第25話 女王VS姫①
マットレスと敷布団と掛け布団とシーツ。それに枕と枕カバー。ジロウは布団のセットを数えながら、不機嫌極まりない、可能な限り低い声を出した。
「……なんで来たんだ、二人とも」
「俺の車で来た」
「お兄さんの運転でね」
「ネビュラお前、車持ってるのか!? それに兄貴も!? ……いや、いや違う。そういう話じゃない! ……もういい」
ジロウはそれきり黙って布団を並べる準備を始めた。失意のまま京都まで全力で走ってきて、結果男には戻れず。一番会いたくない二人にはすぐ再会してしまった。挙句祖母には魔法少女の素質について太鼓判を押されるという、何もかもが望まない方向に進み、全てがどうでも良くなっていた。
「……とにかく、二人は朝になったら帰ってくれ。俺はもうサイタマシティには帰らないからな」
「帰らないって……桜木。この先どうする気なの?」
「京都に残って出家する」
「出家?」
ミヤコとネビュラの声が綺麗にハモった。
「……記憶がなかったって言っても、あんな醜態晒しておいて、男に戻らずに帰るなんて俺にはできない。幸いここなら寺がいっぱいあるから、俺みたいな半端者でも受け入れ先の一箇所くらいあるだろ。だから頭を丸めて出家する。床屋の予約も取った」
「……」
ジロウが突然見せた謎の決意に、二人とも言葉を失った。内容はともかく本気だけは伝わってきた。
「……話変えちゃうけど。ところで桜木。三人とも同じ部屋で寝るの? 一応男子と女子だし、それは流石にちょっと」
黙々とジロウが布団を三枚並べたところでミヤコから苦情が入った。
「あ、……ごめん。そうだよな、ここ襖で仕切れるから、二つに分けよう」
「そうだな。俺とジロウがこっちで、ミヤコを奥にすればいい」
「……ちょっと待って」
ミヤコは短いながらも深く深く悩んだ。色々なものを秤に乗せて、ごく僅かに緩んだ口元を手で隠したネビュラの態度が決め手になった。
「……私と桜木が奥。早乙女くんがこっち」
「いや駿河、……駄目だろそれ」
「そうだぞミヤコ。再考の余地ありだ」
「早乙女くんうるさい。桜木も、しょうがないでしょ。今は女の子だし、もう男子に戻るのも諦めたんでしょ?」
「……いや、諦めたわけじゃ……」
「自分で言ってたじゃない」
「それはまあ、そうなんだけど、じゃなくて」
「出家はともかく、諦めるのは悪いことじゃないって、私は思うけど」
ミヤコの台詞にジロウは引きずっていた布団から手を離した。
「……駿河。それ、どういう意味だ?」
「だってずっと頑張ってきたの見てたから。本当は嫌なのに、魔法少女として街を守ってくれてたじゃない。諦めて桜木の心が楽になれるなら、それもアリだと思う」
屋上でジロウと遭遇したあの日から、ミヤコはジロウを見続けてきた。見守ってきたなどとおこがましいことは言わない。それでも見てきたのは間違いない。だからこその台詞だった。
「……いや」
ジロウは雑念を払うように頭を振った。
「俺は、それでもやっぱり、男に戻りたい。それだけを考えてやってきたんだし」
「うん」
ミヤコは静かに頷いた。ネビュラも何か言いたげにはしていたが、口を固く閉じて耳を傾けていた。
「男に戻って、魔法少女も辞めて、地味でも目立たなくても、男として生きていきたい。それは変わらない。……変わってない」
「そう言えば桜木、その話。辞めるって、お婆さんの許可は取れたの?」
ジロウがかつて口にしていた当初の目的をミヤコは思い出した。だがジロウは暗い顔で首を横に振った。
「……あとでまたちゃんと話す。魔法少女だけでも辞めさせてもらわないと、本当に何しに来たか分からないからな」
「そんなん許すと思うんか?」
その声は暴風の形をしていた。突如屋内に発生した旋風によって座布団が、障子が、襖が、ジロウが敷いたばかりの布団が吹っ飛んだ。
「……黙って聞いとったらなんや出家するだの魔法少女辞めさしてもらうだの、好き勝手言いおって。そんな勝手、ウチが許すわけないやろ。アホか」
ミシミシと悲鳴を上げていた雨戸が弾け飛ぶ。
「表にきいやジロウ。お前の性根叩き直して、お願いですから魔法少女さしてくださいて自分から言わせたるわ」
そんな声を残して黒い影が居間を通り過ぎていった。あまりの速度に、ミヤコにはその姿を目で追うことはできなかった。
「……上等だ。婆ちゃんを倒して、俺はこのふざけた魔法少女の呪いを断ち切ってやる」
ジロウはポケットから取り出したブローチを握って変身を念じた。もう必要のない動作なのかもしれないが、今さら変える気もない。ある種のルーティンのようなものだった。
天の川が見える満天の星空の下。手入れの行き届いた庭のある日本邸宅の上の空中に、ピンク色のフリルドレスの魔法少女と、黒いフリルドレスのハルエが向かい合って立っていた。
「魔法……お婆さん?」
「魔女と呼ぶべきじゃないか?」
「れっきとした魔法少女や!」
ミヤコとネビュラの分析にハルエが怒声を返した。
「いや……無理があるだろ、婆ちゃん」
いきなり戦意を削がれたジロウが情けない声を出した。
「……随分余裕やな。その余裕、恐怖で塗り替えたるわ」
とても祖母とは思えない発言をしたハルエの周囲に五つ、五色の光球が生まれた。
「知っとるか知らんから教えたる。火水風土に雷。お前が今から喧嘩する相手は、全ての自然現象を操れる、最強の魔法少女や」
「……くっ」
蒸気を含んだ熱風が渦巻き、早くもジロウの背中を汗が滝のごとく流れた。
「流儀に倣って聞いとこか。ジロウが勝ったら魔法少女を辞める。それでええんやな」
「……そうだ」
「流儀なんだ」
「確かにユメミとの勝負のときも同じような会話があったな」
ミヤコとネビュラの呑気な会話をジロウは聞いていない。その程度に、対峙した祖母から受ける重圧は凄まじかった。
「ウチが勝ったら……どないしよかなあ」
「……魔法少女を続けろって言うんだろ」
「アホ。そんなん当たり前や。……せや、ジロウの恥ずかしい動画でも、全世界に流したろか。二度と男に戻りたいなんて言われへんよに」
「……恥ずかしい……動画?」
ジロウの頬を汗が伝う。
「こんなんや」
ハルエが手を挙げると背後の空気が帯電して歪み、大きなスクリーンになった。
どこかの公園。先ほど観た動画と同じ、ピンク色のフリルドレス姿の幼いジロウ。
「よう似合っとるで、ジロウ」
撮影者と思しきハルエの声に、幼いジロウは恥ずかしそうに逃げて、すぐ戻ってきた。
「……似合ってる? ほんと?」
「ほんまや。ジロウがいっちゃん可愛ええ」
「えへへ……。あのね、……お婆ちゃん。ボクね、大きくなったら、お婆ちゃんみたいな魔法少女になるんだ!」
カメラに向かって、眩しいほどの満面の笑顔。
「ぐっ……!」
ジロウは心臓の辺りを手で押さえた。動画から受けたダメージは小さくなかった。
「可愛かったなあ、ほんまに」
「心温まる動画だな」
「ホームビデオってほっこりするね」
「やめろ……! やめてくれっ!!」
ジロウは祖母に懇願したが、当然のように無視された。
「まだあるで」
ハルエが指を鳴らすと映像が切り替わる。見覚えのある整然とした部屋に、今と同じ、しかし少し若く見える魔法少女のジロウが立っていた。
「ジロウの部屋だな」
ネビュラが呟きミヤコも「だね」と頷く。
「……ちょっと待て。この動画って……」
ジロウは石膏像のような顔色で画面を見上げた。誰も知るはずのない、ジロウが初めて変身した日の映像だった。
画面の中、部屋の中央に立つジロウのほうは、自分と鏡を何度も見返していた。
「……これが……俺……?」
信じられないという顔から、鏡に向かってぎこちない笑顔。ドレスを指でつまんで広げてみたりしてからの、クルッと一回転。そして決めポーズとまた笑顔。
「ふむ。初々しくて実に愛らしい」
「なんだ。結構その気あったんじゃない」
「盗撮だろこれ……なんてことすんだ……」
ジロウは胸を掴んだまま空中で器用にうずくまった。怒りのあまりに自分の心臓を握り潰しそうな勢いだった。
「ティックトックちゅうたか? この動画をインターネットで公開して、最近FPSでフレンドになったユメユメちゃんに頼んで拡散してもらうわ」
わざわざジロウの笑顔のアップまで巻き戻された静止画の前で、ハルエは邪悪な笑みを浮かべた。
「FPSとは何だ、ミヤコ?」
「ゲーム。なんかオンラインの? あんまり知らないけど」
「ふむ。しかしユメミの手はすでにハルエまで伸びていたか。やはり侮れないな」
ミヤコとネビュラの会話はもうジロウの耳にも入らなかった。
「このクソババア…………ッッ!!!!」
「婆ちゃんに向かってなんちゅう言い草や」
「やかましい! 望み通り全力でぶっ潰してやる!!」
ジロウが両手の拳を強く固く握り締めると背中から大きな白い翼が生えた。
「何が全力や。手加減とか考えんのはウチの側の話や。……そんなんせえへんけどな」
ハルエの背中からは黒い翼が。
こうして祖母と孫。女王と姫。新旧二人の魔法少女の決戦が幕を開けた。
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