第二二話 庭で不撓の戦士と戦闘です

その時、庭の外からかすかな物音が聞こえた。何かが風を切るような音——いや、複数の人の気配だ。


「……何だ?」

俺は反射的に周囲を見渡した。静かな庭に不釣り合いなその音が、何かを予感させた。


「アルヴィン様、どうかされました?」

エルザが首を傾げながら近寄ってくる。その大きな瞳には純粋な好奇心と少しの不安が浮かんでいる。隣ではフィオーレが花壇を眺めていたが、彼女も足を止め、こちらに視線を向けた。


「……少し待ってくれ。何かおかしい」

俺は低く呟き、物音のする方向に足を進めた。


「おかしいって、どういうことです?」

フィオーレがすぐに俺の後を追い、エルザも不安そうな顔でついてくる。その時、クラリスがひょいと俺の横に並び、鋭い目で周囲を見回した。


「この庭園に、不自然な気配がある。魔法の流れが……乱れている」

クラリスの声には確信があった。俺が眉をひそめると、彼女は小さく溜息をつき、俺の袖を軽く引いた。


「いいから黙ってついてきて。弟弟子として、こういう時こそ学ぶべきでしょ」

いつもの冷静なトーンだが、どこか楽しげな響きが混ざっているのを感じた。


「魔法の流れが乱れてるって、どういうこと? そんなの、目に見えるものなの?」

エルザがやや戸惑った様子で尋ねると、クラリスは軽く眉を上げて彼女を一瞥した。


「感じる。

流れが途切れたり、異常に集中している箇所があると、魔法を扱う者ならわかる」

淡々と答えるクラリスに、エルザは目を丸くして「へぇ」と小さく感嘆の声を漏らした。


「それって、魔法の基礎なんですか?」

今度はフィオーレが真剣な表情で質問を投げかける。クラリスはその質問に一瞬だけ考える素振りを見せたが、すぐに短く頷いた。


「そう、基礎の基礎。ただし、それを実感するには経験が必要。いつまでも力押しだけでは行き詰まる。弟弟子も少しはそれを学ぶべき」

最後に俺に向けられた言葉に、何となくからかわれている気がして少しムッとした。


クラリスが先導する形で、俺たちは庭の奥に向かった。その途中、何か硬いものを蹴る音が聞こえ、俺たちは立ち止まった。


「……あれは何?」

フィオーレが指さした先には、草むらに隠れるように仕掛けられた金属製の装置が見えた。奇妙な形状で、明らかに庭の一部ではない。それを見た瞬間、俺の中に嫌な予感が広がる。


「爆弾……?」

クラリスが低く呟く。その声には疑念と確信が入り混じっていた。


「えっ、爆弾ですか!? そんなの、ここに仕掛けられてるなんて!」

エルザが驚きの声を上げる。その瞳に広がる不安が隠せていない。


「これはただの爆弾じゃない。魔法式が併用されている。恐らく、トリガーとして魔法陣が組み込まれている」

クラリスは冷静に装置を観察し、魔法の符を取り出して空中に魔法陣を描き始めた。


「そんな仕掛けがここにあるなんて……どうして誰も気づかなかったんです?」

フィオーレが硬い声で問う。クラリスは彼女にちらりと視線を向けただけで、即座に答える。


「隠蔽魔法が使われているから。

普通の人間や低レベルの魔法使いには感知できない仕組みになっている。

……それだけ精巧な罠」

その答えにフィオーレは唇を噛みしめ、エルザもますます不安げに装置を見つめた。


「解除できるんですか? これが爆発したら……」

エルザが消え入りそうな声で尋ねる。クラリスは一度手を止め、冷たい視線を彼女に向けた。


「できる。でも、急がないと他の仕掛けが作動する可能性がある。だから、黙って私の指示に従って」

その一言には、確固たる自信と威圧感が滲んでいた。


「アルヴィン、あなたも手伝う。この装置を分解する手順を学ぶ。

弟弟子は、理論と感覚はあるが、間が無い。絶好の機会」

俺を見据えるクラリスに、俺は軽く息をつきながら頷いた。


「わかったよ、弟弟子としての役割を果たすさ。でも、爆発したらたまらないからな」

軽口を叩きながらも、内心では少し緊張している。クラリスは微かに口角を上げただけで、それ以上何も言わずに作業を再開した。


「二人には、周囲を警戒して欲しい。この場所が狙われている可能性が高い」

冷静に指示を出すクラリスに、二人もそれぞれ頷いて動き始めた。俺たちの周囲には、不穏な静寂が漂っていた。



クラリスの、一個だけなはず無いと言う指摘に従い、俺たちは爆弾を探し回った。

「これは……魔法式も併用。おそらく起爆装置に細工が施されている」

クラリスが庭の一角を指差しながら、冷静にそう言った。その表情は真剣そのものだ。


「魔法と機械を融合させた罠……そんなことができるのか?」

俺が疑問を口にすると、クラリスはあきれたように肩をすくめる。


「共和派過激分子なら当然。これくらいのことは予想しておくべき」

その冷ややかな物言いに、俺は少しだけ頭をかいた。


「で、解除できるのか?」

横でエルザが心配そうに尋ねると、クラリスは顎に手を当てて考え込む。


「理論上は可能。

ただ、全体に仕掛けられた罠の構造を把握する必要がある」

彼女の声には、どこか自信が漂っている。


「クラリスさんって、意外と頼りになるんですね」

エルザが感心したように微笑むが、その言葉にクラリスはむっとして振り返る。


「意外とは失礼。

姉弟子だから魔法に関しては常に完璧。

それともアルヴィンにはそう見えてない?」

少し拗ねたような調子で俺を見てくる。


「いやいや、そんなことない。クラリスさんがすごいのはよくわかってるよ。ただ、なんていうか……」

俺が何か言い返そうとすると、彼女はほんのり赤くなりながら小さくため息をついた。


「まぁいい。さっさと仕掛けを見つけて解除する。

それとも、弟弟子はここで私に頼りっきりでいるつもり?」

冗談めかした口調の裏で、彼女がどこか楽しそうなのがわかる。


庭の探索が始まると、クラリスは魔法で隠された罠を次々と見つけ出し、指示を飛ばす。その様子に、俺は彼女の集中力と洞察力に改めて感心した。庭の隅に埋め込まれていた細工を見つけたクラリスは、足を止めて魔力を流し始める。


「ここも仕掛けがある。多分、魔力を流して機能を停止させれば……」

クラリスは慎重に詠唱を始め、仕掛けの一部を封じる。


「すごいわね、クラリスさん。本当に何でもわかるんですね!」

フィオーレが素直な声で褒めると、クラリスは少しだけ誇らしげに微笑む。


「当然。これくらいで驚かれても困る」

そう言いながらも、彼女の手は休むことなく作業を続けている。その姿を見て、俺はふと感じた。


「クラリスさん、楽しそうに見えるけど……気のせいか?」

軽くからかうように言うと、彼女は顔を赤くして睨んできた。


「弟弟子のくせに余計なことを言わない。私はただ、任務を全うしているだけ」

その反応がどこか可愛らしく、俺は少しだけ笑ってしまった。


その間にもクラリスは淡々と罠を解除し続け、庭の安全を確保していく。その後ろ姿に、彼女が俺に教えることを楽しんでいるのだと気づいた俺は、心の中でそっと感謝した。


「さすがクラリスさんだな。俺ももっと勉強しないと置いて行かれそうだ」

そう呟くと、クラリスは小さく微笑みながら手を動かし続けた。



そんな時、庭の邸宅側に近い枯山水のエリアで、砂に埋もれた奇妙な光を放つ魔法陣を見つけた。幾重にも重なった紋様が不気味に輝き、その存在感は明らかに異質だった。


「おい、これ……ヤバいんじゃないか?」

俺が声を上げると、クラリスが即座に駆け寄ってきた。魔法陣を一瞥した彼女の顔に険しい表情が浮かぶ。


「これ……ただの罠じゃない。庭園全体を巻き込むような仕掛け」

彼女は断定的に言い切り、すぐに魔法陣に魔力を流して解析を始めた。


「どういうことだ?」

俺が尋ねると、クラリスは手を止めずに答える。


「象徴的な場所を破壊するためのもの。庭園だけじゃない。別邸全体を崩壊させるつもり」


「そんな……! 一体どうして?」

フィオーレが小さな声で漏らす。その手が自然と胸元に添えられ、震えているのがわかった。


「共和派のやり方。象徴を壊して、恐怖と混乱を広める。それが目的」

クラリスは冷静に説明しながら、魔法陣の構造をさらに深く調べていく。その指先には微細な魔力が宿り、確かな技術で仕掛けを解除しようとしていた。


フィオーレが困惑したように尋ねる。

「でも、どうしてそんなことを……こんな美しい庭を壊すなんて、あまりにも酷いわ」


「彼らにとって美しさや価値は関係ない。必要なら壊す。それだけのこと」

クラリスは淡々と言い切る。その声の冷たさに、彼女の強い決意が垣間見えた。


俺はフィオーレの肩を軽く叩きながら言った。

「……彼らの理屈じゃ、理想を作るためには今の世界を壊す必要がある、そういうことなんだと思う。

美しい焼き物を作るには失敗作も出来る、そして失敗作は打ち壊すべき。

そんな所だろう」


「そんな理屈、理解なんてできないわ」

フィオーレが歯噛みしながら言う。その横でエルザが腕を組み、険しい顔をして頷いた。


「私たちには止めるしかないわね」

エルザの声には静かな決意がこもっていた。


クラリスが魔法陣の解除に集中している中、庭の外から複数の足音が近づいてきた。その重く響く音が警戒心を煽る。


「みんな、注意しろ! 奴らが来るぞ!」

俺が叫ぶと、クラリスは一瞬だけ顔を上げたが、すぐに作業に戻った。


庭園の入り口から現れたのは、武器を持った共和派の過激分子たちだった。彼らは何も言わず、冷徹な目でこちらを見据えながらゆっくりと迫ってくる。


「時間稼ぎが必要だな……」

俺は腹をくくり、多節棍を二本取り出した。まだ同時に操るのは完全に慣れていないが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。


「アルヴィン様、無茶はしないで!」

エルザが心配そうに声を上げるが、俺は振り返らずに軽く手を挙げた。


「大丈夫だ。無能なりに、適当にやるさ」


そんな軽口を叩きながらも、俺は敵に向かって走り出した。

そして大師匠直伝の、起動魔法を先に唱えておく。実のところ唱えるだけなら誰でも出来る。だが、それを使うまでの間維持するのが難しい。

クラリスは黙々と魔法陣の解除を続け、その背中からは揺るぎない集中力が伝わってくる。エルザとフィオーレも、敵が庭に侵入しないように警戒を強めていた。


俺はただ、彼女たちのために時間を稼ぐことに全力を注ぐのみ。

今回は無能ムーブも必要ない。


「アルビン様に加護を!」

エルザの言葉と共に武器の動きにわずかな魔力が宿り、攻撃の精度が増している。

彼女の、聖女見習としての力のようだ。


「よし、これでどうだ!」

敵の剣を巧みにかわしながら、一人目の武装兵士の膝を狙って棍を叩き込む。痛みで崩れ落ちた彼を避けるように次の敵が突進してくるが、俺はその動きを見切り、武器を絡めて腕を押し下げた。


「アルヴィン様、右側!」

エルザの鋭い声が響く。彼女の指摘通り、別の敵が回り込もうとしているのが見えた。振り返りざまに棍を振るい、敵の足元を払う。だが、その隙に別の方向からの攻撃が迫ってくる。


「くそっ!」

間に合わない——そう思った瞬間、暖かな光が俺を包み込んだ。


「癒しの光よ、守護の力を与えなさい!」

エルザが唱えた魔法だった。聖女見習いの彼女が発する光は、俺の周囲に防御の障壁を張り巡らせ、敵の攻撃を弾き返している。


「助かる!」

俺が振り返ると、エルザは緊張した面持ちながらもしっかりと立っていた。その手は杖を握りしめ、次の詠唱に入ろうとしている。


だが、敵はそんな彼女を見逃さなかった。一人の兵士が彼女を狙い、弓矢を構えているのを俺は目にする。


「エルザ、危ない!」

受けるにしろ、払うにしろ、今から伸ばした多節棍を戻していたら間に合わない。

俺は無意識にエルザの前に飛び出し、矢を体で受け止めた。咄嗟に展開した防御魔法の魔方陣を貫いて胸元に鈍い衝撃が走り、呼吸が一瞬止まる。


「アルヴィン様!」

エルザの叫び声が耳元に響く。彼女が駆け寄ろうとしたが、その瞬間、敵はさらに突進してくる。俺は立ち上がろうとするが、矢の痛みで足元がふらつく。防御魔法を張っていてこのダメージと言う事は、魔法で増力されたクロスボーだったのかも知れない。


「……もう……許せません!」

エルザの声が震えた。だが、その声にはこれまでにない力強さがあった。


彼女の周囲に柔らかな光が広がり始める。その光は次第に強さを増し、彼女自身を包み込む。エルザの瞳が光に染まり、どこか神聖な雰囲気を纏い始めた。


「聖なる力よ、我に応えよ!

この地を浄化し、仲間を守りたまえ!」

その声とともに、エルザから溢れた光が庭全体に広がった。敵の動きが止まり、彼らの武器が手から滑り落ちる。痛みが次第に薄れ、俺の傷口も光に包まれて癒えていくのがわかった。

今だ。

俺は起動呪文を唱えると、魔力を一気に注ぎ込み大地にたたき込む。

魔方陣が幾つも発生し、動きの止まった敵が次々と倒れていく。


「……エルザ?」

俺が問いかけると、彼女は穏やかな表情を浮かべ、静かに頷いた。


「大丈夫です、アルヴィン様。私……守れました」

彼女の声はどこかしら神々しさを帯びていて、その姿はこれまでの彼女とは違って見えた。

そして、いきなり力が抜け、どっと倒れる。

俺は慌てて彼女をだき支える。

クラリスが作業を終えて駆け寄ってくる。彼女は魔法陣が完全に解除されたことを確認し、エルザの変化を見て小さく息をついた。

「……覚醒した? 聖女として」

クラリスの問いかけに、エルザは驚きの表情を浮かべつつも、どこか納得したように柔らかく微笑んだ。しかし、その微笑みは一瞬のこと。すぐに彼女の顔は、いつもの冷ややかな表情に戻る。


「手の位置」


「ぃ……っ」


「弟弟子は手が早い。師匠の言うとおり」


「ちょっと待て、それは誤解だ!」


確かに、左手が彼女の野暮ったいローブの上からもわかる女性らしい胸部に触れていたのは事実だ。だが、これは完全に体勢の問題だった! そう、仕方なかったんだ!


――言い訳をしようと口を開きかけた俺だったが、クラリスの鋭い視線にその言葉を飲み込む。


エルザを支えたまま、俺は必死で言葉を探しながら彼女の冷たい目を正面から受け止めた。


「いや、本当に誤解だって! 状況をちゃんと考えてくれよ!」

……そういえば、クラリスってすごくスレンダーな体型だったな、と思った瞬間、ギロりと睨まれた。


そしてクラリスは短くため息をつき、表情を緩める。


「……まぁ、今はそれでいい。あとでじっくり話を聞く」


そう言って視線をそらすと、彼女は冷静に周囲を見回した。


「それより、さっきの光……

敵が完全に動けなくなっている」


彼女が指し示す先には、共和派の過激分子たちが膝をついて動けなくなっている姿があった。彼らは苦しげに顔を伏せ、手放した武器が地面に散乱している。まるで、戦意そのものを奪われたようだった。

俺の魔法で倒れたというのは確かだが、それ以上に戦意が完全に奪われているように見えるという事は……


「……これが聖女の力なのか」


俺はぽつりと呟きながら、エルザへ視線を移した。


彼女は疲れたようにかすかに肩で息をしつつも、目を閉じて穏やかな表情を浮かべている。その横顔はどこか神々しく、これまでの彼女とはまるで別人のようだった。


「アルヴィン様……私、うまくできましたよね?」

エルザが弱々しく微笑むと、俺はその頭を軽く撫でた。

「ああ、間違いなくエルザのおかげだよ。みんなを守ったんだ」


その言葉に、エルザは少し赤くなりながらも嬉しそうに目を閉じた。そして、再び意識が途切れるように、俺の腕の中で静かに寝息を立て始めた。


「……聖女として覚醒した彼女は狙われる」

クラリスが険しい表情で言う。


「そうだな。彼女がこんな力を使ったなんて、もう知られてるだろうし……」

俺も同意しながらエルザをそっと横たえる場所を探した。


「ともかく、まずは敵を拘束して状況を整理するべきだわ。フィオーレにも連絡を——」

クラリスが指示を出そうとした瞬間、倒れていた共和派の兵士の一人がかすれた声で何かを呟いた。


「……まだ終わりじゃない……」


その言葉と同時に、遠くから爆発音が聞こえた。庭園の外、別邸の奥から上がる黒煙が視界に入る。


「何だ!?」

俺たちは驚き、音がした方向に振り向いた。


「どうやら、もう一つ罠があったみたいね……」

クラリスが魔力を感知するように目を閉じる。


「それだけじゃないわ……この揺れ、何か大きな仕掛けが動き出してる」


「まだ終わってない、ってそういうことかよ……!」

俺は再び多節棍を握り直し、エルザをそっとクラリスに預ける。


「行ってくる。あいつらの最後の悪あがきを止めてくる」

クラリスは少し睨むような目で俺を見たが、すぐに小さく頷いた。


「……わかったわ。でも、死なないで」

その一言が、妙に胸に響いた。


「大丈夫。俺は無能だからな。適当にやり過ごすさ」

軽口を叩きながら、俺は爆発のあった方向に走り出した。


後ろでクラリスが小さく呟く声が聞こえた気がした。

「……少しは自覚する。無能どころか、相変わらず困った弟弟子」


俺はその声を聞き流すことができなかった。どこか温かさが混ざったその言葉が、俺の背中を押してくれるような気がした。

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