穢れ

@s49joker108

第1話

 総合商社の営業部で働く私の卓上電話が鳴った。

「はい、岡田です」

「係長、お電話です。警察の方から…」

取り次いだ女子社員の声からも戸惑とまどいが伝わってくる。

「…? いいよ、つないで」

警察? 全く心当たりがない。まさか、昌枝と花江が事故にでもあったのか? 鼓動が急激に高まるのを感じた。



「もしもし、岡田です」

「もしもし、私、警視庁等々力とどろき警察署、刑事課の森田と申します」

 刑事課…? ってことは、事故じゃないのか? なら何だ? 

「はい…、どのようなご用件でしょう…?」

不安に押しつぶされそうになりながら声を絞り出す。

「いきなりのお電話で恐縮です。実は、四井ホームの方から、岡田さんの連絡先をお伺いしてお電話差し上げました」

 四井ホームはマイホームの建築を依頼している住宅販売メーカーである。



 念願のマイホームは完成間近で、年末には引っ越しを終え、妻と娘の三人で、新居で新年を迎える予定だ。

 場所は世田谷の桜新町駅から徒歩十五分。閑静な住宅地で周辺に緑も多い。子育てをするのに絶好な場所として、銀行から限度額いっぱいを借り入れて購入した。自分と妻のこだわりを詰め込んだ夢の新居である。



「四井ホーム…。はあ、それで、どのようなご用件でしょう?」

いずれにしても警察が連絡してくるということは、良い知らせではないだろう。受話器を握る左の手のひらが汗で濡れる。



「桜新町の、岡田さんの住宅で、ですね、その…」

受話器の向こうで、刑事が言い淀む。

「ま、まさか、火事じゃないですよね?」

自分の言葉に不安が増大する。足が震え出した。右手で押さえ付けても止まらない。



「いえ、火事ではありません。建物は無事です」

 最悪は回避できた。銀行からの借金も無駄にはならない。しかし、いったい何が?

「驚かないで聞いてください。住宅の中で、女の子の遺体が見つかりました」

「え?」

 思わず漏れた叫び声に、周囲の視線が突き刺さる。しかし、そんなことは気にしていられなかった。床が大きく揺れているように感じ、机の上に手をついて踏ん張らねば、座っていられなかった。

 し、新居に、女の子の遺体…。どういうことだ? 状況が理解できない。腹の底から絞り出すように訊く。

「え、どういうことですか? 何で、私のうちに…?」

「詳しいことは直接お会いしてお話し致します。それで…」

 



 それからのことは、夢の中の出来事のようだった。

岡田は居ても立っても居られず、上司に早退を願い出た。岡田の真っ青な顔に、上司は何も言わず了承してくれた。

 電車とタクシーを乗り継いで現場に急いだ。外構工事まで進んだ新居は、黄色の立ち入り禁止テープで囲われていた。

 立っていた制服を着た警察官に事情を話すと、中からスーツ姿の男が現れた。

「お電話差し上げた、森田です」

分厚い筋肉をまとった、四角い体型の男だった。

「え、え~と、どういうことなんですか…? それで、い、遺体はどこに…?」

刑事が案内したのは、二階の南側の部屋だった。小さい人をかたどった白色のテープが、フローリングの上に置かれていた。そこは子供部屋するはずの部屋だった。

「ううっ…」

小さい人型が娘と重なり、思わず口元を押さえた。



 刑事が説明した事件の概要はこうだった。

 昨日の夕方、近所の主婦から「小学一年の娘が小学校から帰らない」と110番が入った。

 子供の行方不明は重大事件に発展するおそれが高い。等々力警察署では寮員招集をかけ、女の子の捜索にあたった。

 その夜、女の子は遺体となって、建築中の一戸建て住宅の中から見つかった。死因は扼殺であり、暴行された形跡があった。

 建築中の住宅を捜索したのは、聞き込みで、付近の住民からの「うめき声が聞こえた」との証言によるものであった。

 外構工事を行っている下請け業者の男が、任意同行され取調べを受けているとのことであった。男には性犯罪で前科があるらしい。

 丁寧な説明だったが、正直、捜査のことなど、どうでも良かった。新居となるはずの住宅で、遺体が見つかった。そのことが問題だった。

 建物が傷ついたわけではないし、血痕や汚物が残っているわけでもない。クリーム色基調で整えられた屋内は、以前と全く変わっていない。なのに、全く違うもの変わってしまった。美装工事が終わり内覧をした時に感じた、柔らかで暖かな雰囲気は消え去っていた。

 それは心理的なものに過ぎないのかも知れない。ただ、あまりに大きかった。

新居となる建物の中で、いたいけな少女が殺された。少女が感じた恐怖や苦しみが、目には見えないけがれとなって、家中に飛び散りこびりついているように感じられた。

たった一つの死が、夢だったマイホームをまわしいものに変えてしまった。たった一つのけがれに、家中が汚染されてしまったと言っていい。

諦めがつかなかった夫婦は、近所のお寺にお祓いを依頼した。しかし、何も変わらなかった。被害者の少女が我が子と重なり、それを振り払うことができなかった。

夫婦は、住宅販売メーカーと下請けの工務店を相手取り、使用者責任で訴えたが、ある理由で瑕疵は認められなかった。任意同行を受けた男は、DNA鑑定の結果、真犯人ではなかったのである。

 結局、入居する前に事故物件になってしまった新居に住むことができず、二束三文で不動産会社に売り渡しかなかった。事件が大々的に報道されてしまった影響も大きかった。

 マイホームの夢は思わぬ形で終わりを告げた。残ったのは多大な借金だけであった。

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