底
もこまり
底
今日も終わった。
疲れた、マジで……。
しかし、あのクソ上司、腹立つな。
俺が帰ろうとする直前で仕事振りやがった。
あいつの脂ぎった顔、前から嫌いだった。
今度あること無いこと書きこんでやろうか。
クソ上司め。
仕事終わりのボーっとした頭で、梶は
ふらふらと歩いた。
そして、エレベーター前に立ち、下りのボタンを押した。
……………
なかなか来ない。
遅ぇな。
待つ間、絵里奈にラインをする。
こいつのプロフィール画像は、真っ赤な
ネイルを施した右手。
内容は………っと。
まぁ、適当に打っておけばいい。
こんな女、ただの暇潰しだ。
真理香は?
明日、キャンセルしようか?
真理香の清楚なワンピース姿を思い出す。
最初は、はにかんだような笑い方をする可愛い女だった。
…が、こいつもだんだん面倒臭くなってきた。「将来」のことなんか話題にし始めやがった。
知らねぇよ。
俺は一生、勝手気ままに生きる。
お前だけじゃないんだ、女は。
束縛するんじゃねぇよ。
そんなことを思いながら、スマホの画面を
眺めていたら………
ーーーーチン!!
エレベーターの到着音が鳴った。
重そうに扉が開く。
やはり真理香にはキャンセルのラインを入れようと、最初の文字を入れながら足は一歩を踏み出す。
ーーーガタッ!!!!
いきなり踏み外した。
???!!!
え???!!!
………なんと、床が無い。
わーーーーーーー
真っ暗闇が口を開けていた。
もの凄いスピードで落ちていく。
衝撃に備え、反射的に目を強くつむった。
……………
???!!
―――――あれ?
おかしかった。
すでに体が激しく叩きつけられていい頃だ。
なのにそれが無い。
落ち続けている。
まさか……
俺は死んで、いまから走馬灯を見ようとしているのか?
しかし、未だ目の前は真っ暗闇のままだ。
最初は落下することに無我夢中だった。
それがだんだん体が慣れてきたためか、落下速度が緩やかになったのか定かではないが、ふわふわと落ちているように感じてきた。
ゆっくりと思考も出来るようになってきた。
どういうことだ、これ。
なぜ着地しない?
梶はしばらく身を任せていた。
すると……
真っ暗闇の中、突然、鐘とも銅鑼ともつかない音が、
ンオォーーーン
ンオォーーーン
ンオォーーーン
ンオォーーーン
幾度となく大音量で鳴り響いた。
なんだ?
なんなんだ?
周りを見回したが、何もみえない。
そして、その余韻は、やがて暗闇の中に吸い込まれていった。
一体全体どうなっている?
この暗闇の向こうになにがあるんだ?
梶はそのまま落ち続けていた。
しばらく経つと、唐突に、まるで大勢の男たちのお経のような声が一斉に響いた。
なにやら繰り返し唱えている。
しかし、何と唱えているか、はっきりと聞き取ることは出来ない。
やはり俺は死んだのか?
死んだんだな?
落下してからだいぶ経つ………と思う。
あれから、ずっと真っ暗闇のままだ。
腕時計を見る。
時計の文字盤がみえるぐらいには目は慣れていた。
しかし、なんということだろう。
時計は動いていない。
おそらくエレベーターから落下したであろう時から止まっている。
さらに不思議なことに、喉は乾かず腹も空かない。
尿意、便意などといったものも無い。
待てよ。
地獄?
俺は地獄に落ちているのか?
梶は身震いした。
いや、地獄なら真下には落ちないと聞いたような気がする。
世界の果てが地獄だと……。
ならば、地獄ではないところへ行っているのか?
死んだことがないから詳しいことはわからない。
なにが待ち受けているのか。
とりあえず意識だけは鮮明に保っている。
どこまで落ちても真っ暗闇のままだ。
四方八方、どこまでも続く闇だけだ。
吸い込まれそうだ。
ああ、ヤバい。
だんだん過呼吸気味になってきた。
パニック発作か。
呼吸が荒い。
落ち着け。
ーーーー
突如、暗闇からなにやら声がした。
今度はなんだ?
女性の声?
なにかを叫んでいる。
なんだろう。
………と――………
くと――………
……たくと――……
拓人―――……
あ!!!!
俺の名前だ!!
母さんだ!!
母さーん!!
母さーん!!
俺だ、拓人だよ!!
ここに居るよ、ここだよ!!
母さぁーーーん!!
必死で叫んだ。
声が枯れるほど、あらん限りの力を振り絞って。
この声が届けば、ひょっとしたら死の淵から生還出来るかもしれない。
ーーーしかし、応答は無い。
母さんの声もやがて暗闇の中に吸い込まれていった。
また静寂が襲った。
俺は落ち続けている。
突然、耳元で同時に複数の女の声がした。
その声をよく聞き分けると、
「騙した」「裏切り者」「死ね」
などと呟いていた。
うるさいうるさいうるさい!!
耳をふさいで耐えた。
しばらくすると、その声も消えた。
また何か聞こえてきた。
今度は何だ?!
にゃーにゃー
にゃーにゃー
猫の声?
よくよく聞いてみたら、それは赤ん坊の泣き声だった。
なぜ赤ん坊?
分からなかった。
どのくらい落ちたのか。
時計をみるが、相変わらず針は止まったままだ。
俺は一体どういう状態で、どうなるのか。
ふと真下をみると、ぼんやりと白く光った丸い点のようなものが見える。
お!!これは、ひょっとすると出口かもしれないぞ!!
その点のようなものがみるみる近づいてくる。
点が、飴玉サイズからサッカーボール大、そしてマンホール大とだんだん大きくなってきた。
現世に戻るチャンスだ!!
梶は、その光のようなものの中に入ろうと、落下の角度も考えて、必死に両手足をバタつかせた。
ああ、もうすぐ光が近づいてくる!!
光は大きくなるにつれ、白くぼんやりしたものから、眩しいほどの光に変わっていた。
眩しすぎて、光の中はみえない。
その大きさはついにプール大ほどになっていた。
あと、15メートル、10、9、8……
梶は最大限の足掻きをした。
しかし、なんということだろう。
その光のほんの手前をかすめた梶は、あっという間に通り過ぎてしまった。
!!!!
梶はしばらく何も考えられなかった。
ショックで何の思考も出来ないまま、
ただただ落下していた。
真下にはなんの希望も無い。
ただ、真っ暗闇が広がっているだけだった。
どのくらい落ちたかわからない。
やがて、次なる点が見えてきた。
お!!!!
これはまたチャンスかもしれない。
ああ、神よ仏よ!!
今度こそは失敗しないぞ!!
ふわふわと落ちながら、今度こそ落ちる角度を調整せねばと思った。
必死で手足をバタつかせた。
点はだんだんと大きくなってくる。
コツを掴んだような気がする。
よし、今度はうまく入られそうだぞ。
さらに近づいてくる。
今回は間違いないと思った。
だが、どうやら様子がおかしい。
今度はまばゆい光ではなく、赤い湯気のようなものが、もくもくと沸き立っていた。
その湯気のようなものの間から、
無数の蠢く何かが見えた。
なんだ?
なんなんだ?
目を凝らす。
あ!!!!
あれは!!!!
驚愕のあまり顔が固まったのが自分でも分かった。
煮えたぎる血の池で、浮き沈みしながら苦痛に歪む顔を出す人・人・人。
それは無数の人間の顔だった。
さらに地響きのようなものが聞こえてきた。
それは、悲鳴とも絶叫ともつかない断末魔の叫びであった。
それがだんだん近づいてくる。
梶の頭は目まぐるしく働いた。
そんなはずはない。
地獄は到達するまでに2000年。
だとすれば、まだまだ到着しないはずではないか。
地獄のはずがない。
それとも、時間の感覚が麻痺していて、どのくらい経ったかわからないのか?
実はもう2000年経っている?
まさか。
……いや、地獄まで2000年というのは、ただの人間の創作で、実在する地獄とは案外近いところにあるのかもしれない。
俺の人生、なんだったんだ!!!!
そう思ったとき、ペラッペラな俺の人生が目の前に映し出された。
放心した顔でそれを眺めた。
なんの感動も無かった。
もはや、梶と地獄と思われる場所の距離は数百メートルに近づいていた。
ハッと我に帰り、必死にバタついてみたが逸れるはずもなかった。
シューシューと赤く煮えたぎる巨大な穴が大口を開けて待っていた。
浮き沈みする無数の人間たちと目が合った。
その人間たちの血走った目はこう語っていた。
ーーーここだ。ここなんだよ。
お前にとっての
底 もこまり @mokomari
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