5①


 環兄ちゃんと仙人爺様が言ってた、ルカって奴が「可愛い」って言葉は、容姿の事を指してるんじゃなく性格の事を指していて。



 更には「憎たらしい」とか「可愛げがない」って言葉を嫌味っぽく言ったんだか、成宮家にのみ存在する独特の隠語だかだったんだろうと思う。



 で、「手を出すな」ってのは殴ったり蹴ったりの暴力を指しての言葉だったんだろう。



 つーか、そうに決まってる。



 それしか考えられない。



 それならふたりにされた脅しについても納得出来る。



 いくら可愛げがなくて憎たらしい奴だって、他人に殴られりゃ腹も立つだろうし、金持ちのプライドとしては許せないんだろう。



 もし俺がルカって奴を殴りでもすれば、金持ちとしてのプライドがある仙人爺様は言葉通りどんな手を使ってでも報復してくるだろうし。



 そうなると分かってる環兄ちゃんは、俺が仙人爺様の手に落ちる前に己の手でカタをつけた方が俺にとって楽だと思ったんだろう。



 とにかく何があっても殴っちゃいけないって事だ。



 仮令大福を投げ付けられようとも。



 濡れたおしぼりで顔面についた大福の粉を拭き取った俺は「あの部屋」にいる。



 てっきり人がいると思ってたのに実際は誰もいなかった挙句、デカい座卓しか置かれてなかった、障子を開けてすぐの部屋にいる。



 自分でも分かるくらい仏頂面で、用意された座布団の上に胡坐を掻いて、胸の前に両腕を組んでる。



 その俺の近くには五十代くらいの男が座ってる。



 毎日お茶や弁当を持ってきてた温厚そうな男とはまた違う男。



 眼鏡を掛けて見るからに頭のよさそうな男が、様子を窺うようにこっちを見てる。



 この男、俺が大福を投げ付けられた直後に襖の向こうから飛び出してきやがった。



 そして女に殴り掛かりそうになった俺の前に立って、待って下さい待って下さいと仲裁に入った。



 まさかまだ他にも人間がいると思ってなかった俺はまた呆気に取られてしまって、その隙に女は襖の向こうに消えて襖を閉めた。



 眼鏡の男はとにかく俺を座らせると、廊下に向かって「すみません、どなたかおしぼりと座布団を」と叫んだ。



 それから五分もしない間にあの温厚な顔の男がおしぼりと座布団を持ってきた。



 さあ座布団の上に座って下さい、どうぞ顔を拭いて、お茶を飲みますか、それとも珈琲の方がいいですか――と、眼鏡の男がマシンガンのように言葉を紡ぎ、あれよあれよと言うままに俺はふかふかの座布団の上に座って顔を拭いた。



 気付けばお茶と珈琲が温厚そうな男によって用意されてた。



 温厚そうな顔の男は持ってきた物を座卓の上に置くとさっさと消えた。



 俺は自分でも分かるくらい仏頂面で、胡坐を掻いて座ってる。



「私は、瑠花様の家庭教師をしている平野ひらのと言います」


 様子を窺うようにこっちを見てた眼鏡の男が自己紹介をしてペコリと頭を下げた。



 頭のよさそうな平野というこの男は愛想もいい。



――が。



「あなたは新しい飼い犬候補の方ですね?」


 バカな発言をする。



 勉強はメチャクチャ出来そうなのに常識はほぼ皆無らしい。



 この屋敷にいる人間は、揃いも揃ってバカばかりだ。



「それより、さっきの女――」


「瑠花様です」


 襖の方にチラリと目をやった平野は、「もう少しで終わると思います」と言う。



 家庭教師がそう言うって事は勉強が終わるって事なんだろうと思ったけど、一応「何が?」と聞いてみた。



 聞いてみるべきだと思った。



 何故なら、



「映画です」


 この屋敷にいる人間はバカばかりだから。



「……映画」


「はい。朝からシリーズモノを立て続けにご覧になってまして。シリーズ完結作が先程クライマックスシーンでしたから」


 今度は俺が襖の方に目を向ける番だった。



 かなりの苛立ちを含んだ目を。



 朝から立て続けにシリーズモノの映画を鑑賞。



 俺が廊下で待ってるにも拘わらず、悠長に映画鑑賞。



 ふざけてやがる。



 腹立たしい事この上ない。



 命を危険に晒してでも殴ってやりたいと強く思う。



 金持ちは手前勝手と相場が決まってるが、その矛先が自分に向くのは勘弁ならない。



「今はヘッドホンをして観ているのだと思います」


 腹立たしくて襖を睨み付けてただけなのに、襖の向こうから全く何も聞こえてこない事を、俺が疑問に思ってると勘違いしたらしい家庭教師は、そう説明してきた。



 ヘッドホンをしてようが、耳栓をしてようがそんな事はどうでもいい。



 何よりもまず、この場にいない事がどうなんだって話だろう。



 手前勝手な金持ちの「お嬢様」は俺が怒鳴り込んできてもお構いなしに映画鑑賞。



 更には顔面に大福を投げ付けてきたくせに、一切反省もしないで映画鑑賞。



 ふざけすぎてやがる。



 最低でも二発は殴ってやらなけりゃ気が済まない。



「さっきはちょうどクライマックスのいいシーンで、あなたが部屋に入って来たので」


 その言葉に反応して睨み付けてた襖から視線を戻すと、家庭教師はとがめるような目で俺を見てた。



 いいシーンで怒鳴り込んできたから悪いんだと、大福を投げ付けられて当然だと、家庭教師の目は語ってる。



「じゃあつまり、あの女は俺が映画鑑賞の邪魔したから大福を投げたってのか?」


 俺の問いに家庭教師は「ちょうど大福を食べていらしたので」と言った。



 説明してるようで何の説明にもなっちゃいねえ。



 大福を食ってたから何だって言うんだ。



 投げ付けていいって事にはならないし、それで俺が納得して投げ付けられた事を許すって事にもならない。



 そう言ってやろうと思った。



 あの女に対して抱いてる怒りをこの家庭教師にブツけてやろうと思った。



 けどその矢先に、



「ところで、どうして部屋の中に入ってきたんですか?」


 家庭教師は唐突に確信を突く質問をしてきた。



 更には、



「瑠花様が障子を開くまで待つという約束だったでしょう」


 柔らかい物腰で責めてくる。



 一気に形勢が逆転したような気がした。



 元々俺に分があった訳でもないけど、大福の一件で俺にも攻めの手がある感じだったのに、それが一瞬で消え失せた。



 答えに困った。



 時間経過の所為で、怒鳴り込んだ時の勢いが既になくなってるから答えに困った。



 あのボルテージのままだったら逆ギレだろうと何だろうと文句を言って、自分のした事が正当だって事を言い切ってただろうけど、今は違う。



 ムカつく事に変わりはないが勢いが違う。



 だから「あー」と間の抜けた声を出すしか出来なかった。



 どう説明しようかと悩んだ。



 その矢先、またしてもスパンッと勢いよく左側の襖が開き、



「ああ! 見つけた!」


 さっきの女が喚きながら俺を指差し、こっちの部屋に入ってきた。



 見つけたも何もない。



 俺は逃げてた訳でも隠れてた訳でもなく、ずっとここにいた。



 なのに女は「見つけた」事に「してやったり」感満載の表情をつくり、畳を踏み鳴らして近付いてきた。



「野良犬め」


 フンッ――と鼻を鳴らした女は、俺を通り過ぎて廊下に出ると、俺が三十分ほど前まで座ってパズルゲームをしてた場所に立つ。



 言うに事欠いて「野良犬」とはどういう了見だ。



 これはもう絶対に殴っていいフラグだと思う。



「何だと、この――」


「草履がない!」


 膝を立てて立ち上がろうとした俺の言葉を遮って、矢鱈とデカい声を出した女は俺に振り返る。



 振り返った女は真っ直ぐに俺を見てる。



 愕然とした。



 呆気に取られまくった。



 どう見ても、女の目は俺が草履をったと言わんばかりだった。



 多分、いつもは廊下から直接庭に出られるように、今女が立ってる辺りに草履が置いてあるんだろう。



 でも俺がここに来てる間、草履なんかどこにもなかった。



 だから当然俺に草履を盗れはしないし、ずっとそこにあったとしても盗る訳がねえ。



 草履盗っても嬉しくも何ともねえ。



 常識的に考えてある訳ねえだろうって疑いを俺に向ける女は、



「まさか懐に?」


 今度は俺を唖然とさせる事を言う。



 何だろう。



 何て言えばいいんだろう。



 この直感的に、女が何を言わんとしてるか分かる感じ。



 分かりたくねえのに、分かるこの感じ。



 分かった自分に腹が立つこの感じ。



 懐に草履なんかない。



 そんな、木下きのした藤吉郎とうきちろうのような事はしてない。



 してくれと頼まれたって即座に断る。



 つーか、そうなったらもう「犬」じゃなくて、「猿」か「鼠」じゃねえか。



「おい、お前」


 気を取り直して女に向かってそう声を掛けた時だった。



「瑠花様!」


 離れた場所からそんな声と同時に慌てたように廊下を走る足音が聞こえてきた。



「草履は、ここに御座います!」


 そう言って俺の視界に入ったのは、あの温厚そうな男。



 男の手には真っ赤な草履と男物の下駄がある。



 女はそれを見遣ると「うん」と一言言った。



 温厚そうな男が屈んで草履を庭に置く。



 女が草履を履いて庭に出る。



 俺が言った「おい、お前」って言葉は、最早春の風に乗って遥か彼方へ行ってしまっていた。



 どうにもこの屋敷にいる人間は、ことごとく俺の言葉を遮りやがる。



 出てくるタイミング、話すタイミングが全部俺の邪魔をする。



 俺はまたしても、言ってやろうとした文句を呑み込みざるを得なくなって、片膝を立てたままの間抜けな格好で、庭に降り立った女を見てた。



 二、三歩進んだ女は不意に振り返り。



「早く」


 徐に口を開く。



 一瞬家庭教師に言ったのかと思ったけど、その目は真っ直ぐ俺に向けられてた。

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