第二一話 別邸に行くのです

庭に腰を下ろし、目の前の焼き物を手に取った。その素朴な形と赤褐色の艶やかさに、どこか懐かしさを覚える。表面に残る焼き焦げが独特の風合いを醸し出し、手触りには土と火の温かみが宿っていた。


「これは焼き締め……備前焼のようなものなのでしょうか?」

焼き物をじっと眺めながら、俺は目の前のセラフィム様に問いかけた。


セラフィム大司教。この庭園を訪れるたびに穏やかで威厳ある佇まいを見せてくれる高位の神官であり、この国の正統派を支える要とも言える人物だ。その圧倒的な存在感の前では、無意識に言葉遣いまで改まってしまう。


不思議なのは、彼がこの庭を好んで訪れる理由だ。特に枯山水をお気に召しているようで、訪れるたびに四阿で瞑想に耽る姿が見られる。


セラフィム様は焼き物をそっと指先で撫で、柔らかな笑みを浮かべられた。

「ほう、『備前焼』……修道士見習いの若者たちがその言葉を口にしていたのを思い出しますな。聞けば、君が教えたそうですね」


「ええ、間接芸術として興味深かったので、少し話しただけです」

俺は肩をすくめながら答えた。


「興味深いものですな。こうして自然の炎と土が織り成す芸術。主の摂理が垣間見える」

セラフィム様は静かに焼き物を置き直し、その表情には深い感嘆が浮かんでいる。


「でも、こういった焼き物も、失敗したら壊してしまうんですよね。完成度が全てだから……」

俺がぽつりと呟くと、セラフィム様はふっと微笑を深めた。


「そうですな。間接芸術は完成したものが全て。未完成や失敗作には意味がない。むしろ壊されることで、新たな美への道を拓く。それが一つの真理でしょう」

彼の声には、深い哲学的な響きが込められていた。


「……間接芸術も、共和派の考え方と少し似ているのかもしれませんね」

思わず口を滑らせた俺の言葉に、セラフィム様の微笑が一瞬だけ薄れ、瞳に厳しさが宿る。


「共和派は壊すことそのものを目的としています。美を追求する芸術とは根本的に異なりますよ。壊すだけでなく、その先に何を作るのか、それが大切なのです」

彼の言葉には静かな熱が込められていた。


「なるほど……彼らにとっては『失敗作』だらけの世の中を作り直すために壊す、そんな理屈なんでしょうね」

俺は自分の考えを言葉にしてみた。セラフィム様は深く頷きながら、しばらく考え込むように視線を落とされた。


「……でも、偶に、その失敗と思ったものが光を放つこともあるんですよね」

俺が思わず言うと、セラフィム様の表情に一瞬だけ厳しさが滲む。


「そうかもしれません。しかし、失敗作であるかどうかを判断するのは誰なのか。そこに、傲慢が宿るのです」

その言葉の重さに、俺は返す言葉を失う。確かに、「失敗作」を決める権利が果たして誰にあるのか――それは俺にも答えられない。


「まあ、逆にその欠けも魅力だと喜ぶ人もいるとか、金継ぎで修復して楽しむ文化もあるみたいですけどね。正直、そこまでの深さはよくわかりませんが……」


「金継ぎ? 一体それは?」

セラフィム様が興味深そうに問いかける。


「詳しくは知りませんが、金粉を混ぜたにかわで割れた部分を修復する技術だそうです。割れた箇所が金色の線になることで、また別の美しさが生まれるらしいんですよ」


セラフィム様はその説明を聞き、一瞬、息を呑むような仕草を見せた。

「欠けた器を修復して、さらに価値を高める……。それは、欠陥すらも神の御心として受け入れ、新たな美を見出す行為、まさに信仰の本質そのものだ」


「……でも、この焼き物は壊されるどころか、美しい仕上がりですね」

俺が少し話題を戻すと、セラフィム様は再び微笑みを浮かべられた。


「これは修道士見習いが作った試作品ですが、確かに美しい。彼らの成長を感じさせる一品です。アルヴィン殿、こういった芸術が人の心に何を残すのか、それもまた興味深いテーマではありませんか?」


俺は焼き物を見つめ直し、小さく頷いた。その温かな色合いは、たとえ小さな試作品でも、作り手の思いを伝えてくるようだった。

セラフィム様の視線は焼き物に向けられていたが、その瞳はその先の何かを見通しているようにも感じられた。俺は焼き物を見つめ直し、小さく頷いた。その温かな色合いは、たとえ小さな試作品でも、作り手の思いを伝えてくるようだった。


「そうですね……誰かが心を込めて作ったものには、自然と力が宿るというか、見る人の心に触れる何かがある気がします」

自分の言葉に確信が持てたわけではなかったが、そう答えるとセラフィム様は満足げに微笑んだ。


「その感性をお持ちとは、さすがアルヴィン殿ですね。創造物は、ただの物ではなく、作り手の魂を映す鏡でもあります。

邪心を捨て、ただただ陶器を作る。そして、そこに神の御心が宿る……

それこそが、神が我らに創造の力を授けられた理由かもしれません」

俺はその言葉に納得しつつも、どこか胸の奥に小さな不安を抱えた。


「神の御心……ですか。まるで禅の思想を思わせますね」


「禅? 何ですかなそれは?」

セラフィム様が尋ねると、俺は少し言葉を選びながら答える。


「えっと、それよりも今日は一体どうしたんでしょう。

こうして庭でのんびりしていてよろしいのでしょうか?」

慌てて話を逸らそうとした俺の問いに、セラフィム様は穏やかに頷いたが、その表情にふと陰りが差した。

そして、普段の温厚さとは異なる厳しさのこもった口調で話し掛けてくる。

「君の言葉にはいつも学びがあるが、今は学びを楽しむときではないのかもしれない。

実は最近、共和派過激分子が首都でテロを計画しているという情報が入った。学園もその一環で標的になる可能性がある」


「……学園が、ですか?」

私は驚きのあまり眉をひそめた。あの平和な学園が、突然テロの標的になるなど想像もつかない。

……いや、そういや襲撃受けた事あったな。なんか派手なことありすぎて忘れかけていたけど、そう考えると不思議では無いのか。


「そうだ。まだ具体的な証拠はないが、王国に揺さぶりをかける彼らの動きは、次第に大胆になっている」

セラフィム様の声は低く抑えられていたが、深い決意が感じられた。

「そこで、君に調査をお願いしたいのだ」


「私に、ですか?」

思わず問い返すと、セラフィム様は静かに頷かれた。


「君は目立つが、自然に周囲の警戒を解く才能がある。

それに学園には君が身を置くことで手に入る情報が多いだろう」

それはつまり、“無能”と見られているおかげだと言いたいのだろうが、目立つがと言うのが引っ掛かる。


「承知しました。ただ、具体的にはどのように調べればよろしいのでしょうか?」

渋々ながらもそう応じると、セラフィム様は真剣な表情で続けられた。


「共和派の過激派がどのように行動するか、手がかりを探してほしい。特に彼らは象徴的なものを標的にする傾向がある」

その言葉に、私はハッとした。象徴的なもの、つまり——

「それで、学園を?」

自然と口をついて出た言葉に、セラフィム様は眉を上げる。

次世代を教育する施設としてもだが、同時に貴族達の子弟が集う場所として、確かに象徴となり得る上に、いくら厳重な警備をしていると言え、人の出入りも多いため、必然的に限界がある。

「共和派の過激分子ならば、何をしても不思議ではない」

その声が静かに響き、私は視線を焼き物から庭へと移した。どこかに見えない影が潜んでいる気がしてならない。


「……何だか、嫌な予感がします。

すぐに思い付くような場所で無く……

そう、忘れられかけているような場所や逆にこれからって言うような、そう、盲点というべき意表を突く場所を」

小さな声で呟いた言葉をセラフィム様は聞き取られたようで、柔らかな表情で応じる。


「その感覚を信じたまえ。危機を察知するのは、才能の一つだ」

そのお言葉に、私は曖昧に頷きながら、庭の奥に広がる静寂を見つめた。


これが嵐の前の静けさでなければいいのだが——胸の中で不安が渦を巻いていた。



「はぁ……無駄足ばっかりか」 ため息をつきながら、学園の中庭のベンチに腰を下ろす。そもそも、学園がテロの標的になるなんて話、本当にあるのか? 学園の空気は相変わらず平和そのものだ。


「アルヴィン様、何か面白い話でも聞けたんですか?」 突然、頭上から声が降ってきた。顔を上げると、木陰にエルザが立っている。相変わらず無邪気な笑みを浮かべているが、その目にはどこか好奇心が輝いている。


「いや、特に何もないよ。ただ疲れただけだ」

肩をすくめながら答えると、彼女は首を傾げた。


俺はベンチから建ち上がり、エルザと一緒に教室へと戻っていく。

「そう?

それならちょうど良いですわね。今週末、別邸の庭にどうですか? フィオーレさんが引率って事で」

エルザが楽しげに提案してきた。俺は思わず首をかしげる。


「別邸の庭?

急にどうしたんだ?」


「ほら、あそこって久しぶりに行くといろいろ新しい発見があるんですよ。それにフィオーレさんが行きたがってるし、お兄様もちょっと休憩が必要でしょ?」

エルザは無邪気な笑顔を浮かべながらそう言った。確かにフィオーレが行きたがっているなら断りづらい。最近は学園で学園長の秘書的なことをさせられているらしく、滅多に会わないけど、会うたびに愚痴っぽいことを聞かされる。


「……わかったよ。フィオーレ先生が行きたいなら付き合うさ」

俺がそう答えると、エルザは満足げに笑みを浮かべた。


別邸への訪問が決まったその時、なぜかクラリスがやってきた。

「別邸の庭園……

聞いたことはある」

学園の廊下で、来る時間とか移動手段を俺たちが話しているところに割り込むようにしてクラリスが現れた。彼女はいつものように落ち着いた声で、呟くように言った。


「クラリスさんも興味あるの?」

エルザが嬉しそうに声を弾ませて尋ねると、クラリスは視線を逸らしつつ、淡々と答えた。


「興味があるというより、魔法の界隈で噂になっている。

魔力の流れに影響を与えるとか、神秘的な力が宿っているとか。

黄色の塔が必死に否定しているのが、余計に怪しい」

その言葉に、俺は思わず眉をひそめた。


「ただの庭だぞ、あそこは」


「ふん、弟弟子らしい。

相変わらずな、軽率な発言」

クラリスは小さく鼻で笑い、挑発的な笑みを浮かべながら俺を一瞥する。その仕草が妙に大人びて見えて、少しイラッとする。エルザがそれを見て、楽しそうに肩を揺らしながら笑った。


「せっかくだし、クラリスさんも一緒に行きましょうよ。

みんなで見て回る方が楽しいじゃない?」

エルザが天真爛漫に提案すると、クラリスは一瞬考え込むように目を伏せた。しかしすぐに顔を上げ、小さく頷いた。


「……別に構わない。ただ、観察が目的」

そう冷静に付け加えたクラリスの態度に、エルザは「観察って、それも楽しそうじゃないですか!」とあっけらかんと言ってのける。


「あなたは、何でも楽しいと思えるのね……」

クラリスは呆れたように言いながらも、ほんのわずかに笑みを浮かべた。

その微笑みを見て、エルザは「クラリスさんって、ほんとは優しいですよね~」と無邪気に言い出し、俺は思わずため息をつく。


「まあ、これで全員決まりってことでいいんだな?」

俺が確認すると、エルザは「もちろんです!」と元気よく返事をし、クラリスは静かに頷くだけだった。こうして、週末の予定が決まったのだった。



その日、馬車に乗り込んだ俺は、ふとクラリスの様子に気づいた。いつもなら冷静沈着な彼女が、どこか落ち着かないように見える。


「おい、クラリス。そんなに緊張してるのか?」

俺が軽く尋ねると、クラリスは即座に眉をひそめ、鋭い視線を向けてきた。


「緊張していない」

短く言い切ったものの、その声がわずかに上擦っているのを俺は聞き逃さなかった。ついニヤリとすると、彼女の視線がさらに冷たくなる。


「何がおかしい?」

「いや、ただ、いつもと違う感じがしただけだよ」

俺が肩をすくめて言うと、クラリスは小さく鼻を鳴らし、再び窓の外に目を向けた。だが、その頬がわずかに赤らんでいるのを俺は見逃さなかった。


そんなやり取りを横で聞いていたエルザが、悪戯っぽく笑いながら口を挟む。

「クラリスさんが緊張してるなんて珍しいですね~。もしかして、あの庭園がすごいって聞いてるからですか?」


クラリスはちらりとエルザを見たが、すぐに視線を窓に戻したまま、冷静に言い放った。

「別に。噂が誇張されているかどうかを確認する。それだけ」


「ふーん。でも、クラリスさんが確認したいってことは、ちょっとは興味があるってことですよね?」

エルザがさらに追及するように笑うと、クラリスは短く答えた。


「興味がないとは言わない。ただ、期待はしていない」

その口調は淡々としていて、エルザの無邪気な質問にも動じていないように見えたが、どこか彼女自身も少しだけ意識しているように感じられた。


「魔法的な価値、ですか……」

ここでフィオーレが会話に加わった。彼女はいつものように真剣な表情を浮かべ、顎に手を当てて考え込む。

「でも、芸術的な価値と魔法的な価値って、どこで区別するんでしょうね? 

例えば、この馬車の内装もすごく美しいですが、これに魔力の流れを意識して作られた意図があれば、それも一種の魔法芸術になるのでは?」

最近でこそ秘書的な仕事をこなしていると言え、基本彼女も芸術家。一家言どころでなく持っている。


「その問いは的を射ている」

クラリスが窓から視線を戻し、フィオーレの方を見た。その鋭い瞳が、少しだけ興味を示しているようだった。

「芸術そのものは、作り手の意思と感性が形になったもの。それに魔法的な要素が加わるなら、新たな価値を生む。魔力の有無だけで価値を決めるのは浅薄」


「浅薄、ですか?」

フィオーレが少し驚いたように聞き返すと、クラリスは淡々と続けた。


「そう。重要なのは、意図と結果が一致しているかどうか。形だけ美しくても、そこに何の意味もなければ空虚。機能を伴う美しさはそれ自体が完成形」


「なるほど~。でも私だったら、ただ綺麗なものでも見てるだけで楽しいかな!」

エルザが笑いながらそう言うと、クラリスは短く言い返した。


「それも一つの感性。それが間違いだとは思わない。ただ好みではない」


「うーん、クラリスさんってやっぱり理詰めですね~」

エルザが感心したように笑うと、クラリスは再び窓の外に視線を戻した。だが、その横顔は少しだけ柔らかくなっているようにも見えた。


俺はそんな様子を見ながら、小さく息をついた。この調子だと、庭園での滞在もただ平穏無事に済むとは思えない。


久しぶりに訪れた庭は、相変わらず静謐で美しい。その空間はまるで時間が止まったかのようで、足を踏み入れるだけで心が落ち着くような不思議な感覚があった。フィオーレは早速興奮気味に庭を歩き回り、好奇心旺盛な目であちこちを見渡している。エルザは花の香りに鼻をくすぐられたのか、「わぁ、いい匂い~」とふわふわした声を漏らしながら背伸びをして深呼吸をしていた。一方、クラリスは庭の中心にある枯山水をじっと見つめている。


「本当に噂通り……

この庭、まるで生きている」

クラリスが低く落ち着いた声で呟いた。その視線は庭の中心に据えられた石庭に向けられている。


「そんな大げさな……ただの庭だろ」

俺は肩をすくめて言ったが、その瞬間、クラリスがゆっくりと振り向き、冷静だがどこか苛立ちを含む視線を俺に投げかけた。


「まさか、これを“ただの庭”だと思っている?

こんなに見事に魔力の流れを調和させた造りを……」

その声には、諭すような響きがあった。だが、俺にはまったく意味がわからない。


「魔力の流れ? 何言ってんだよ。俺にはただの砂と石にしか見えないけど?」

首を傾げる俺を見て、クラリスは溜息をつき、微かに口元を緩めた。


「……なら教える。

砂の配列、石の配置、周囲の木々や水の位置までが、すべて計算されている。

魔力は目に見えない。

けれど、この庭にはそれを自然に循環させる仕組みがある。

それも見事に隠されて」

彼女の声は穏やかでありながら、どこか誇らしげだ。まるで弟弟子である俺に“これくらい理解してほしい”とでも言いたげな顔だ。


「えっ、そうなの? 魔力が流れてるとか、すっごーい!」

エルザが目を輝かせてクラリスに駆け寄った。その無邪気な反応に、クラリスは一瞬目を丸くしたものの、すぐに表情を緩める。


「……まあ、そう感じるかも。

魔力に敏感なら、微かにでも分かるはず」

クラリスはそう言いながら、エルザの頭にそっと手を置いた。その仕草には普段の冷静な態度とは異なる、姉のような優しさが滲んでいる。


「そういうことなら、私ももっと感じ取れるようにならないとダメかもしれませんね」

少し離れた場所から聞き入っていたフィオーレが、真面目な表情で口を開いた。新任教師らしく意欲は十分だが、庭に一歩入るなり靴を汚していたあたり、まだ経験不足は否めない。


「でも先生、それを急に学ぼうとしても無理だと思いますけど……」

俺が半笑いで言うと、フィオーレは頬を少し赤らめ、背筋を伸ばして咳払いした。


「い、いいえ!

学ぶ姿勢が大事なんです。それに、この庭を管理するにはどれほどの技術が必要なのか、そういう点からも勉強になると思います!」

本質は芸術家だけあって、少し空回りしているようにも見えるが、フィオーレなりに真剣なのは伝わる。


「その熱意を褒めるべき」

クラリスがわずかに微笑みながらフォローした。珍しい柔らかい表情に、フィオーレも少し嬉しそうに頷く。


「じゃあ、ここにいるだけで魔力が整うとか?」

軽く茶化すように言うと、クラリスは小さく首を横に振りながら表情を曇らせた。


「概ね正しい。だけど、雑。

……弟弟子として認めてあげるべき?」

そう言いながら浮かべた微笑みはどこか満足げで、俺を見つめるその瞳には期待の色すら含まれていた。


だが、それなら何故リリスは……

と考えて、思い当たった。リリスはこの庭を見たことがない。それを言うならアニスもそうだが、どちらが来ても何か変な発見をしそうで怖い。

……いや、それよりもエルネスト先生が来た場合の方が恐ろしいことになりそうだ……


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