第39話

 大原は考えることを放棄した。思考の末の結論は動物的本能が拒否し、感情的結論は思考が認めなかった。


「もう終わりにしよう」

 三度目となるこの言葉は、大原の口から放たれた。


「…………」

 弓削の表情にも疲労が見えはじめていた。大原は体内気路 サーキットのおかげか、足首の痛みやあばらの痛みがいくらか和らいでいた。


 互いの足跡を雪が覆い隠すころ、二人は再び眼に光を宿らせた。先手を取ったのは大原だった。


「――ッ」


 大原は弓削に向かって一直線に刀をなげた。それを防いだために空いた腹に大原は膝を差し込んだ。刺した足は勢いそのままに弓削の片足を踏みつけた。


「仕返しをしているつもりか」


 大原は答えなかった。弓削が受けていた刀の落下に合わせて大原は沈み込みながら刀をつかみ、そのまま弓削の腹を斬り裂いた。決定的な一撃だった。


「――んんっ!」

「――うんっ!」


 しかし、傷を負ったのは弓削だけではなかった。大原の肩には、弓削の槍が深々と突き立てられていた。


「やるなぁ」

「……」


 大原は刀を杖にして立ち上がり、弓削は槍を抜くとその勢いにふらついた。大原は真っ赤になったスカーフを肩に巻き付けて止血を試みた。弓削は腹から噴き出す血をそのままにして立ち尽くしていた。


「もう、終わりにしよう」

 四度目のその言葉を言うと、弓削はその場に膝をついた。大原はそのまま倒れようとする弓削の身体を抱いた。


「…………」

 大原は、弓削の顔をただ見つめた。


「勝つには、勝つだけの理由がある……それだけのことだ」

 弓削は血のからむ痰にむせながらそう言った。


「そして、負けるには負けるだけの理由がある。僕は、ずっと一人でいた。彼女だけが世界を広げてくれる存在だったんだ」

 弓削は吐血し、息を喘がせはじめた。


「神霊者がこの世に存在する限り、僕のような人間はいつかまた現れるだろう」

 大原はうなづいた。


「そのときは、そいつを導いてくれ」

 弓削はとうとう浅く息をしはじめ、虚ろな目を空に向けはじめた。


「これを……託す。すまなかった……」

『む……むすめ……を……』


 弓削は、語り切れずにその人生の幕を閉じた。


 木陰から、賀茂が駆け寄ってくるのが見えた。

「大丈夫……じゃないですよね」

「殺されるべきだった」

「え……」


 賀茂は大原の顔をのぞき込んだ。大原は決して自棄的に言葉を発したわけではなかった。


「俺が殺されるべきだったんだ」

 大原はそう言って立ち上がった。俺は世界を救うことはできないし、彼の背中を追うこともできない。凡人が偉人を殺してしまった。そういう風に大原は感じていた。


「あの……」

 見上げてくる賀茂の方を向いた。


「……」

 しかし大原は先を歩むことはしなかった。


「大原さん……?」

 賀茂がそうつぶやいたとき、大原のこめかみを何かがかすめた。後ろから飛んできたそれをつかむと、握られていたのは大原が投げた鞘だった。


「手合わせ願いたい」

 振り返るとそこには巫礼士時が立っていた。賀茂は大原をかばうように前に出た。


「いいんだ。あっちに行っていろ」

 賀茂の肩をつかんで無理やりもといた木陰の方に歩かせた。


「雇い主も護衛の対象もいないが、なにが目的だ」

 巫礼は答えなかった。


「このガンベルト、やけに手入れがされていた。カートホルダーもいくらかよれていた。四十五口径用のこのガンベルトに違う口径の弾を入れて使ってたんじゃないのか」

「……」

「例えば、そのサブマシンガンの弾」

 大原は巫礼のもつサブマシンガンを見て言った。


「憶測だが、アンタら夫婦はもう協会を恨んでいないんじゃないのか」

 巫礼は口を閉じたままだが、その表情は話の続きを促すモノだった。


「どちらかといえば、恨み切ってもうやる事がない。もしくは、いい加減次の人生を歩みたいんじゃないのか」

「なぜそう思う」


「歌舞伎町で尾けられたときから不思議に思ってたんだ。捜査を立ち往生させたければ俺を殺せばよかったのにそれをしなかった。そればかりかお前は姿まで現した。その二つの行為は弓削や的場を追い詰める手掛かりになるのにも関わらずだ」

 雪が弱まってきたのを感じて、大原は空を仰いだ。


「滝沢の葬式でもそうだ。あえて俺を殺さずに、自身の力をみせたり、俺の左手にナイフを突き刺したりした」

 大原は巫礼に左手を突き出した。


「さっき、この手は弓削の攻撃を弾いた。俺の身体は刃物によく合うらしい。知ってていて、あえてナイフを使ったんじゃないのか」

「それで」

「隼人のときもそうだ。お前たちは隼人を殺すと早々に引き上げた」

「……」


「すべては憶測だが、お前たちは俺がもともとどんな そしじ かあらかたわかっていて接してきていたように思える。その上で、排除するのが仕事のはずだがそれをせずにここまで生かしておいた。俺になにかしてほしいんじゃないのか」


 巫礼はしばらく考えるようなそぶりをしてから、

「こうも考えられる」

 と言葉を接いだ。


「例えば私たちは最初から君たちの見方で弓削陣営をスパイしていた。しかし弓削を討てるお前だけは生き残らせなくてはならないから見せかけの戦闘を演じた。本宮とか言うやつは不慮の事故、もしくはスパイを信じさせるために必要な芝居だったかもしれない」


 大原は煙草に火をつけて話の続きを聞いた。


「例えば弓削はあくまで私の手駒で、本当の黒幕は私かもしれない。そうだな――東京本部も爆発し、山梨、静岡、長野の支部から人が割かれているこの惨事に関東は手薄だろう。その間になにかをする計画を企てているかもしれない」


「そうだな。俺にとってはどちらでもいい。俺は、あんたらの悪夢を斬り捨てることができる」

 痛みは保証できないがな、と付け足した。


「ほう。試してもらおうか」


 大原は弓削に近づいた。コイツも、殺されるべき人間ではない。できることなら、痛みを伴わずにその部分だけを斬り捨ててやりたい。大原は、サービスエリアから墓地までの会話を思い出して唱えた。


 彼の者、万人のために鉄を打つ

 彼の者、正義のために心を打つ

 彼の者、万人のために剣を振るう

 彼の者、正義のために剣を振るう

 故に正義は此処にあり


「ほう、詠唱か」

「ああ。願掛けだ」


 大原は体内気路 サーキットを回して、その そしじ を刃に宿した。


「いくぞ」

「ああ」


 大原は巫礼の身体を袈裟に斬った。感覚はなかった。


「じゃあな」

 刀を鞘に納めて大原は踵をかえして賀茂のもとへ向かった。



 朝日の光がゆっくりと墓地全体を包むように照らしはじめた――


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