第14話 特別な魔法少女
それが夢だとジロウは夢の中ですぐに気付いた。夢でなければならない。その地獄からはもう解放されているのだと自分を説得して、どうにかやっと正気を保てた。
子供が泣いていた。冷徹な顔の老女がそれを見下ろしていた。子供は幼き日のジロウ。老女は祖母の桜木ハルエ。それがこの、過去の追体験という悪夢の登場人物だった。
「……お婆ちゃん! お婆ちゃああん!」
「何べん言わすんや。ソレ全部観終わるまで、この部屋から出たらあかんゆうたやろ」
布団とテレビしかない畳二枚分ほどの極狭の和室。それが離れの茶室を改造して作った座敷牢だったとはあとで知った。
山のように積まれたディスク。BD、DVD、ビデオカセットなんてものもあった。
「英才教育や」
祖母はそう嘯いたが何のことはない。祖母のコレクションでもあった、魔法少女モノのアニメを延々と観るだけの時間。ただし夏休みの間中、昼夜もなく。
毎日二四時間、映像が途切れることはなかった。それもまた魔法だったのだろうと、現在のジロウは分かっている。
鍋で煮られているような京都の夏。狂ったように騒がしい蝉時雨。流れ続ける魔法少女アニメ。寝ても覚めても、やがては夢の中までも。映像、光、色彩、音。あらゆる形で魔法少女が追いかけてきた。
小学校に上がってから中一まで。ジロウの夏休みとは地獄の代名詞だった。
そんなある日。中一のとき。夢か現実かも分からないほど朦朧とした意識の中でジロウは一人の魔法少女と出会う。どんな魔法少女よりも強く。美しく。可愛らしく。背中に大きな翼を背負ったその姿に、当時のジロウは否応もなく見惚れてしまった。
「それやジロウ! それこそがお前さんの理想の魔法少女の姿や!!」
地獄からの解放。鬼のようだった祖母の目に薄っすらと涙が浮かんでいた。それに気付いたかつてのジロウも、何かを成し遂げたという奇妙な達成感と相俟って、目頭を熱くした。それが新たな地獄の扉に辿り着いただけとも気付かぬまま。
「……馬鹿しかいないのか?」
夢の中で吐き捨てたとき、ジロウは自分の意識が現実へと呼び戻されていくのを感じた。
「……大丈夫かジロウ!」
目覚めた瞬間。目の前にネビュラの顔があったので、とりあえずジロウは思い切り平手打ちをした。
「あ、意識戻った? 良かったー! 流石に心配したんだよ……痛っ!!」
横にいたユメミの頭には力一杯の拳骨を。
深夜の神社。ベンチの上。ネビュラの膝枕で寝かされていたと気付いて、ジロウは慌てて飛び起きた。
「……何がどうなったんだ?」
勝敗は分からないが勝負は終わっていたらしい。ジロウもユメミも魔法少女モードが解けて、それぞれ制服と私服に戻っていた。
「憶えてないんだ、やっぱり」
何故か残念そうな顔をしたユメミが事の顛末を説明した。その話を聞いている間、ジロウの顔は赤くなったり青くなったりと大忙しだった。
「……って感じで。いやー……大変だったんだよ、私とネビュラくんで食い止めたけど、もうちょっとでこの街がなくなるとこだったんだから」
「運良く宇宙パワーと魔法パワーを融合できて、簡易ブラックホールを生み出せたから難を逃れたが、まさに間一髪だった」
手振りを交えて話すユメミにネビュラも同意した。
「いくらなんでも、それは大袈裟だろ?」
「じゃあ証拠見る? ドローン回収したから」
「ドローン?」
顔をしかめたジロウにユメミはスマホを介して映像を見せた。
大きな純白の翼を生やした魔法少女が、白銀色に輝く弓で空を覆い尽くすほどの魔法矢を放つ姿。
「……誰だコレ?」
「誰って。ジロウくんじゃない」
「コレが?」
映像の中の魔法少女は全身から眩い光を放っていて、どうにも全容が視認しにくい。翼があることと弓を持っていること。それと、おそらくは白いロングドレス型の衣装を身に纏っているらしいことが辛うじて判別できた。
「……人違いじゃないか?」
「んなわけないでしょ。切り替えるからちょっと待って」
ユメミが二カメ、三カメと映像を切り替えていき、「どんだけだよ」とジロウが突っ込んだところで手を止めた。六カメ。顔のアップ。紛れもなくジロウの顔だった。
「……俺だ」
「そう言ってるじゃない」
「でも服が違う。なんか羽生えてるし」
「覚醒してたから、ジロウくん。って言うか暴走?」
「覚醒? 暴走?」
「まあとにかく。こんなの見せられちゃったらね。流石の私でも、素直に負けを認めるしかないよねー」
「……??」
知らないうちに勝負は終わっていて、知らないうちに勝っていた。それを結果オーライと呼ぶ図太さを、残念ながらジロウは持ち合わせていなかった。
「……俺の勝ち? ってことは、約束は守ってもらえるってことでいいのか……?」
「まあねえ、約束だし。ジロウくんがお休みのときは、ちゃんとサイタマシティも頑張って守るよ」
「お休み? ……いや、俺辞めるんだから、この先ずっとなんだけど。せめて次の担当が見付かるまで」
「えっ! まだそれ言ってんの!?」
「まだって、もともと俺は……」
「……もしかしてジロウくん、アルティメットモード、知らないの?」
「アル……何?」
「やっぱり」
ユメミがわざとらしく溜め息をついた。
「魔法のことも詳しくないもんね、ジロウくん。まあ組合入ってないからしょうがないのかな」
「組合?」
さっぱり話が見えないジロウは物覚えの悪いオウムのようになっていた。
「うん、魔法少女組合。……けどその話はまたにしよっか。長くなるし。それよりアルティメットモードね。ジロウくん、憶えてないみたいだけど、とんでもないことしたんだよ?」
「とんでもないって……」
嫌な予感を抱きながら、ジロウはユメミが操作するスマホを覗き込んだ。暴走して大暴れしたという自分の動画だが、その輝き、衣装、翼と、分かった上で見ても自分とは思えない。魔法の弓矢を生み出す方法にも心当たりがなかった。
「ずっと昔、五〇年くらい前に、一人だけ。女王って呼ばれてる伝説級の魔法少女がね、世界を救うときにこのアルティメットモードになったんだけど。ジロウくんはそれと同じことしたんだよ」
「……はあ」
「全然ピンと来てないねー」
ユメミがやれやれと首を振った。
「……宇宙から襲来した多数の勢力が、同盟を組んでこの地球を攻めた」
ネビュラがユメミに補足を入れた。教科書を音読する口調だった。
「だがその作戦はたった一人の魔法少女によって失敗に終わる。同盟は壊滅し、敗走を余儀なくされたんだ。これは宇宙史にも残る大事件だ」
「へえ……」
ジロウの薄い反応にネビュラも軽く頭を振った。
「駄目だな。やはり今一つ実感が湧かないようだ」
「うーん」
「まあ……どっちにしても、辞めるしな、もう俺。魔法少女」
「だから駄目だって!」
ユメミがジロウの手を握り締めた。
「特別な魔法少女なんだよ、ジロウくんは!全ての魔法少女の憧れ! 素質とか才能とかそういうのを持ってる、特別な女の子しかなれない存在なんだから!」
「…………特別な、女の子……?」
ジロウは巨大なハンマーで頭を殴られたような顔をした。
「そう! ジロウくんは特別なの! だから辞めちゃ駄目! 絶対!!」
「…………」
力説するユメミの汗ばんだ手から自分の手を引き抜き、ジロウはフラリと立ち上がる。
「……帰る。もう遅いから。明日学校だし。ネビュラもサボるなよ」
そんな内容のことをブツブツ呟きながら、そのままフラフラと神社をあとにした。
「……特別。……素質とか才能……」
出来が良いとしか言えない兄や従兄たちを眺めて育ったジロウには、それら全てが欲してやまない、まさに「特別」な言葉だった。だがそれは断じてこんな意味じゃない。
何をしても人並み。それ以上でも以下でもないと思っていた自分に与えられたらしい、魔法少女としての才能。
「……いやもっとこうさ。勉強でも運動でも、ケン玉とかでも。他にいくらでもあるだろ? それが……特別な女の子? って何なんだ?」
雲に覆われた夏の夜空にジロウは問い掛けた。もちろん返事はなかった。
「どうすりゃいいんだ、これから……」
勝負には勝ったらしいがユメミとの約束がどうなったのかは良く分からない。未だ男に戻れず、本当に戻れるかも分かっていない。分かったのは自分に妙な才能があったということだけだ。
「……馬鹿は俺だ」
丸まったジロウ背中には、とても一五歳とは思えない哀愁が漂っていた。
ジロウが立ち去ったあとのヒカワ神社で。
「金脈だと思ったけど……まさかのダイヤ鉱山だね、ジロウくん。絶対に辞めさせないようにしなきゃ……どんな手を使っても」
「やはり俺の目に狂いはなかった。改めて確信したが、妻にするのにジロウ以上の存在はいない」
それぞれ全く別の内容でジロウに思いを馳せていたユメミとネビュラの視線が不意に交錯して、互いに小さく頷き合った。そして手早く連絡先を交換した。
目的こそ異なるが利害の一致した魔法少女と宇宙人の同盟が成立した瞬間だった。
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