2②


 年が近い訳じゃないから然う然う遊んだりは出来なくて、近所でばったり会って話をするのが楽しみだったガキの頃の俺には、それを奪われた事が腹立たしくて仕方なかった。



 だから余計に意固地になって、仕事の事は聞かなかった。



 たった一言「どんな仕事してんの?」って聞けば納得出来る事もあったかもしれないのに、その一言を口にする事は決してなかった。



 そして環兄ちゃんも自ら仕事の事について話す事はなかった。



 ただ、とにかく毎日忙しそうだった。



 仕事の休みはなかったように思う。



 休日の環兄ちゃんを見た記憶がない。



 環兄ちゃんが言うように、八年間ずっと働いてた。



 頑張りすぎってくらいに働いてた。



 そうして考えると、「恩恵」ってのは分かる。



 与えられて当然だと思う。



 けど、何でそれが見合い話なんだって思う。



 そんなバカな話があっていいものなのかと呆れに呆れる。



 本社勤めになるのはいい。



 でも見合い話はどう考えたっておかしい。



 そのおかしな見合い話を受けようと思ってる環兄ちゃんもおかしい。



 八年も働いてたから「成宮」に毒されてしまったんじゃないかと心配に思う。



 もしかしたらマインドコントロールされてるのかもしれない。



 そんな俺の心配を余所に、



「とにかくそれで、俺は今の仕事を辞める事になるから、後釜にお前をと思ってな」


 環兄ちゃんは推定八十歳の親爺がいなくなると、またすぐに話をし始めた。



 口振りから、やっぱり見合い話の「恩恵」がおかしいと感じてないらしい。



 俺としては仕事の後釜話より、そっちが気になって仕方ない。



 だから。



「マジで見合いして結婚すんのかよ?」


 環兄ちゃんの話をぶった切って、その質問を口にした。



 途端に環兄ちゃんは珍妙な表情をつくり、



「だから、すぐにどうこうって話じゃないって言っただろ?」


 小首を傾げる。



 どうも俺の質問の意図が分かってないらしい。



 問題は「すぐ」かどうかじゃない。「する」かどうかが大問題なんだ。



「すぐじゃなくても見合いして結婚するつもりなんだろ? それでいいのかよ? 好きでもない女と結婚すんのかよ? 俺にはどう考えたって、見合いが恩恵だとは思えねえよ。何で見合いが恩恵って事になんだよ」


 一呼吸で一気に話してグイッと生ビールを半分飲んだ。



 ジョッキをテーブルに戻した直後、「そういう事か」と環兄ちゃんが言った。



 ようやく俺が言いたい事を理解したらしい環兄ちゃんは、枝豆を抓みながら「さっきも言った通り」と説明し始めた。



「見合い相手はどっかの金持ちの令嬢だ。その相手と結婚したら将来はまあ安泰って訳だ。そういう相手を見つけてくれるって言ってんだ。有り難い話だろ」


「それってつまり、金の為に結婚するって事か?」


「分かりやすく言えば、そうだな」


「好きでもない女と結婚すんのかよ?」


「好きになるかもしれないだろ」


「好きにならなかったらどうすんだよ? つーか、そんな結婚していいのかよ?」


「別にいい。いいと思うようになった。むしろそうやって割り切った結婚の方がいいのかもと思う。そう思うようになった」


「何だよ、それ。思うようになったって、環兄ちゃん何か変にマインドコントロールされてんじゃね? その成宮って家の奴らに」


「マインドコントロールなんかされてねえよ。悟っただけだ。人生について悟ったんだな。まあ、今の或斗には分からないだろうけど、そのうち分かるかもしれない」


「分かりたくねえよ」


「分かりたくねえならそれでいいんだよ。別に俺の考えを押し付けようって訳じゃねえんだから。それに、これもさっき言ったが見合いの話は強制じゃない。好きな女が出来りゃ、その話はなかった事になる」


「好きな女、出来るのかよ?」


「さあな。本社勤めになったら出会いがあるかもしれないだろ」


「出会え。意地でも出会え。そんでその好きな女と結婚しろ」


「お前、何でそこまで俺の結婚に拘るんだよ」


 苦笑って感じの笑みを零した環兄ちゃんは、「お前、本当に俺の事好きなんだな」と言いながら煙草を取り出し火を点ける。



 そんなの今更だろ――と言いたかったけど、見合い話の件でまだ複雑な気持ちだから、素直に認めるのはやめておいた。



「そろそろ、仕事の件に話を戻していいか?」


 煙草の煙を吐き出しながらそう言った環兄ちゃんは、何でだか楽しそうに笑ってる。



 どうやら俺が不貞腐れてるのが面白いらしい。



 昔からそうだ。



 環兄ちゃんは俺がムキになればなるほど面白がる。



 でもそれが分かってたからって、ムキになるのを制御出来るほど俺はオトナじゃない。



「そうだよ、その仕事の話も、何で俺なんだよ。俺に振ってくる意味が分かんねえ」


 不貞腐れてる感満載で言葉を吐くと、環兄ちゃんは笑ったまま「お前の為だよ」と言った。



「俺の為?」


「そうだ。お前も今年でハタチだろ? でも仕事もしてないだろ。フラフラしてる場合じゃねえだろ」


「だから?」


「だから、俺の仕事の後釜になれって言ってんだよ。将来の事、考えて」


「将来って何だよ」


「将来は将来だろ。親にいつまで小遣い貰うつもりだか知らないが、ハタチ超えて仕事もしないで親から小遣いせびってる男なんてクズだろ。女たぶらかして金稼げるのも長くは続かないしな。ホストにでもなるっていうなら話は別だけど、今のご時世ホストもそう簡単に食ってはいけない。世の中は厳しいぞ」


「だから、環兄ちゃんの後引き継いで仕事しろってか?」


「大事なのは後釜になる事じゃない。そのあとに待ってる恩恵だ」


「また出た、恩恵! 俺、いらねえよ! 好きでもねえ女と結婚する気ねえし!」


「そっちじゃない。就職の事だ」


「はあ?」


「いいか。俺の仕事の後釜は、二年ほどでいい。長くても四年だ。それ以上は絶対に長くならない。で、そのあとお前は恩恵を受けて、成宮の会社に就職出来る。これはもう約束されてる」


「別に成宮の会社なんか就職したくねえよ」


「バカタレ。よく考えてみろ。就職難の今のご時世に、最終学歴が中学のお前が一流企業に就職出来るなんて奇跡は、これを逃したら絶対に起こらないぞ。長くて四年、俺の後釜として働いたらその奇跡が手に入る。二十四歳の時に一流企業に就職してるか、ホストだかチンピラだかやってるか、どっちを選ぶんだって話だ」


「……そんな先の事考えてねえよ」


「考えてねえのが分かってるから、俺が考えてやってんだろ。お前の為を思って、仕事を振ってるんだ。ここは素直に言う事聞いとけ。絶対、将来俺の言う通りにしてよかったって思う時がくるから」


「で、でも――」


「通勤用に新しいバイクも買ってやる」


「――ええ!? マジ!?」


「マジ」


「バ、バイクって何?」


「お前が欲しいやつ。しかも新車で」


「マ、マジ!? カ、カワサキの――」


「Ninjaか? いいぞ」


「ZX-10R……」


「いいぞ」


「いいのか!? 何で!? 環兄ちゃん、そんなに金持ってんのかよ!?」


「出すのは俺じゃない。成宮家だ。働くって言うなら通勤用として買い与えてくれる。もちろんそれはお前のだから仕事を辞めてもお前のもんだ。交通費のガス代も出るから安心しろ」


「バ――バカなのか!? 成宮! 通勤用のバイク買い与えるってバカだろう! バカでしかないだろう! いくらすると思ってんだよ!」


「いい条件だろ。しかも給料もいい。どうだ。やる気になったか?」


「で、でも俺、環兄ちゃんみたいに働く自信ねえし……」


「うん?」


「朝早くから夜遅くまで、一日十二時間以上働くとか無理だし、休日もねえとかやってらんねえし……」


「いや、そんなに働く必要はない。基本的には平日の朝九時から夕方五時まで。週休二日で土日は休みだ」


「んでも環兄ちゃん、朝早くから夜遅くまで働いてたろ。休んでもなかっただろ?」


「それは俺が自ら進んで仕事してただけだ。基本はさっき言った通りだから、俺みたいに働かなくても問題ない。文句言われる事もない」


「……絶対か?」


「絶対だ」


「…………」


「どうだ。やるか?」


「ま、待ってくれ。その仕事って何? 仕事の内容が全然分かんねえんだけど」


「ああ、そうか。すっかり言い忘れてたな」


「大事な事だろ。忘れんなよ」


「成宮家にはご令嬢がひとりいる。十六歳で、名前は瑠花るか。その瑠花さんの傍にいる事が仕事だ」


「傍にいる?」


「常に傍にいる」


「え? それって執事とかってやつ?」


「違う。お前に執事なんか無理だろ。俺にも無理だ。そういう執事の仕事はちゃんとしたプロがやってる」


「じゃあ、何だよ。護衛か? 金持ちだから護衛が必要だってか?」


「それも違う。護衛もプロがちゃんと別にいる」


「なら何なんだよ。傍にいるって何だよ」


「一言で言えば犬だ」


「犬、だあ?」


「瑠花さんの犬になるのが仕事だ」


「ああん!?」


俺はこの時点で、「冗談じゃねえ」と断ればよかったんだ。



いや。断るべきだったんだ。

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