5①


 パンケーキ――などという、返事としては訳が分からない、ほんのり殺意すら抱く、ルカの言った言葉の意味が理解出来たのは、別荘を出て二十分ほどしてからだった。



 本人に確認した訳じゃないから絶対にとは言えないが、多分俺の解釈で合ってる。



 ルカはあの時、「パンケーキを食べる」か、「パンケーキを食べたい」と思ってたんだと思われる。



 そうじゃないとしたら、今度は今現在の状況の意味が分からなくなる。



 別荘から歩いて十分ほど行った所に、小洒落たカフェがあった。



 一見してただのログハウスかと思ったのに、カフェだったから驚いた。



 外には看板もボードメニューのような物も出てない。



 どうやらここは知る人ぞ知る、別荘地のカフェらしい。



 そのカフェの、一番奥にあるテーブル席に座るルカは、パンケーキを食らってる。



 生クリームだの、アイスクリームだの、イチゴだの、ブルーベリーだのが載ったパンケーキを黙々と食らってる。



 そのルカの向かい側の席に座る俺の前には、ハンバーガーが置かれてる。



 やけにデカい。



 しかもパテの分厚さもさる事ながら、矢鱈と分厚いベーコンが飛び出てる。



 一緒に添えてあるポテトの量も半端ない。



 朝食として食う量じゃない。



 それを、頼まれた。



 勝手に、頼まれた。



 店に入ってすぐ。席に着くよりも先に、ルカは「ベリーベリーパンケーキと特製ハンバーガー」と頼んだ。



 メニューを知ってたという事は、当然何度か来た事があるんだろう。



 だとしたら、「特製ハンバーガー」とやらがデカい事も分かってたんだろう。



 分かってた上で頼みやがった。



 育ち盛りの男ですらひとりじゃ食いきれないようなデカいハンバーガーを。



 ただの一言も、「ハンバーガーが食いたい」なんて言っていない俺用に。



 朝からがっつり食べる派じゃない俺は、見てるだけで腹いっぱい状態で、ボリュームしか感じられないハンバーガーに手が出せないでいた。



 どう食えばいいのか分からないデカさだった。



 そんな俺を尻目にルカはバクバクとパンケーキを食い続ける。



 相当腹が減ってたらしい。



 見てるだけで胸やけがしてきそうなほどの食いっぷりをするルカから、目を逸らすように店内に視線を向けた。



 俺ら以外に客はいない。



 カウンターの向こうに店主がひとりいるだけ。



 推定四十歳のおっさん店主は、こっちに全く見向きもしないで珈琲豆の分類をしてる。



 そんな状態が気持ち的に楽なのは、納得はしてなくてもルカを守らなきゃならないって思ってる以外に他ない。



 プロでもないのに護衛なんて――とは思うけど、誰もいないんだから仕方ないとも思う。



 実際長男の嫁が襲われてるらしいし、成宮の人間はマジで身の危険があるんだろうと思う。



 なら、家でジッとしてろと強く思うが。



「心配ない」


「あ?」


 ルカの唐突な言葉に視線を戻すと、ルカはすっかりパンケーキを食べ終えて、アイスコーヒーをグビグビ飲んでた。



 コップの中のアイスコーヒーがストローで吸われて物凄い勢いで減っていく。



 腹が減ってた上に喉も乾いてたらしい。



 そうしてアイスコーヒーをほぼ一気に半分以上飲んだルカは、ゆっくりストローから口を離し、



「心配ない」


 もう一度繰り返した。



「心配ないって、何がだよ?」


「誰も襲ってこない」


「あ?」


「あのおじさんにあたしを護衛するように頼まれたんだろ? だから心配ないって言ってる。絶対誰も襲ってこない」


「……何で言い切れる?」


「あたしがここにいる事は、屋敷の人間しか知らないから。急に思い立って来たから誰も予期してない。屋敷の人間だって、今朝になって知った者が多い」


「だから大丈夫だってか?」


「あたしを襲おうと企んでる奴らが今こっちに向かってるとしても、それより早く護衛が着く。護衛は先にこっちに向かってるはず。もう一時間か二時間もすれば着く」


「『あのおじさん』はそうは言ってなかったぞ?」


「あのおじさんはバカだから」


「…………」


「それにここは今シーズンオフで週末でも人が少ない。別荘使う人間は殆どいない。だからそんなに気を張ってなくても変な奴がいたらすぐに分かる。心配ない」


「……襲われる事前提なんだな? 襲われないとは思ってねえんだな?」


「襲われるよ」


「あ?」


「成宮の中であたしが一番狙われてる」


「ああ?」


「っていうか――」


 出会ってから初めてのルカとの会話らしい会話は、ルカが何かを言い掛けたところで強制的に終わりを迎えざるを得なくなった。



 カフェの一番奥の席に座ってる俺達の近くにある窓は通りに面してる。



 一応窓際を避けたものの、窓は見える。



 その窓の向こうに異変が起きたから、会話の途中にも拘わらず俺とルカの視線が自然と動いた。



 まあ、「異変」と感じたのは俺だけだっただろうと思う。



 ルカにとっては然程おかしな事じゃなかったんだろう。



 それまで野良猫どころか人っ子ひとり通らなかったカフェの前の通りに、黒いロールスロイスが止まった。



 カフェの真ん前で止まったのが視界の端に見えたから、思わず視線を向けてしまった。



 しかもファントムだった。



 実物を見たのは初めてで、思わずポカンとしてしまった。



 でもまあ高級外車にポカンとしてしまったのは俺だけで、ルカはそれに驚く事はなく、俺の視線が動いたから釣られて窓の外に目を向けたって感じだった。



 見つめる先で、ロールスロイスから運転手が降り、後部座席に回る。



 運転手が後部座席のドアを開けてるらしいって事は分かるけど、向かって反対側のドアだからよくは見えない。



 そんな高級外車から一体誰が出てくるのかと興味本位で眺めてた俺の手が、何故か自然とルカを庇うようなカタチに動いてた。



 後部座席から出てきたのは、ふたりの男だった。



 ひとりは若く、ひとりは「あのおじさん」くらいの年齢だと思われる。



 外に出たふたりは、すぐにカフェに向かって歩いてくる。



 この近くに別荘を持つ金持ち――ではあるんだろう。



 ふたりとも身なりはいいし、どことなく気品っぽいものがあるような気がしないでもない。



 ルカと比べりゃ気品に溢れまくってる。



 若い方が先を歩いてる事からして、「あのおじさん」くらいの年齢の男は執事だか護衛だかと思われる。



 だからまあ、この辺りに別荘を持ってるただの金持ちであって、ルカを襲いにきた奴らではない事は間違いない。



 そう思って手を引っ込めた直後。



「瑠花さん!」


 店に入ってきた若い方の男が、入ってすぐの場所でこっちに向かって軽く手を挙げた。



――何だよ、知り合いかよ。



 それならそうと早く言えよ――と思う気持ちでルカに目を向け、



「…………」


 思わず絶句してしまった。



 ルカが憤然とした表情で俺を見てる。



 思いっきり俺を睨んでる。



 何でそんな凶悪な顔されなきゃなんねえんだと心底不思議に思うほど、これでもかってくらいに睨み付けてくる。



 それで、分かった。



 分かってしまった。



 どうしてルカの発する言葉の殆どが理解出来ないのに、表情を読む事が出来るのか自分でも不思議で仕方ない。



 でも分かってしまった。



 分かって、物凄く嫌な気持ちになった。



 嗚呼、嫌だ――と、本日二度目の感情が襲ってきた。



 俺を思いっきり睨み付けてくるこの野郎は、声を掛けてきた相手の名前を知らない。



 声を掛けてきた感じからして、相手は思いっきりルカの事を知ってるどころか、確実に何度か会った事がある風なのに、ルカは名前を知らない。



 いや、この場合は知らないっていうよりも、覚えてないんだろう。



 どっちにしろ現時点で「知らない」という事には変わりないんだが。



 そんな覚えてないだか知らないだかの男に声を掛けられて、フリーダムのみで形成されたフリーダム人間のようなこいつは困ってる。



 困ってる顔がこの凶悪さってどうなんだって思うけど、確かに困ってる。



 困ってるって事は、顔を知ってはいるんだろう。



 顔は知ってるのに名前が分からなくて俺に助けを求めてるんだろう。



 つまりは「あのおじさん」の時みたいに、「名前を知らない」と言っていい相手じゃないんだろう。



 フリーダム界にも僅かに常識ってもんがあるらしい。



 入口に背を向ける格好で座ってた俺がチラリと後ろに振り向くと、ふたりの男はこっちに歩いてきてた。



 実際は、若い方の男がこっちに来るから、年配の男がついて来てるって感じだった訳だけど。



 とにかく、手を振り返して終わるって感じじゃ全くなかった。



 ルカに視線を戻すと、顔の凶悪さが増してた。



 眼力で俺を殺す勢いだった。



 一体俺にどうしろって言うんだ。



 教えてやろうにも、初対面の奴の名前なんて分かる訳がねえ。



 この「お嬢様」は、マジで、どうしようもなく、手が焼ける。



 近付いてくる男たちの気配が、あと数歩って所まで来て仕方なく腰を上げた。



 若い男がルカに次の声を掛けるようも先に、こっちから声を掛けるしかなかった。



 突然立ち上がって振り返った俺に、ふたりの男が少し驚いたよな表情をつくり、足を止めたから助かった。



 前を歩いてた男は、近くで見ると童顔だった。



 体つきとかから考えてルカと同じ年か少し上くらいに見えるけど、もしかしたら俺より年上かもしれない。



 童顔の人間は年が分かりにくくて困る。



 年齢の推定が出来ないから、とりあえず丁寧に挨拶しておく事にした。



 女をナンパする時くらいしか使わない柔らかい笑みを浮かべて、小さく会釈をした。



 そして。



「初めまして。俺は――」


「ああ、新しい犬だね?」


 或斗です――と名乗ろうとした矢先に、またしても「犬」と言われた。



 さも当然のように。



 そこに微塵の疑問も抱いていない風に。



 ここまで来ると「犬」って言葉は何かの隠語なんじゃねえかと思ってしまう。



 成宮の人間が言うならまだしも、他人――しかも金持ち――が言うくらいだから、「犬」ってのは何かの隠語で、「犬」を持つ事は金持ちのステータスなんじゃねえかとすら思う。



 でもそれは。



「僕は、谷林たにばやしてつです。こっちは僕の執事」


 希望的観測に過ぎない。



 このテツって奴が後ろに控えてる男の事を「僕の犬」だと言えば俺の予想は当たったって事になるが、思いっきり「執事」って言っちゃったもんだから、予想はただの予想で終わった。



 ないとは思うが、「執事」が「羊」じゃない限りは動物の線もない。



 って事は、この金持ち然としてるテツもバカなんだ。



 バカの周りにはバカしか集まらないって事だ。

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