医者の後ろ姿を忘れない、何か不気味な物から逃げるような姿だった。

 結局、その日は誰とも出会うことなく勉強で一日が潰れてしまった。

 

 七日目、ついに退院の日。

 午前中は抜糸で時間を取られ、退院の時間は昼を少し回った時だ。

 腹部や足、そのほかにも何針も縫われておりソレを抜くので怖い思いをした。


 古見路さんに渡されたテキストを返そうとして、断られる。

 勉強用で持っておけ、と言うことらしい。

 深々と頭を下げ、感謝しながらそこにある少ない荷物を纏めて。

 そして、部屋を出ようとしたタイミングで古見路さんに肩を掴まれた。


「貴方はもうあの家に帰れません、家はこちらで用意していますので移動してください」

「へ?」

「分かりづらかったですか? では言い方を改めましょう、家はこちらで用意しています」

「うぅん?」


 いまいち言っている言葉の意味がわからない、と言うか家に帰れないってどう言うことだ?

 家に帰れない、ってどう言うこと?

 まさか、家が壊されたってことはないだろうし……。


「ハァ、一から説明しましょう。貴方は特別枠であるとはいえ正式に『対魔徒決戦部隊クラート』に所属することとなりました、つまり貴方は一種の国家機密に変貌したと言うことです。そのため貴方は今後、生涯とまでは言いませんが一般人としての生活を送ることが不可能になりました。当然、今まで住んでいた住居に戻ることも許されません」

「……はぁ!? なんでそんな重要なことを先に言わなかったんですか!? 心の準備とか、そう言うのないんですか!!」

「ないです、ある訳ないでしょう。先に言っても大した変化はないのですから、早く荷物を纏めてください」

「えぇ!!?」


 僕の叫びを普通に無視され、そのままズンズンと進んでいく彼女の後ろを追う。

 ついていけば、エレベーターに乗り込みそのまま10階のボタンを押す。

 横にある階層案内を見れば、10階より上は居住区とされている。


 ん? 少し待て。

 ここは病院じゃないのか?


 その疑問を解消するため、僕は再度口を開き彼女に尋ねようとしたところで。

 エレベーターが停止した、どうやら目的階に到達したようだ。


「さて、変なところに行かないでくださいね。とりあえずここからの動きですが、最初に貴方の家となる部屋へ向かいます。次に軽く歓迎会をして、明日から早速訓練を行なっていきますので」

「は、はぁ……」

「まずは部屋へ案内します、部屋番号は132号室。道は一度で覚えてください、最も複雑に入り組んだ通路ではないので迷ってもすぐに戻れると思いますが」

「分かりました」


 返事を言い切る前に彼女は歩き出す、僕はソレを追って足を早めた。

 しばらくすればその部屋に着いた、中にはいくつもの段ボールに大型の僕の私物が並んでおり家から回収されたらしい。

 ソレが丁寧な梱包をされて、そこに並んでいた。


 僕は近くの机に渡されたテキストを置き、そのまま部屋の鍵を受け取る。

 普通の鍵だ、特にこれといった特徴はない。

 何処に仕舞おうか、そう悩んでいると服を投げ渡される。


「『対魔徒決戦部隊クラート』所属兵の隊服です、体が大きくなくて良かったですね。一応女性物ですが男性が来ても違和感のない服です、ズボンですし。文句がないのならばソレを着用してください」

「……、本当に僕ってココに所属するんですね」

「現実味がないですか?」

「まぁ、はい。僕にとってココって、『対魔徒決戦部隊クラート』って女性しかいない別世界でしたから」


 その言葉を聞いて、彼女は少し笑った。

 嘲笑ではなく、微笑みでもなく。

 ちょっとだけ、可笑しそうに笑う。

 そして、コホンと咳払いをすれば服を着替えるように急かしてきた。


 隊服に着替えるのには、さして時間は必要なかった。

 シンプルで、動きやすい服以上の感想はない。

 下手な飾りもなく、隊服という感想以外湧いてこない服だ。


「ではこれを」

「これは……、隊員証? ですか?」

「そうですね、また職員の銀行口座や保険証。そのほか様々な保障証としても使えます、無くさないでくださいね? 再発行料は5000円ですから」

「た、高い……」


 僕の言葉を再度無視して、彼女はそのまま着いてこいとばかりに背中を向ける。

 彼女についていけば、再度エレベーターに戻っておりまた階層移動を挟んだ。

 向かう先は15階、話を聞けばそこには会議室があるらしい。


 どうにも、周囲の視線が気になる。

 見られている、そんな気がした。

 気にするほどのことでもないのかもしれない、だが気になってしまうので身を隠すように歩く。

 そうすれば、冷やかな目で古見路さんが僕を睨んできた。


「まっすぐ歩いてください、邪魔です」

「いや、周囲の視線が気になるんですよ……」

「知りません、付いてきてください」


 ずんずんと先へ進んでいく古見路さんを慌てて追いかけていく、しばらく走るように追いかければ最終的に会議室的なところへと到着した。


 扉を開ける、中では三人が忙しそうに動いており。

 開かれた瞬間に、一斉にこっちを見た。

 無言の空気が流れ、古見路さんがそっと僕を中に突き飛ばし扉を閉め。

 僕は、どうしたらいいかがわからなくなる。

 というか古見路さん、準備中の部屋に突き飛ばさないでください。


「……、空気読みなさいよ!! バカぁ!!」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!!? これは僕が悪いんですか!?」

「……あ、あははは……」


 困り顔で嗤う小鳥遊さんに、僕の上で馬乗りになる伊勢さん。

 にゃにゃにゃと笑う猫山さんに囲まれながら、僕はひしひしと感じる。

 此れから、新生活が始まるのだと。

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