#22「多分、もう落ちてる」
仕事終わり、久しぶりにジムへと向かった。
体を動かしてすっきりしたと思ったのに、じっとしていると、思い出してもやもやとする。
それに気づいたのか、歩が「そろそろ上がりだけど、一緒に帰る?」と声をかけてくれたので、いつもの回転寿司に行くことにした。
お店に入ると、10分ほど待ったら席に座ることができた。
「来ないから順調だと思ってたけど、そうでもなさそうだね?」
「……むしろ、大変なことになってる」
切実な感情がその言葉に表れていた。
「何があったの?」
まどかは一度深呼吸をして、歩を見つめる。
「……本当に好きだったみたい」
歩は目を見張った。
「え、告白されたの?」
「告白されたというか……偶然、好きな人と付き合ってるっていう会話を聞いちゃって、それがバレて……好きだって言われた」
「そんな会話聞くことある?」
「そうだよね、あたしもそう思う」
苦笑するしかない。
あの会話を聞かなかったとしても、いずれ好きと言われるときはすぐに来ていたような気もする。
「でも、誤魔化さなかったんだよね? 今だって思ったから、告白したんじゃない?」
歩は鋭い。
まさにその通りだった。
「……あとちょっと押したら落ちそうだと思ったんだって」
消え入るような声で言ったら、真っ直ぐな言葉が返ってきた。
「落ちそうなの?」
「……多分、もう落ちてる」
「好きなんだ?」
「……うん。好きだと思う」
「何でちょっと濁すの?」
「だってぇ……」
両手で顔を覆う。
歩の前なら、即答できなくて、か細いけれど、素直に言えるのに、絢斗の前では言えそうにない。
「それなら悩むことないんじゃない? 相手が自分を好きで、自分も相手が好き。晴れて本物の恋人同士」
「そうなんだけど……」
歩の言うことに、間違いはないはずだ。
それなのに、まどかは一歩が踏み出せない。
「そのままだと、好きって言わないで付き合ってる、ずるい人みたいだよ」
絢斗に“ずるい”と言われたばかりだったので、その言葉を真っ直ぐ受け止めることになった。
まどかは頬に触れていた手をテーブルに下ろす。
「それに、まどかが好きって言わなかったら、別れを切り出されるかもしれないよ?」
「えっ……それは嫌だ」
好きと伝えない先に、別れがあることを、今更気づかされる。
「好きって言ったのに、好きとも言われず別れようとしないのは、同情なのかもって、相手は不安になるかも」
「確かに……」
歩の正論がまどかの心にグサグサと刺さっていく。
段々、このままでいることの方が不安になってくる。
早く行動に移さなければと、焦り始める。
「好きなのに、傍にいて、手も出さなかったんでしょ? まどかの意思を尊重してくれてたってことじゃない?」
「……うん」
好きな人と同じベッドで寝ていた絢斗の気持ちは、どんなものだったのだろう。
自分もちゃんと誠実に向き合うべきだ。
少しずつ意思が固まってくる。
「だったら、信じていい。ちゃんと受け止めてくれる。まどかがどうしたいか、逃げずに伝えるべきだよ」
あんなに乱れていた心が、波が引いたようにスーッと落ち着いてくる。
「まどかならできる。言いたいことを言うのは、まどかの得意分野でしょ?」
穏やかで、どこか悪戯に微笑む歩が、高校生のときの歩に重なった。
***
絢斗と別れたくない。
だから、好きと伝える。
そう心に決めたはいいが、絢斗は普段営業で社外にいるし、意外と話すタイミングがない。
今までいかに絢斗が上手くタイミングを見つけて話しかけてくれていたかを、ひしひしと感じる。
付き合っているのに、絢斗に甘えて、受け身で過ごしてきた自分を、今更ながら責めた。
何か話すためのきっかけが欲しい。
まどかはそのきっかけを探すことにした。
新商品発表会が2週間後に迫る中、招待状を送ったメディアの内、参加を希望してもらえたメディアに挨拶をして回っていた。
地元情報誌のライターである下条には、挨拶だけでなく、別の打ち合わせも兼ねていた。
新商品に関わった社員のインタビューを連載してもらう予定で、数日後にインタビューを控えていたためである。
打ち合わせは、会議室で行われたのだが、まどかは部屋の隅に置かれたデスクの上が気になっていた。
机に置かれた資料をまとめ、帰る準備をしながら、チラチラと見る。
「あの、ずっと気になってたんですけど……」
下条はまどかの視線をたどり、そのデスクの上にある、缶詰に行き着いた。
「あぁ、今度うちで特集するんですよ」
「そうなんですね。おつまみによさそう」
ぽつりとこぼした言葉に、下条は反応する。
「三戸さんって家で飲むんでしたっけ?」
「あまり飲まないんですけど、好きな人と飲めたらいいなって思って」
これなら、絢斗を誘うきっかけにできそうだと、瞬間的に思ったのだ。
「“好きな人”……」
下条の視線を感じて、ハッとした。
「あ、すみません。こんなこと言って」
仕事中にこんなことを考えるなんて、気を引き締めなければ。
両頬を叩くように手を当てて、気持ちを律する。
「三戸さんのそんな顔、初めて見ました。そんなに好きなんですね」
缶詰のことか、好きな人のことか。
きっと後者のことだろう。
下条は少し寂しげな顔をして微笑んだ。
「お試しセット、もらったんです。よかったら三戸さん、持って帰ります?」
下条は立ち上がり、缶詰の方へと向かう。
まどかは慌てて立ち上がり、両手を前に出して、全力で左右に振る。
「いいですよ。自分で買いますから」
「そうですか?」
「代わりにどこに売ってるかだけ、教えてもらえますか?」
下条はにこやかに微笑んだ。
***
下条から教えてもらった場所はいくつかあったが、品揃えが一番いいというスーパーに寄った。
おいしそうなものばかりで、ついつい買いすぎてしまった。
定時を過ぎていたので、直帰もできたが、会社に戻ることにした。
絢斗と会える淡い期待を抱いていたからだ。
その気持ちが通じたのか、エントランスに入るや否や、絢斗と鉢合わせた。
「お疲れ様」
まどかがまるで客人にでも向けるような満面の笑みで挨拶すれば、絢斗は少し驚いた様子で、「お疲れ」と答えた。
「何、その荷物?」
絢斗はまどかが提げていた紙袋を見ていた。
まどかは紙袋の中身が見えるように広げる。
「これね、さっき、下条さんと会ってきて……」
「もらったの?」
「違うよ。教えてもらって自分で買ってきたの」
「ふーん」
絢斗はまどかの話を真剣に聞くつもりはないらしい。
「何で買ったかって言うとね……」
さっき止められた話の続きを話そうとしたが、絢斗は不愉快そうにも見える顔をしたので、まどかは二の句が継げなくなった。
「今から会食だから、もういい?」
「あ、ごめん。邪魔した」
どうやら急いでいたらしい。
まどかは「いってらっしゃい」と、絢斗の後ろ姿が自動ドアの向こうに消えるのを見送った。
忙しいからだけではない。
明らかに、冷たい態度だった。
何かしてしまっただろうか。
泣きそうになって、下唇を噛んだ。
今までの自分は、絢斗が何かしたわけでもないのに、冷たい態度を取っていた。
それでもめげずに、絢斗は話しかけてくれていたことに思い至る。
今までのツケが、今、回ってきたのだ。
絢斗にあった勇気や諦めの悪さは、まどかにあるだろうか。
まどかは呆然として、しばらく自動ドアを見つめ続けた。
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