第36話 柔らかな明かり

浩太は、ソファに深く腰を下ろしながら、お茶を飲む繭の姿をぼんやりと眺めていた。彼女がいることで部屋全体に柔らかな明かりが灯っているように感じる。明るい笑顔と無邪気な言葉は、ただそこにいるだけで空間を変えてしまうほどの力を持っていた。


繭の存在は、浩太にとって最初は単なる煩わしいものだった。手のかかる女子高生であり、勝手に部屋に入り込み、自分のペースを乱す存在。しかし、いつの間にか彼女がもたらすその「乱れ」が心地よいものに変わっていることに気づいた。


「浩太さん、また黙っちゃった。何考えてるの?」繭がソファの端から身を乗り出しながら尋ねた。


浩太は少し間を置いて答えた。「いや、何でもない。ただ、お前はいつも楽しそうだなと思ってただけだ。」


「えへへ、だって浩太さんがいると楽しいもん!」繭が無邪気に笑う。その言葉に浩太は小さくため息をつきながらも、口元には微かな笑みが浮かんでいた。


彼女の言葉は、何の飾りもなく、ただストレートに伝わってくる。それが、仕事で疲れた浩太の心をそっと癒してくれるのだ。彼女がいることで、無味乾燥な日常が少しだけ色づき始めるような感覚。それが彼にとってどれほど特別なものか、浩太は改めて感じていた。


「本当にお前は、不思議な奴だな。」浩太はぼそっと呟いた。


「またそれ?それ褒めてるってことでいいの?」繭が満面の笑みで問いかける。その笑顔に浩太は少し目を伏せながら返した。「どうだろうな。でもまあ、悪い気はしない。」


繭はその答えに満足したように頷き、「やっぱり浩太さん、私のこと好きでしょ!」とおどけるように言った。


その無邪気な言葉に、浩太は一瞬言葉を失った。そして、胸の中で何かが静かに揺れ動くのを感じた。繭の存在が、自分にとってどれだけ大きな意味を持つのか。そのことを深く刻み込みながら、浩太はそっと目を閉じ、彼女の声に耳を傾けた。


浩太はカップの縁を指でなぞりながら、繭のことをぼんやりと考えていた。彼女の明るい声が、何気ないこの空間を温かいものに変えている。まるで心の奥底で静かに燃える小さな灯火のように、その存在が彼をそっと支えているのだ。


「浩太さん、まだぼーっとしてる!」繭が椅子から身を乗り出し、冗談めかした声で指摘してくる。その顔を見ると、自然と苦笑が浮かんでしまう。


「考え事くらいさせろよ。」浩太は冷たく返すように見せながらも、その声には優しさが滲んでいることに気づいた。


「えー、何考えてるのか教えてよ。」繭は興味津々で身を乗り出してきた。その距離感の近さに浩太は一瞬たじろぐものの、彼女の無邪気さを前にすると緊張も自然と和らいでいく。


「大したことじゃない。ただ、お前、いつも元気だなと思っただけだ。」浩太は少し間を置いて答えた。できるだけ平静を装おうとするが、その言葉の奥にある本当の気持ちは自分でも隠しきれない。


「元気が取り柄だからね!」繭は笑い声を上げながら、再び椅子に深く座り直した。「でも、浩太さんが元気じゃないときは、ちゃんと私がカバーするから安心して!」


その言葉に、浩太は胸の奥がじんわりと暖かくなるのを感じた。彼女の無邪気な言葉には、いつも真心が込められている。それがどれだけ自分を救っているのか。彼女がいるだけで、この部屋がどれだけ輝いているのか。


浩太は少しだけ目を閉じ、静かに深呼吸をした。「お前には感謝してる部分もあるんだよ。」


「えっ、本当に!?もっとちゃんと言って!」繭が勢いよく迫る。


「うるさい。少し黙ってろ。」浩太は茶化すように返しながらも、心の中では小さな笑みを浮かべていた。


そうやって、彼女との日常の一瞬一瞬が、彼の心に深く刻まれていく。繭の存在が、ただの隣人以上の何かになっていることを認めながらも、それを言葉にするのはまだ少しだけ怖い。けれど、その事実を否定することも、もはやできない自分がそこにいる。


部屋に漂う穏やかな空気の中、浩太は繭の存在の大きさを静かに噛みしめていた。


浩太は自分でも整理がつかない気持ちを抱えたまま、繭の横顔をちらりと見た。彼女は何かを話しているが、その声が頭に入ってこない。ただ、その無邪気な笑顔だけが目に焼き付いていた。


繭がそこにいることに安堵している自分と、彼女の明るさに戸惑っている自分。その狭間で、浩太の心は揺れ動いていた。「俺って…どうかしてるのかもしれないな。」と、ふと思わず自分に呟いた。


「浩太さん、何か言った?」繭が顔を上げて、真っ直ぐ浩太を見つめた。その視線が思いのほか鋭く、浩太は一瞬言葉を詰まらせた。


「いや、何でもない。お前の話を聞いてたんだよ。」と曖昧に返す。だが、それが言い逃れであることは繭にはわかっているようだった。


「本当に?なんか、浩太さんちょっと変だよ。」繭はそう言いながら浩太をじっと見つめた。その目には、ただの無邪気さではなく、何かを探るような色が混じっていた。


「変って、何がだよ。」浩太はあえてぶっきらぼうに答えるが、内心は動揺していた。彼女に気づかれたくない感情が、どんどん表に出てきているような気がしてならない。


繭は少しだけ考えるように視線を逸らし、ふと笑みを浮かべた。「んー、なんとなく…浩太さん、何か抱えてるでしょ?」


その言葉に浩太は思わず目を見開いたが、すぐに視線を逸らした。「別に、そんなことない。」


「ふーん。」繭はそれ以上問い詰めることはせず、テーブルの上で指先を軽く動かしていた。その動きに、浩太は彼女が何かを考えているのを感じる。


繭がそこにいるだけで、彼の心はもどかしさと安らぎが入り混じる。彼女がすべてを察しているのか、それともただ気遣ってくれているのか。浩太には分からない。ただ、この不安定な感覚が、どこかで心地良さにも変わっていく気がした。


部屋の中に漂う静かな時間の中で、繭はふと笑顔を浮かべながら一言だけ呟いた。「浩太さん、無理しなくていいからね。」


その言葉が妙に胸に響き、浩太は何も言わずに目を閉じた。そして、その静かな一瞬に、自分の中で彼女の存在がまた少しだけ大きくなったことを感じていた。

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あなたの部屋に私のパンツ干してもいいですか?Fine「あなパン切り抜き版」 さかき原枝都は さかきはらえつは @etukonyan

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