漂流雑貨

夜狐。

ほうろう堂


「……あぁ、暇だ。」


地方都市の一角、さびれた路地裏の奥の奥にその店はある。今日もまた、ヴィンテージの木の扉とくすんだステンドグラスの奥で店の主はそう嘆いていた。


「最近はとんと仕事も来ませんね。この様子じゃ暫くは節約です。」


「やだよっ!もう私のモヤシ料理のバリエーションはとっくの前に切れてるんだ!」


先程迄会計席に座って突っ伏していた怠け者が、バッ!と机から顔を上げる。

机の上のちょっとした書類が落ち、窓から入る淡い光が彼女の栗色の長髪を輝かせた。


細身で白くきめ細かい肌、歪みのない髪に整った顔立ち。傍から見ればモデルか女優にしか見えない容姿でありながら、こうして雑貨屋の奥で基本突っ伏している。

それがこの店の主、阿久津川。「呼びずらいので下の名前の藍佳の方で呼んでくれ」、というのが自己紹介時のテンプレートである。


「にしてもここまで何もないのは久しぶりだね、いやぁ困った。どれくらいかって言うと助手に蔑んだ目で節約を迫られるくらいには。」


こちらにちらと目をやりながら、胸の前で腕を伸ばしながらそんな事を言っている。

毎度のことながら危機感は余り無い。先程の様に食費が削られ始めるまでは焦らないのがこの人だ。


この呑気さにはとても苦労する。

センスのない服を買ってくる度会計帳を叩きつけて説教をするこちらの身にもなって欲しいものだ。私はステンドグラスで歪んだ外を見ながら溜め息をついた。


「そもそも無駄遣いが多いんですよ。収入はしっかりあるのに、使い方が滅茶苦茶なんです。私がここに来る前はもっと自転車操業だったんですから。」


「そこは感謝しているさ。まさか、成り行きで一般人を助手に取る事になるとは思わなかったがね……あれから大分立つなぁ。」


振り返った私の後ろにある硝子の外を遠く眺めながら、藍佳さんはまた机に寝そべっていた。


この人が一般人を助手にとった時……要するに、私がこの店に来た時のことだ。

あれから1年以上経っただろうか。背中の硝子越しに見える若干錆びれた路地裏と妙に高い位置にある青空にもすっかり慣れてしまった。

私もまさか、こうして助手として店に携わる事になろうとは思ってもいなかった。


助手などという仰々しい役職ではあるが、雇用形態としては完全にアルバイトのそれだ。それをこの人が助手と頑なに呼ぶのは、仕事の特性と拘りが半々といったところである。


窓ふきに使っていた雑巾を片付け、また顔を突っ伏してしまったグダグダな”師匠”の隣に椅子を持ってきて座る。


店の中は静かだ。

学校の教室を丁度真ん中で真っ二つにしたくらいの店内には壁一面に黒い木の棚が並び、奥行きの中程に店の入り口に向かうように設けられた会計席。その奥は両壁面の棚に向き合うように2つの巨大な棚が鎮座している。会計席側の側面は私たちが度々背凭れに使っているからか、磨かれて若干黒光りしている。


棚にはどこから来たのか分からない雑貨が所狭しと並べられ、大きいものは床に置かれている。


目線を合わせてくる招き猫、生きている鳩時計、無くならない硝子の水筒……。

どこの誰が描いたかも分からない絵画は、私がここに来るより前からあるらしい。偶に額物の中で何かが蠢いている。

店の角に立てかけられた鏡は同業者から預かった、左右に反転しない鏡だ。

発条を巻かなくても動くブリキの人形は度々棚から落下してはけたたましい金属音を響かせるので、麻紐で可動部を縛られて吊るされている。


それらの下のある床板は年輪の輪が浮き出てきている。まるで何十年も経過したような様相を呈しているが、棚の上に置かれた不均等なランタンに照らされた若干薄暗い店内がより一層古ぼけた印象を与えているような気がする。時々年輪の「目」がこちらを見ている時があるが、危害を加えてくることはない。


ここは、境界空間。

現実と異世界の境界であり、それらを収容する場所でもある。


『ほうろう堂』


暗い色の木で作られた簡素な外観に、和風建築の面影を残す瓦屋根。ステンドグラスがはめ込まれた木の扉の先にある雑貨屋。表向きの体では「気まぐれな店主が何となくで集めた雑貨を並べているみょうちきりんな雑貨屋」となっている。

なお、雑貨屋としての客は先ず来ない。


「流石に全く来ないとなると困るんだけどねぇ、こうやって”在庫”が増えていく一方なんだ。ここは何時から倉庫になったんだか。」


背中を棚の側面に預けて、ぼやくように藍佳さんは呟く。

これでも店らしくなった方だ。元は倉庫以外の何物でもなかった。


「いい加減こんな古い形態も止めにした方がいい。そうは思わんかね!やなぎっち!」


「誰がやなぎっちですか……」


こんなやり取りも最早何回目か。


柳 眞白、”元”一般の大学生でほうろう堂の店員であり助手。それが私だ。



私がこの店に来たのは去年の丁度これくらいの時期。藍佳さんと出会ったのはその一か月ほど前になる。あの日は少し肌寒いながらも、まだ夏の日差しの強さが若干残ったような秋らしい気候だった。





少し冷たい風に吹かれながら、古い街路樹の脇を歩く。

私の住んでいる地域には小さな寺があり、その周辺は木が生い茂っている。近くの街路樹も何故だか巨大なまま放置されており、寺と街路樹に左右を挟まれたこの道は暗くなると中々おっかない。

道自体には若干の上り勾配が付いており、足を進めるごとに住宅が湛える光を街路樹と道路越しに眺めることができた。


足元は若干ぼこぼことしたアスファルトに覆われ、苔が所々に生えている。当然人通りも少なく、隣の道路も車は余り通らない。

そもそも街自体が田舎というには整備がされており、都市と言うには人気や明かりがない……そんな中途半端な土地である。綺麗な道路はまず少ないのだ。


そんな襷にも帯にも使えないような町を横目に、私は片手に持ったビニル袋の中の新作コンビニデザートへの期待を抱えて、少々離れた家までの帰路を辿っていた。

道路を登り切った先の下り坂、その直ぐ先の左曲がりのカーブに差し掛かれば間もなく私の家がある。


腕時計を見れば、針は午後の7時過ぎを指している。辺りはすっかり暗くなっており、ただでさえ少ない人気はいっそう薄くなっていた。

日が落ちてしまえば気温もぐっと下がる。真夏の時とは違う乾いた涼しい風が当たり、手は少しかじかんだ。夏用の白い半袖を着ていた私は、少々身震いしながら上に羽織った前開きの灰色パーカーのチャックを引き上げた。


更に進めば周囲はすっかり闇に包まれた。聞こえてくる音は自分の足が地面を蹴る音のみで、地面の凹凸に足が触れる度若干突っかかるような感覚を覚えながら山際に沿って若干湾曲した道を歩き続ける。


力不足な赤橙色の街灯がちらちら照らすだけの道をこんな時間に歩きたくはないので、少々足を急かそうか……そう思っていたころだった。


『チリン』


「……何、今の。」


丁度もう少しで丘の上に着こうかというところで音が聞こえた。

軽い金属の当たる音、凡そ鈴のような音だった。ここが寺に近いことを考えれば、普通はその音は何か神事に使う道具か寺の飾りの音だとスルーできただろう。


ただ、その音は両耳のすぐ横で鳴ったような、非常に重みある音だった。

一度きり、たった1鳴だけの他愛もない音が思いがけず頭の中で反響し、頭が少し痛む。


目を見開いて周囲を見渡す。


足元、身体、風景。何一つ変わっていない。

携帯を取り出して画面を確認してみるが、別に通知が鳴っていた訳でも無いらしい。画面の中のアプリケーションには、大分前から消すのが面倒になったブラウザ系アプリのバッチのみが赤く数を数えている。


「……さっさと帰ろう。なんか今日は気味が悪い。」


そうだ。私はただコンビニデザートを買いに来ただけなのだ。

さっさと帰ってしまえばいい。


よく考えればこの道は前から似たような『不思議な事』は起きていた。

噂では行方不明者も出たとか何とか。

何処から出てきた話なのかは一切分からないが、人間というのは不気味な場所では変に神経を尖らせてしまうものだ。自然な音を壮大な前触れや超常現象と捉えることはままある。


家に帰ればそんな不安は立ち消える。


目の前の上り坂の終わりを見据えて歩き始める。

暫くして落ち着き、何かの気のせいだろうと自分を説得して街の方を眺めてみても何も変わっていない。

街灯は相変わらず力不足で、道路の先に見下ろす街にも赤い光が湛えらえれていた。

まるで何かに飲み込まれたような夕焼け色に染まっている。



坂を上り切った時、私は漸くその違和感に気が付いた。



視界の端から端まで満ちた赤い光。

ただ間近にあるはずの自らの手のひらすら赤色に染まり、頭の上にある街頭からは針の様な赤い光が私を刺してくる。驚き目を覆い隠すも、瞼の裏に迄透けてそれは目に飛び込んできた。


「これは……何?」


夕焼けの色なんて生易しいものでは無い、それだけは分かる。温かみも暮れに向かう哀愁も無い、禍々しい赤色がただひたすらに風景を喰らうように飲み込んでいた。

時間が経てば経つほどその光は強まっている様にも感じる。


街は全てが飲み込まれていた。

見下ろせば飽和した赤い光が建物を溶かし、輪郭は朧げになっていた。

辛うじて建物がある事は分かるが、まるで幼児が見様見真似で描いた落書きの様に不均等に見える。


「さっきの鈴の音が原因……?!でもどこから、何がどうなって……」


周囲を見渡しても何も分からない。分かるはずも無い。

家に戻ろうにも目の前の下り坂の先は既に飽和した光で不明瞭になっている。


しばしその場で足踏みして、何かできることが無いかと考えても無駄であった。



逃げなければ。戻らなければ。

私の取れる選択はそれだけだった。


来た道を戻れば出れる。きっとその筈だ。


迷わず後ろに方向転換し、走って坂道を下り神社の横を走り抜ける。

最早袋の中のデザートがどうなろうが知った事では無い。息切れさえ意識の外に追いやり、無事に元の世界に戻らなければ、その一心で転げ落ちるように私は足を進めた。


坂を下った先は、光の飽和した世界。



突発型境界空間。



私が人生で初めて足を踏み入れた、あらゆるものを不安定にさせる禁忌の空間だ。




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