#28−①「不安にさせてごめん」

結局、絢斗の好きなところを、絢斗に伝えないまま、数日が経ってしまった。


その後も2人きりになる機会には恵まれなかった。

ここ数日、絢斗は仕事のため外出したまま会社まで帰ったこなかったり、会食のために夕方から会社を出たりしており、なかなかタイミングが掴めなかったのだ。


なかったことにしたわけでもないので、何となく気がかりではあった。

もやもやとする気持ちを抱えたまま、こんなときはと、まどかはジムに向かっていた。


ちょうどジムの前にたどり着いたとき、歩の姿を見かけて、声をかけようとしたら、同じように歩に近寄る人影が視界に入る。


「えっ……」


驚きで思わず声がこぼれた。


見間違えたのかと、目を凝らす。

どう見ても、見間違えているようには思えなかった。


何より、歩と親しげにしているところが、確証をもたらしてくれる。


「あっ……」


歩の目線が不意にまどかの方を向いた。

少し遅れて絢斗の目も向けられる。


――理久だ。

高校時代の面影を残したまま大人になった、理久がそこにいた。


慌てふためいたのは意外にも歩で、まどかも理久も至って冷静だった。


「……まどか?」


理久に名前を呼ばれ、くすぐったい気持ちになる。


「……うん」


何だかんだ、覚えてくれていたことが嬉しいと思える。

まどかは理久と歩の元へと歩み寄った。


「今もあゆと仲良いんだ?」


「うん。まどかも?」


「そうだね」


歩は気を遣って、お互いに互いの話をしないでいたのだろう。

理久はまどかと歩の今の関係を知らないらしい。


「今から歩とファミレス行く予定なんだけど、どう?」


「……え?」


さすがのまどかも、これからともに過ごすつもりはなかった。


歩に目を向ければ、まどかに答えを委ねることにしたらしい。歩は小さく頷いた。




まどかは一緒に行く選択をして理久と歩の3人で近くのファミレスに入った。


今になって、高校時代の元カレと友達と、ファミレスでテーブルを囲むことになるとは、思いもしなかった。

歩と並んで座り、向かいに理久がいる状況だ。


話を聞けば、歩は理久から話があると呼び出されていたらしい。

その話をまどかも聞いていいのかと不安だったが、理久はむしろ聞いてほしいと言った。


「実は俺、結婚するんだ。相手は、昔からずっと好きだった人」


まどかは自分が同席してもいいという理由を悟った。


まどかと理久が別れる一因となったのは、理久に好きな人がいたからだった。きっと、その好きな人と、理久は結婚するのだ。


「おめでとう」


歩のお祝いの言葉を聞いて、まどかも続く。


すんなりと受け入れて、心からおめでとうと言えた。一途に思っていた人と結ばれたことが、喜ばしいと思える。

まどかの中で、理久とのことはすでに過去になっていることを実感した。



歩はドリンクバーに行くと言い出した。

存外、2人きりにしても問題ないと判断したのだろう。

歩が席を外すことによって、自ずとまどかは理久と2人きりになった。


「よかったね。相手は高校のときから好きだった人ってことだよね?」


「そう。まどかにはバレバレだったもんな」


「あれで隠せてたと思ったら、ヤバいよ」


久しぶりにあった理久は、幼さがなく、完全な男の人になっていた。声もいくらか低い。


しかし、笑い方は昔と変わらなかった。

くしゃりと笑う顔は、たまにしか見せてくれなくて、特別なものだと思っていたが、今はそれほど頻度の低いものではなくなっているのだろう。とても自然な笑い方だった。


「あ、まどかって呼んでもよかった?」


「いいよ。……偶然でもないと、もう会わないだろうし」


「……それもそうか」


しんみりとした空気が流れる。

まどかと理久の間には、適度な距離感があって、埋まることもないし、埋めようとすることもないのだ。


「話、聞かせてもらって嬉しいけど……心配するよ、あたしと2人でいたら」


「大丈夫だよ。俺のこと信じてるから、話せば分かる」


「のろけ?」


「そういうつもりじゃなかったけど、そうなのかな?」


「少しでも不安にさせるのはよくないよ」


「……うん」


鈍感なところは変わらないらしい。

素直に聞いてくれるのは、第三者だからか。


……いや、彼女がまどかではないからだ。



「楽しそうだね?」


歩はグラスに並々飲み物を入れて戻ってきた。


「理久ののろけ話聞いてた」


「あー、ニタニタしてるもんね」


「そんなつもりないけどな……」


理久はポリポリと頬を掻きながら、苦笑している。


その様子を見ながら微笑んでいたら、 「まどかもそういうところあるよ?」 と、隣に座る歩が、顔を覗き込んできて言った。


「えぇ? そう?」


「まどかはのろけと思って話してないけど、のろけなこと」


理久が驚いた顔をして、「最近の話?」と歩に訊けば、歩は「最近の話」と答えた。


「あった? あたし、彼氏よりもあゆを優先してるけどな」


「そうなの?」


「そうだよ。仕事が忙しくて、なかなか彼氏と会えなかったけど、あゆとは会ったもん」


歩は肩をすくめて見せて、グラスを傾ける。


「2人、本当に仲良いんだな」


「まどか、僕の働いてるジムに通ってるんだよ。だからよく会うんだ」


「だからジムの前で……」


理久は合点がいったとばかりに、深々と頷いた。


まどかは歩と理久の関係も気になった。


「2人は?」


訊かれた歩と理久は目配せをし合う。


「定期的に連絡は取り合ってて、会うのは結構久しぶりかも」


答えたのは歩だった。


「へぇ」


そんな貴重な約束の時間を、まどかが奪っていいのだろうか。


そろそろ席を立とうかと思い、言葉を発する前に、理久とばっちり目が合った。


「まどかの彼氏ってどんな人なの?」


「……あんなに無関心だった理久が、あたしの彼氏に興味ある、の……?」


口元を手で覆い、信じられないという眼差しで理久を見返す。


歩がフッと笑う。


「それだけ変わったってことだよ。まどかもね」


「あたしも?」


「彼氏に一直線って感じだったのに、今はいい距離感の恋愛ができてる」


そんなことはないけど、と内心苦笑いする。

距離を置きすぎている気がして、絶賛反省中なのだ。


「彼氏がいい人なんだろうな……」


理久は誰かに言うわけでもなく、ぽつりと言った。


「俺、駄目な彼氏だったよな。誠意がなかったって、今なら分かる。それに、まどかが今、幸せそうで、ホッとしてる。……俺、悪いやつだよな」


理久は自嘲の笑みを浮かべた。


「そうだよ」


まどかはからかうように答えるが、理久の気持ちも分からないでもなかった。


「あたしも同じようなものだよ。多分、今の彼氏と付き合ってなかったら、こうして話せてないと思う。理久だけ幸せになってることに、いい思い、しなかったと思う」


絢斗といると、自分らしくいられている気がする。

無理をしている感じがしない。


付き合っているからと言って、絢斗の仕事を妨げたくないし、絢斗の生活を尊重したいと思っている。

恋愛することによって、絢斗自身を変えるほどになってほしくない。

それと同様に、自分もそうしてほしいと思う。


つまり、対等に付き合いたいのだ。


それは、高校生のときとは全く違うスタンスで、大人になったのはもちろん、絢斗だからこそ、抱く感情だった。


歩の言う“いい距離感”は、的を射ているのかもしれない。


「そっか……」


「だから、お互い、よかったね」


理久と会って、ましてや、こんなに穏やかに話せるときが来るとは思わなかった。


「あたし、そろそろ帰るね。元々2人で会う予定だったんだから、これ以上邪魔しちゃ悪いよ」


まどかは、ジムで体を動かしたわけでもないのに、清々しい気持ちになって、ファミレスを後にした。




お店を出て、今からジムに行く気分にもならなくて、このまま帰ることに決めて、足を踏み出そうとしたとき、後ろから「まどか」と名前を呼ばれた。


振り向くと、理久がまどかのカーディガンを持っていた。


「忘れ物してる」


「ごめん。完全に忘れてた」


お礼を言って受け取り、改めて向き合う。


「理久、元気でね」


「まどかも」


何も言わずに微笑み合って、何だか気恥ずかしい。


大人になって理久と出会っていたら、と一瞬よぎって、すぐにあり得ないなと打ち消す。

大人になってからでは、理久を魅力的には思わなかっただろう。

理久だって、高校生のときならまだしも、ガツガツしたまどかとわざわざ付き合おうなんて思わないに違いない。


別れようとしたのに、理久はある一点を見つめて、じっと動かないでいる。


「どうかした?」


「あー、えっと……まどかの知り合い?」


「え?」


「なんか……イケメンがこっちをガン見してるんだけど……」


「……は?」


理久の指差した方へ振り向けば、確かにイケメンがこちらをじっと直視していた。


「あー……彼氏、だね?」


「えっ」


理久はガン見してくるイケメンである絢斗とまどかを交互に見た。


「これ、誤解されない?」


「されてる気がするね?」


そんな会話をしているうちに、絢斗はずんずんとまどかと理久の元へと近寄ってきた。


「何でここに?」


「ジム行くって話してたの、聞いたから」


そう言えば、会社で同僚に話したような気がする。

そのとき、絢斗も近くにいたらしい。


「あの……」


理久が話を切り出した。


「僕、彼女とは高校の同級生で、たまたま鉢合わせて、もう1人の友達と3人で、少し昔話をしてたんです」


理久は気を利かせるタイプではなかったので、まどかは少し驚いた。

知っている理久とは、かなり違っている。


「そうなんですね」


絢斗が穏やかな口調で答えるから、余計に怖くなる。遠くからじっと見ていたときは、明らかに穏やかではないものを感じたのだ。


「あゆ待たせてるでしょ。もう戻っていいよ」


「気をつけて帰って……あ、いや……」


杞憂だと気づいた理久は、焦って口を押さえ、「心配しなくていいか」と慌てる。


「ありがとう」


それも可愛らしく思えて、つい笑ってしまった。



理久が店内へと戻るのを確認してから、改めて絢斗に向き直った。


何から話せばいいかと思っていたが、口を開いたのは絢斗の方が先だった。


「あれ、元カレだよね?」


「……分かった?」


絢斗は、理久の高校時代の写真を卒業アルバムで見ている。


「イケメンだったからね。ま、俺の方がイケメンだけど」


「……そうね」


確かに、理久は昔と変わらず顔は整っていた。


しかし、理久は落ち着いていて、雰囲気がパッとしないような感じがした。

すでに婚約者がいて、独身とは違う佇まいだからだろうか。

それとも、まどかがもう理久を好きではないからだろうか。


「感傷に浸ってる?」


「うーん、そうなのかな……」


まどかは考える。


まさか理久に会うとは思ってもいなかったし、ましてや、歩とともに結婚報告を聞くことになるなんて思ってもいなかった。

驚きが大きくて、まだ状況を上手く整理できていない。


「結局、ジム行ったの?」


「ううん。行ってない」


「今から行く?」


「行かない。帰ろうとしてたところ」


「じゃあ、一緒に帰ろう」


絢斗はまどかを自宅に送り届けるわけではなく、絢斗の家へと向かった。


途中でそれに気づいて指摘したけれど、上手く誤魔化された。

まどかは、絢斗の様子が気になったこともあり、おとなしく絢斗についていくことにしたのだった。

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