#18−②「嫌いじゃない」

***


――また来てしまった。


自分のことを好きかもしれないと思った人の家に、どうして上がってしまうのか。


もはや、1周回って勘違いだと思う気持ちが強くなっているのかもしれない。


……いや、何を言っても全て言い訳だ。



「……何で飲むのが家なの?」


「結構歩いて疲れたでしょ」


絢斗の言い分に納得してしまい、断る理由など、“行きたくない”でいいのに、そのまま絢斗についていき、絢斗の自宅まで来てしまった。


「眠くなってもすぐ寝られるよ」


「……眠くはない」


「じゃあ、飲まずにイチャイチャする?」


「なっ、何言ってんの!」


先に家に上がった絢斗の肩が上下に動いている。

後ろ姿でも分かる。明らかに笑っていた。


振り向いた顔は思った通りの表情を浮かべていた。


「前、同じこと言ったら、即拒否したのに、今は拒否しないね?」


「拒否してます!」


「そう? 残念」


絢斗は飄々とした態度で、再びくるりと背を向けて、部屋の奥へと歩いていく。



絢斗はどうイチャイチャするのだろう。

唇以外の場所に触れたあのキスの先を知りたい自分がいる。


どうやってキスをして、どうやって触れるのだろう。

柔らかな唇が自分の唇に触れ、節くれ立った指が体に触れることを想像して、ぶわっと体が熱くなった。



「そこで過ごすつもり?」


「すぐ行きます!」


急に絢斗が振り向いて、嫌な言い方をするものだから、ムッとして、ついつい声を荒げてしまった。


クックッと笑われて、また悔しさが込み上げてきて、冷静になろうと深呼吸を繰り返した。



手を洗ってキッチンに並んで立つ。


りんご飴を買って食べずに持って帰っていた。

まどかがりんご飴のラッピングを外して絢斗に渡すと、絢斗が器用に包丁を使って一口サイズに切り分けていく。


「意外と簡単に切れるもんだね」


「暑いから飴が溶けたかな?」


絢斗の視線は手元に集中しているから油断していた。

不意に絢斗の顔がまどかの方を向いた。


「はい。口開けて」


「え?」


「ほら、早く」


近い距離で見つめられたことに気を取られて、言われたことの意味がなかなか理解できなかった。


だから、ほぼ反射的に口元に運ばれたひと欠片のりんご飴をぱくりと口に含んだ。


「どう?」


飴がパリパリとして、その奥のりんごはしゃくしゃくとした歯ごたえで、食感が面白い。

何より、飴の甘さとりんごの甘酸っぱさが口の中で混ざり合い、とてもおいしかった。


「……おいしい」


まどかは飲み込んでから答えた。


絢斗は満足そうに微笑んで、芯を残して、残りのりんご飴を切り終えようとしていた。


「食べさせてよ」


「……え?」


「手、塞がってるから」


「もう終わるでしょ」


「食べさせてあげたじゃん。俺にも食べさせてよ」


絢斗がまどかを一瞥するから、「危ないからちゃんと包丁見て」と焦って声を上げた。



まどかは1つ手に取ると、絢斗の口に近づける。


「……どうぞ」


「届かないよ」


絢斗はそう言うと、まどかの手首を掴んで、引き上げる。

そして、開けられた口の中にりんご飴は消えていった。


――やっぱり自分で食べられたじゃない。


スッと手を引っ込めて、もぐもぐとしている絢斗を睨みつけるように見上げる。

全く気にしていない様子がまた腹立たしい。


「おいしいね」


よくよく考えれば、これもある種のイチャイチャではないか、と思い始める。

反射的にとは言え、戸惑いはしたものの、嫌がる素振りを見せないまま、絢斗の手から食べ物を食べている。そこがまずおかしいではないか。


まどかはそわそわして、その場にじっと立っていられそうになくて、少し横に移動してシンクで手を洗う。


タオルで手を拭いて、シンク横に置かれたビニール袋に手を伸ばす。

買ってきた缶ビールなどが入っていて、触れると冷たい。すでに汗をかき始めていた。


「まどかは俺のこと……いや、何でもない」


絢斗は切り終えたようで、手を止めてまどかを一瞥したかと思うの、再び目線を手元に落とした。


「気になるじゃない。言って?」


絢斗は包丁を置いて、まどかに向き直る。


「――今は俺のこと、嫌い?」


“俺のこと、そんなに嫌い?”


以前、そう訊かれたときと、言葉は似ている。

ニュアンスは違うけれど、思い出すほどには近い。


「……嫌いじゃない」


「ふーん」


絢斗は興味なさそうに振る舞っているが、明らかに嬉しそうだった。


“……嫌いとか考えたことない。でも、別に好きでもない“


あのときはそう答えた。


好きでもないという蛇足を、今、言ったら、嘘みたいな気がして、言えなかった。


絢斗から目を逸らして、ビニール袋からすぐに飲まない缶を取り出す。

それらを抱えて冷蔵庫へと向けば、絢斗が先回りして、冷蔵庫の扉を開ける。

そして、まどかの腕の中から缶を取って、冷蔵庫に入れていく。 絢斗の顔を盗み見る。


多分、この幸せを受け入れたら、もっと幸せになれる。

しかし、今でも十分楽しいから、足踏みをしてしまう。


「――見とれてる?」


横顔がそう言って、次の瞬間、目がかち合った。

胸がどくんと高鳴る。


真正面から見つめ合っていたら、そのままその胸に飛び込んで、流されたくなってしまいそうになる。


……いや、何を言っているのだ。

相手は絢斗なのに、甘えたいと思っているなんて、少し前の自分なら考えられない。


そもそも、胸に飛び込んでも拒否されないと、当たり前のように思っている自分が怖い。


「……早く飲もう!」


まどかは邪念を払うために、一旦絢斗を視界から外す。

冷蔵庫に入れなかった缶ビールを手に取り、ソファーへと歩き出す。


「そうだねぇ」


後ろの方で絢斗が笑っているような気がして、居心地が悪かった。

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