#30−②「あたしも好き」

***


「あれ……」


まどかは1人の男に目を留めた。

見失うことのないように、注視する。


「俺以外の人に見とれてるの?」


「こんなときにふざけないで」


絢斗の袖を引き、絢斗も同じ方を見るように促す。


「あー、宇代っぽいねぇ……」


「やっぱりそうだよね?」


私服でスーパーの袋を提げて並んで歩いていたら、下手すれば同棲カップルに思われる。さすがにかわし切れない。


慌てふためくまどかに対して、絢斗は動じなかった。


「別にバレてもいいじゃん。嫌なの?」


「バレるのが嫌とかじゃなくて……こんなかたちでバレるのは嫌よ。心の準備が……」


「あ、こっち来る」


目を逸らした間に、何か変化があったらしい。

視線を戻せば、思った場所に宇代はいなかった。もっと手前にいて、焦点が合ったときにはもう、声の届く距離まで来ていた。


「お疲れ様です!」


まどかは威勢のよい声に圧倒されながら、「お疲れ様」と返す。

一方で、絢斗はいつものように飄々としていた。


「休日にも会うなんて仲良しですね」


にこにことしていて、悪気はないのは分かる。

休日に会社の先輩に会って、無視せず話しかけてくるところも、いい子なのだとも思う。


「同期の集まりですか?」なんて、無邪気に訊いてくるものだから、逆に怖くなる。



「それより、彼女、大丈夫?」


絢斗はさっきまで宇代のいた方を指差す。

そこには、花屋の店先で花を吟味している女性の姿があった。


まどかが宇代に気づかれないようにしようと思ったのは、隣にいた女性の存在も理由にあった。

デート中に会社の先輩に会うのは、気分のいいものではないだろうと思ったのだ。


宇代も振り向いて一瞥してから、再び絢斗とまどかに向き直る。


「大丈夫です。会社の先輩に挨拶してくると言って来たので」


宇代は不快感を全く見せない。人懐っこい笑みも含めて、根っからの営業気質なのだろうと感じさせる。



「っていうか、“彼女”でいいの?」


「はい」


「飲み会で相談してた、告白された人?」


まどかは先に倉庫でも耳にしていたが、盗み聞きしていたことが分かるので、あくまで飲み会で初めて聞いたという体にした。


「あー、違うんすよ」


宇代は言いにくそうに目を逸らす。


「慎重になりすぎてたら、逆に断られました。そういうタイプならいいって」


「あ、そうなんだ……」


言いにくそうにはしたのは切り出しまでで、案外あっさりとした物言いをするから、こちらがきまりが悪くなった。


「じゃあ、あの彼女は?」


絢斗がもっともらしい質問を投げかける。


「相談してた人とは全然関係ないんすよ。れっきとした彼女です。付き合ってます」


「え……?」


即答されて、言葉通りに理解するのが難しかった。


「前回は慎重になりすぎて失敗したので、告白されて生理的に無理とかではなかったので、すぐに付き合うことに決めました」


「反省を活かしたわけね」


絢斗はいいように捉える。


前の人とその人は別の人であるのに、その活かし方は正解なのだろうか。


まどかは自分の理解を超えると思い、考えるのをやめた。


本人がいいならそれでいい。

そうなる運命だったのだろう。


彼女がチラチラと様子を窺うようになったので、絢斗とまどかは戻るように急かして、宇代とは別れた。


「あんだけ周りを巻き込んどいて、違う人と付き合うんだから、宇代はやるねぇ」


絢斗は面白そうに笑っていた。


宇代が飲み会で色んな人の意見を聞いて回っていたことを思い出す。

真剣に答えようとする人たちばかりで、宇代は好かれていると思う。

しかし、人として好かれることと、恋愛対象として好かれることは違うだろう。


「宇代ってモテるんだねぇ。そんなに次から次へ告白されるもの?」


「出会いの場には積極的に行ってるらしいよ?」


「そうなんだ」


納得して話を終えそうになり、ハッとする。


「そうじゃなかった!」


「ん?」


平静に歩き続けている絢斗に、体ごと向いて、横歩きしながら、話を続ける。


「それより、あれって本当に気づいてない? それとも気を遣われてるの?」


「気遣われてはないんじゃない?」


「でもさ、宇代は絢斗が付き合ってる人がいるってことは知ってるよね?」


「そうだね」


「それに、あたしたちが付き合ってるっていう噂を知らないの?」


「聞いたことはあるんじゃない?」


「だったら普通、気づくよね?」


「まぁ、宇代だからねぇ……」


絢斗は遠い目をする。

過去の宇代のあれこれを思い返しているのだろうか。


宇代の良さでもあるので、まどかも何も言えない。

しかしこれでは、いつ爆発するか分からない時限爆弾のようではないか。


「ただ、冷静になったら気づくかもねぇ」


まどかの反応を面白がるように、絢斗はクックッと笑った。


絢斗は笑うのをやめたかと思うと、また笑い始めた。同じことに対して笑っているのかと思ったが、どうやら違うようだった。


「やっぱり、口慣れたね?」


「え?」


わけが分からず、足を進める速度を緩めて、絢斗の背中をじっと見つめる。


「名前、呼んでくれたから」


少し前を歩く絢斗が振り向いて見せた顔が、とても幸せそうで、本当に名前を呼んだかどうかも、笑われたことも、どうでもよくなった。


***


絢斗の家に帰宅した後、座ってしまったら動きたくなくなると思い、帰るや否や、食材を冷蔵庫に入れないまま、調理を始める。


初めて絢斗に振る舞う料理は、肉じゃがに決めた。

絢斗の家にある調味料で作れ、失敗が少ないと思ったからだった。


じゃがいもとにんじん、玉ねぎを切る。先に、フライパンで牛肉を炒め、切った野菜と糸こんにゃくを炒め合わせた。それから、だしを入れ、沸騰したらアクを取る。そして、砂糖と醤油、みりんを入れてから煮込めば終わりだ。


落とし蓋をして、15分から20分ほど待てばいいだろう。

そう思って顔を上げたら、ソファーに座って待っていた絢斗が、キッチンのまどかの傍に立っていた。


絢斗の方を向こうとしたら、その前に後ろからふわりと抱き締められる。


「どうしたの?」


絢斗の腕に手を置いて、顔を見ようとする。

しかし、絢斗はまどかのうなじに顔を埋めていて、前髪が顔にかかってよく見えない。


「俺、本当にびっくりしてる」


うなじに息がかかってくすぐったい。


「今度は何に?」


寝起きのときには、自分自身の欲にびっくりしていることを教えてくれたが、次は何だろう。


「口だけじゃ不安で、もっと確かなものが欲しかった。1回でもスれば、多少満足できると思ってた」


心臓がどくんと音を立てて、乱れ始める。


「……満足できなかった?」


「そういう意味じゃないよ」


低めの声が少し高くなって、焦りが見え隠れする。


「シたらシたで、もっと欲しくなった。デレないまどかが、そのときは素直になるじゃん?」


これほどあけすけに話されるとは思わなくて、心臓が痛いほど拍動する。


「それに、俺ら、体の相性いいよね?」


問いかけが続くが、答えを求めていないのか、言葉を続ける。もしかしたら、案外照れているのかもしれない。


「抱き心地がいいんだよね。フィット感っていうの?」


まどかの目を覗き込んできたと思うと、頬を擦り寄せてくる。


そのまま目を見つめられていたら、心臓が破裂していたところだった。視線を逸らしてくれて助かった。


頬に触れた絢斗の頬は気持ちがいい。

肌が触れたときに、しっくりとくる感覚がある。


だから、絢斗の言うことはよく分かった。

同じ気持ちであることが嬉しかった。


「お互いに、無理して合わせることもしてなくて、自然体でいられるのがいいのかな?」


「……それもあるかもね」


体を重ねるときに、精神が与える影響は大きい。

恥ずかしさが勝ると思っていたけれど、普段から絢斗には気兼ねすることがなかったし、頼りにしていたから、体を預けることにも抵抗がなかった。


「まどかもそう思ってくれてるなら嬉しい」


――そうでなければ、あんなにも求め合ったりはしない。


そう返したら、絢斗がニヤニヤして癪に障りそうだったので、言うのはやめた。


「純粋に気持ちいいし、気持ちよくさせたいし……。その循環で抜け出せなくなる。自分がそんなふうになると思ってなかったから、びっくりしてる」


腰の周りに落ち着いていた手が、動き出している。 慎ましさは感じられない。


「……それ、現在進行形の話?」


「そうだねぇ」


呑気な言葉とは裏腹に、絢斗の手は悪戯にまどかの腰の辺りをまさぐっている。

上の膨らみにまで伸びてきたから、慌ててその手を掴んで止めた。


「今日はどうする? 泊まるよね?」


甘さたっぷりの声色に、くらくらする。


「……うん。泊まる」


「泊まるだけ?」


吐息混じりの声は色気がたっぷりで、昨夜の情事を思い出させる。

気持ちが揺らいで、絢斗の手を掴む力が弱まり、その指は絢斗の指に絡め取られた。


肌が触れれば、その気持ちよさにうっとりして、もっと欲しくなる。欲に溺れて、それしか考えられなくなってしまう。


「……本当にシたくないってことでいい?」


再確認されたが、やはり即答はできなかった。


「即答しないなら、やめようか」


言いながらまどかの様子を窺っている。

流されがちなまどかの気持ちに寄り添ってくれていることが嬉しい。


「……そうだね。今日は何もせず、ゆっくりする」


「じゃあ、食べてから、だらだらしよう」


絢斗はまどかから体を離し、「まどかの手料理がやっと食べられる」と、わくわくを隠そうとせず、まどかに笑いかけた。


肉じゃがは、いつもと違う環境で作ったにも関わらず、我ながら上出来で、味がよく染みておいしかった。


食べ終えた後、絢斗はどこからか箱を取り出してきて、その箱を開ける。その中には、バームクーヘンが収まっていた。


驚いて、バームクーヘンと絢斗の顔を交互に見ていたら、絢斗はにっこりと笑って見せる。


話を聞けば、絢斗はまどかが来るからと、事前に買っていたらしい。貰い物でもなく、わざわざ選んで買ってきたと言う。


バームクーヘンはビターチョコレートでコーティングされており、まどかの好みを熟知していることがよく分かる。


「……あたし、餌付けされてる?」


「じゃあいらない?」


「いる。いるに決まってるでしょ」


目の前に出されたものを食べない選択はない。

思わず、声を張ってしまって、きまりが悪くなり、目を逸らす。


視界の端で、絢斗がクックッと笑っていた。


「いっぱい食べてね」


絢斗はバームクーヘンをカットして、お皿に載せると、まどかにフォークとともに差し出した。


優しい眼差しで見つめられている中で食べるのは、気恥ずかしくて、食べづらかった。しかし、バームクーヘンを1口食べてしまえば、おいしくて、その目線も気にならなくなった。




その後、食器の片付けをしてから、お風呂に入った。

お風呂に入るのも、まるで自宅のように違和感がなくなってきて、ゆっくりと湯船に浸かることができた。


絢斗がお風呂に入っているうちに、ドライヤーで髪を乾かし、上がってきた絢斗の髪を乾かしてあげた。


特にすることもなく、夜更かしもせず、早くにベッドに入った。

ただ眠るだけと分かっているから、心安らかに布団にくるまることができる。


「腕枕好き?」


絢斗が思い出したように訊いてきた。


「別に好きじゃない」


「あー、まどかはまどかは抱き締められる方が好き? 前、ぎゅってしてってお願いしてきたよね?」


「まぁ……そうね……」


「正面からがいい?」


「……後ろからがいい」


「ふーん。後ろからぎゅってされるのが好きなんだ?」


「……何回も言わないで」


「じゃあしないよ」


「何でよ」


即答したら、絢斗はクックッと笑った。


「まどかは可愛いねぇ」


そう言ってまどかの頭を撫でる。

子どもにするように撫でるから、くすぐったかった。


絢斗の方を見られない。

こちらを見ているのを感じながら、天井を見続ける。


「好きだよ」


「……うん」


「そこは、“あたしも好き”――でしょ?」


絢斗は、わざとらしくため息を吐いて、落胆したように振る舞う。


まどかは横を向いて、絢斗の顔と向き合う。

カーテンの隙間から漏れる月明かりで、うっすらと絢斗の顔が見える。


「――あたしも好き」


絢斗が目を丸くした。

してやったりとほくそ笑む。


「言ってほしかったんじゃないの?」


一瞬で立場が逆転した。

絢斗は困ったように笑って、まどかの頬を軽くつねるように触る。動揺が見えて面白い。


「……ずるいなぁ」


よく見えなくても分かる。

甘く柔らかな眼差しをして、まどかを見ている、と。


「甘やかされてばかりだと、あたし、駄目になっちゃうよ?」


思っていたより甘えた声が出て、自分でも驚いた。


「いいよ。俺の前だけでなら」


絢斗はまどかを後ろから抱き締めた。


脚を絡め合い、体温を感じ合う。


素肌を合わせて、貪るようにしてお互いを求め合うのは、もちろん幸せだが、このように隣でくっついて眠るだけも悪くない。

直に素肌へ触れると熱いくらいだが、今は優しい温かさに包まれていて、居心地がいい。

突き詰めれば、究極、毎日これでもいいと思える。


腰に回った絢斗の腕に手を添え、目をつむった。

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