第3話 愛のパワー(仮)

「何、アレ? なんなの……?」

 ポリバケツの上に佇む、ぽっちゃり体型の白猫のぬいぐるみ。その顔にぽっかりと空いた闇そのもののような二つの穴から、ミヤコは目が離せずにいた。

「……逃げるぞ、駿河」

「え? 私も?」

「狙われてるのは駿河だけど」

「一緒に逃げよう、桜木!」

「……結構いい性格してるよな……」

 ミヤコが急いで会計をして、二人揃って店を飛び出した。買い物客で混んでいるアーケードを走り抜けてそのまま駅と反対方向へ。

「どこ向かってるの!?」

「とにかく人がいない場所だ!」

 ジロウは足を緩めず、ミヤコは必死にそのあとをついていく。ぬいぐるみの姿は見えないが、ジロウの様子から追ってきているのは間違いないと思えた。


「この辺まで、来れば、まあ……」

「……でも、追って、来てるんでしょ?」

 無人だった小さな公園のベンチにバッグを置き、ジロウとミヤコは息を整えた。まだ明るいが夕刻の風は肌に冷たく、心地良かった。

「……で、なんなの? アレ?」

「魔法生物……って言うのか? 良くあるだろ、魔法少女に付き物のマスコットみたいなの。昔婆ちゃんが魔法で作ったらしい。確か名前はコタロウだったか」

「……マスコットって言うより、ホラー映画に出てきそうなぬいぐるみだったけど」

「とっくに死んで、秘密を知った人間を始末するだけのゾンビになってるからなあ」

「まんまホラーじゃない!」

 ミヤコが声を張り上げたとき。どこからかズルズル、ズルズルと何かを引きずる音がした。今しがた二人が走ってきた道を、あのぬいぐるみ、否、ぬいぐるみゾンビが下手くそな二足歩行で歩いてきていた。


「……ねえ桜木。変身して魔法でやっつけられないの、アレ?」

「あんなのでも一応味方だから、俺の魔法は効かないんだ」

「味方!? じゃ、じゃあ襲われない?」

「俺は」

「私は?」

「最悪殺される」

「……」

「それか記憶がなくなるくらいボコボコにされる」

「……どっちも嫌なんだけど」

 ぬいぐるみゾンビが公園の中へと足を踏み入れた。

「……逃げなきゃ」

「逃げてもずっと追ってくるんだよなアレ」

「……なんか冷たくない? 桜木」

 ミヤコが横目で睨むとジロウは小さく首を振った。

「今どうするか考えてたんだ。一つだけ、奥の手があるにはあるんだけど……」

「え! じゃあ早くその手使ってよ!!」

「……いや……あんまり気が進まない方法って言うか」

「そういう問題じゃないでしょ! ほらもうそこまで来てる!!」

 ミヤコはジロウの腕を掴んでガタガタ揺すった。「仕方ないか」とジロウはようやく決意を固めた。


「……駿河はここでちょっと待ってろ」

「えっ? はあっ!?」

 突然ジロウがぬいぐるみゾンビに背を向けて走り出し、公園の隅にある物置の裏に消えた。ぬいぐるみゾンビとジロウの消えたほうを交互に見て、ミヤコは迷わずジロウを追いかける。物置の裏。そこにはズボンを下ろしたばかりのジロウの姿が。

「何してんの!? こんなときに!」

「待ってろって言ったろ! 変身するんだから!」

「あ。……あー、そっか。ごめん」

 これは確かに自分が悪い。ミヤコは素直に謝ってジロウに背を向けた。

「まったく……」

「ごめんてば」

 もう一度謝りながら、ミヤコは変身を終えたジロウをしげしげと眺めた。

「でも本当に可愛いね。同じ桜木とは思えないくらい」

「いいからそういうの、もう」

 感心したミヤコと辟易したジロウは一緒に物置の裏から出た。その目の前に、両腕を振りかぶったぬいぐるみゾンビが立っていた。


「!!?」

「駿河!」

 ジロウは素早くミヤコを庇いつつ、ぬいぐるみゾンビに強烈な蹴りを放った。白い身体が柔らかいボールのように飛び、遠くの木に当たってボトッと落ちた。しかしすぐ起き上がり、何事もなかったようにまた歩いてくる。

「効いてない……よね。魔法も効かないんでしょ?」

「見ての通り、って言っても分からないか。今のが俺の魔法だ。魔法キック」

「魔法キック?」

 胡散臭そうな顔をされてジロウは少しだけ傷付いた。

「……まあそれはいいとして。問題はここからだ。奥の手……いやでも、やっぱり、これは……ちょっとどうかな……」

「何ブツブツ言ってるの!? もうほら、またすぐ来ちゃうでしょ!」

「……そうか。そうだよな……じゃあ、駿河。ちょっとこっち向いてくれ」

 ジロウはミヤコの半袖を掴んでクイと引っ張った。

「な、何……?」

 ミヤコは妙な悲壮感を漂わせるジロウを見下ろす。変身したジロウはミヤコより一〇センチほど背が低かった。


「……いいか、駿河。これから俺がすることは、全部駿河がヤツに襲われないためにやることだからな」

「え? ……あ、うん。分かった……」

 全く分かっていないが、ほかに答えようがない。ジロウは小さく頷き、覚悟を決めて大きく息を吸い込み、より大きな溜め息にして全て吐き出した。

「分かったから早くして!」

 ミヤコに叱られて、今度こそ覚悟を決めた。そして。

「悪い、駿河!」

 そんな声と共にジロウはミヤコに飛びついて、その身体を強く強く抱き締めた。




「!? えっ! ちょっと! 何!?」

 まるで状況が見えず、ミヤコはジロウの腕から逃れようともがいた。だが小柄な身体の細い腕に一体どれだけの力があるのか、ジロウはビクともしない。

「少しの間だけ、目を閉じててくれ」

「無理! 無理だから、桜木!!」

 魔法少女の可愛らしい顔が近付いてくる。だが中身はクラスメイトの男子。ミヤコは軽くパニックを起こし、首だけでどうにか避けようと試みたがすぐ力尽きた。そんなミヤコの頬に、ジロウの唇が触れるか触れないかギリギリくらいごく僅かに触れた。

「な、何これ……!?」

 次の瞬間。ジロウとミヤコからピンク色の光が生まれ、広くはない公園を包み込んだ。光を浴びたぬいぐるみゾンビが電池切れのように動きを止めてバタッとその場に倒れる。すかさずジロウが駆け寄って、思い切り遠くへと蹴飛ばした。


「……何が起きたの?」

「……魔法少女の奥義、愛のパワーだ」

「え? ごめん桜木、もう一回」

「勘弁してくれ。俺だって恥ずかしいんだ」

 撫然とした顔でジロウは物置の裏に消え、見慣れた男子高校生の姿で戻ってきた。

「やっつけたの? あの、コタロウだっけ。ぬいぐるみのゾンビ」

「いや。……駿河が始末対象じゃなくなったから、停止しただけだ」

「? どういう意味?」

「アイツは俺の身内には攻撃しないんだ」

「身内?」

 話が見えず、ミヤコは眉を寄せた。

「……つまり……だな。その、愛のパワーってのは本来、恋人同士で使う技なんだ。だから駿河を、その、一時的に、恋人みたく扱って」

「え、やだ」

 ジロウはミヤコに一刀両断された。

「だから今だけ、仮にって言うかさ……」

「今だけでも仮でもやだ」

「死ぬよりマシだろ!?」

「…………どうかな。どっちだろ」

「悩むところか…………?」

「助けてもらったのは分かるけど、でもキスはなくない? 例えほっぺたでも」

 ミヤコはバッグからハンドタオルを出して顔をゴシゴシ拭いた。

「なんなら先に説明するとか、もうちょっとあったんじゃない? やり方?」

「……先に説明したら断っただろ?」

「うん。もちろん」

「……だから、気が進まないって何度も言ったんだ……」

 どうせこうなるだろうとは予想していた。予想してはいたが、そこまで嫌がらなくてもとも思った。駿河の、いやクラスの女子の中で自分の評価がどれだけ低いのだろうかと考えずにはいられない。

 思春期の男子は打たれ弱い。小さくない傷を心に負い、ジロウはふらふらと後退してミヤコから距離を取った。そして誰かにぶつかって「あ、すみません」と詫びながら背後を振り返る。

 そこに、金髪の宇宙人が立っていた。


「……ュッ!!?!」

 ジロウの口から変な音が漏れた。

「ここで何をしていた」

 何故か怒っている。表情には全く出していない。声も静かなものだったが、明らかに怒っている。

 昨日と同じ黒のタキシード。加えて今日は何故か手に花束を握り締めていた。

「キスがどうとか聞こえたが」

 罪のない花束が、金髪の宇宙人の手の中でクシャと悲痛な音を立てた。

「質問に答えろ。ここで何をしていた、桜木ジロウ」

「!?」

 突然名前を呼ばれてジロウの身体が硬直した。空気が急速に張りつめる。それは修羅場の空気に良く似ていた。

「……なんだろ。プロポーズに来て、浮気現場を目撃した人みたい」

 緊迫の高まった公園でただ一人。ミヤコだけが些か呑気なことを考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る