ⅩⅩⅣ.潔い決断②


律騎はめぐみとの会話はなおざりに、スマホに夢中だった。スマホに視線は落ち続け、指は終始スマホの上を滑っている。


めぐみは律騎とファミレスでランチを食べていた。

先に食べ終わった律騎は、暇を持て余すようにスマホを触り始めたのだが、めぐみは話しかけてもいるのだから、もう少し聞く姿勢を見せてほしい。


付き合う前は気にならなかったのに、今は無性に気になってしまう。


律騎は、会いたいから会いにきた、と素直に好きな気持ちを伝えてくれる。

それが嘘だとは思わないけれど、会いたいと言って会って、話を聞き流すようにされれば、多少は疑いもする。


ドリアを食べ終え、水をごくごくと飲む。


めぐみは、今日、必ず律騎に訊きたいと思っていることがあった。

視線は合わないが、それはそれで切り出しやすいと、よい方に思うことにした。


「――りつ、今の家、引っ越すの?」


言葉にするまでドキドキして、言葉にしたらよりドキドキした。


「就職してからしばらくは研修だし、勤務地は分からないんでしょ?」


律騎の顔は上がらない。


早口になり矢継ぎ早に言葉を続ける。

どんなに言葉をつらねても、返ってくる律騎の言葉が変わるわけではないのに。


「あー……引っ越すかもな」


少し視線が上がり、一瞬だけ目が合った。


“かもな”という言葉に、そして何より、無頓着な言い方に引っかかる。


めぐみはこれほどまでに気にしているというのに、律騎は全く気にしていない。

それを今まさに突きつけられた。


律騎は銀行に就職が決まっていて、最初の3ヶ月は研修があり、そこから支店に配属されるというのは、内定が決まった頃にはめぐみも知っていた。


「どこに行くか分からないのに引っ越すの?」


「分からねぇから一旦解約すんだよ。荷物は実家に置いとこうと思ってる」


「どこらへんで働きたいとか、希望はないの?」


「んー、あんまり決めると可能性狭める気がするからな」


社会人としての意識も高く、未来を見据えていて素晴らしいとは思う。

けれど、律騎の社会人生活の中に、めぐみの影が全く見えず、思っていた以上に動揺した。


付き合っているのだから、漠然となるべく近くにいようと努力するものだと思っていた。


しかしそれは、律騎の可能性を狭めるものだとしたらどうだろう。


もし、付き合っていなかったら、やりたいようにやればいいと、無条件で背中を押せただろう。

もしかしたら、今の関係は、律騎には望ましくないのではないだろうか――。


「めぐはそのまま住むんだろ?」


「うん。そのつもりだよ」


「それなら、ここに来れば必ず会えるってことだよな?」


律騎はスマホから手を離して目を合わせ、破顔する。


――駄目だ。

このままでは、このぬるま湯に居続けてしまう。


「……そうだね」


これでは今までと同じではないか。


今までは、好意を寄せてくれた人と付き合って、少しずつ好きになって、それでも同じくらいに好きになれなくて別れを切り出す。


今はそれと反対だ。

相手より自分の方が好きだと思って、不釣り合いだと思っている。そして、付き合い続けるべきか、悩んでいる。


「……こないだね、友達に言われたの」


同じ学科の友達とのやり取りを思い出しながら、律騎に話し始めた。


「めぐみって速瀬くんと付き合ってるんだっけ?」

「え?」

「やだ! 今は美濱くんと付き合ってるんでしょ!」

「あっ、そっか。速瀬くんとも相変わらず仲良しだからつい……。ごめん」


周囲からは、陽生とも律騎とも同じ割合で付き合っていると思われているように、めぐみは感じている。

近しい人には一度陽生と付き合っていると言ったばかりに、余計にややこしくなっているのもある。


「――だから何? 嫉妬してほしくて言ってる?」


律騎は軽い調子で言う。


めぐみは言葉に詰まった。

軽く返せばいいのに、口を薄く開いて固まってしまう。


元々友達とのやり取りを話すつもりはなかった。

それなのに、話さずにいられなくなった。

そして、話して後悔した。


陽生と付き合ったときに、幼馴染としての3人の関係に戻りたいと思ったではないか。

それなのに、律騎とも付き合って、結局苦しくなっている。


――馬鹿だな。

こんなことなら、何もかも押し込んで、2人とは離れればよかった。


あのとき、そんなことはできなかっただろうが、今ならできる。大学を卒業して、就職で離れれば。

それなら自然に距離を置け、すぐには元のかたちには戻れなくても、きっと時間が解決してくれる。


「……そうかもね」


胸がつぶされたように苦しい。

恋愛をして、これほどまでに胸を痛めたことは、かつてなかった。



卒論も終わり、時間ができたので、陽生の祖母のお見舞いに、陽生と律騎と3人で行く予定だった。


しかし、待ち合わせの駅に、律騎は来ない。

あと5分もすれば待ち合わせの時間になるというのに連絡もない。


5分以内に着く電車の便はない。

もう来ないだろうという空気が漂う。


「連絡取ってなかったの?」


「昨日、ちょっとアパートの前で会って、また明日って話したのが最後。すぐに会うから連絡取る必要ないと思ってたの」


俯いて小さな石をつま先で蹴りながら答える。


「もう時間に来なさそうだから、先に2人で行こっか。メッセージだけ送っとけば大丈夫でしょ」


反応がないので顔を上げたら、陽生がじっとめぐみを見つめていたことに気づく。


「……何?」


「りつが来なくてホッとしてる?」


「え……」


ホッとした顔をしていたのだろうか。

めぐみには自覚がなく、戸惑った。

ただ、陽生が言うのならそうなのだろうと、納得もしていた。


「……りつに訊いたんだ、勤務地のこと。そしたら、どこに配属されるか、気にもしてない様子だった」


めぐみはうっすらと笑う。


「全然、私の傍にいたいとかもないし、離れるかもしれないっていう気遣いもないし、りつの将来が見えなかった」


陽生の視線が穏やかにも鋭くも見えた。

何もかもとにかく見透かされているような居心地の悪さと、それと相反する心地よさも同時に感じている。


「そんなこと言って、私も全然考えてなかったんだけど」と自嘲の笑みを浮かべるが、陽生は少しも笑わなかった。


「最近、りつがめぐの話しなくなったと思ってたけど、就職で頭いっぱいなんだな」


胸がちくりと痛む。

律騎にとって、めぐみのことが一番でなくなったと第三者から言われると、改めて傷つく。


「りつは器用じゃないから、1つのことに集中すると、他が見えなくなるタイプだからな」


「うん……。私もそう思う」


今の律騎に何を言っても、多分駄目なのだ。

無理にめぐみを見てもらおうとしたら、不機嫌になりそうだし、意地になってより見てくれなくなりそうだ。


「りつのこと……恋愛的な意味で好きなのか分からなくなった?」


「……そうかも」


陽生は訊いたのは自分のくせに、少しだけ目を見開いた。


「今だって、別に来なくたっていいやって思う自分もいる。特に事故に巻き込まれたりとかでなければ別にいい」


タイミングが合わなかったのかもしれない。

卒業と就職のタイミングでなければ、上手くいっていたかもしれない。

しかし、タイミングが合ったとして、いずれまた同じようにすれ違うタイミングがやってくるだろう。



「……はる、もう行こう」


「……そうだな」


病院に向かう途中で、陽生が律騎にメッセージを送った。

病院に着いても律騎からの返事はなかったので、陽生とめぐみの2人で、陽生の祖母の面会に向かった。


陽生の祖母は、めぐみのこともちゃんと覚えてくれており、会話は弾んだ。

昔、陽生とめぐみがどんなお菓子が好きだったかなど、めぐみが忘れているようなことも話に出てきて、驚くくらいだった。


好きなだけいられるわけではなかったので、名残り惜しいが、30分ほどで病室を後にした。



病院を出ると、不意に陽生が足を止めてめぐみの方に振り向いた。


「めぐ、今日は本当にありがとう」


「何、改まって」


「あんなに嬉しそうなばあちゃん、久しぶりに見た」


「だったらよかった」


めぐみは病室に入る前よりも元気になっていた。


「元気そうで嬉しかったな。今度は退院して会えるといいな」


頬がゆるゆるに緩んでおり、今なら何でも笑えそうだった。


「この後どうする? 実家寄る?」


「うーん、そのまま帰るかな」



お互いに律騎の顔が頭に浮かんだのが分かる。

めぐみよりも先に陽生がスマホを取り出して、画面を見た。


「りつから電話がかかってる」


「折り返してあげて」


「そうする」


陽生はすぐに耳にスマホを当てた。

しばらくしても電話は繋がらないようで、「出ないな」と呟く。


「電話があったってことは、事故とかに巻き込まれたわけじゃなさそうだね」


「うん。繋がったら連絡するよ。まぁ、りつ本人から聞く方が早いかもしれないけど」


「そうかもね」


駅まで送るという陽生の申し出をそのまま受け入れた。



「はる」


「ん?」


「私とりつの間に何があっても、はるはりつと仲良くし続けてね」


陽生は何も言わなかった。


ちゃんと聞いているかどうか気になって、陽生の顔を下から覗き込んだら、陽生はフッと笑った。


「……めぐとも仲良くするよ」


「うん」


めぐみは小さく頷いてはにかんだ。


変わらない仲の幼馴染がいれば、これから起こることへの怖さが薄くなり、心強かった。



一人暮らしの最寄り駅に着くと、肩を上下させる律騎が改札前に立っていた。


「大変だったね」


「行けなくて悪かった」


「ううん。私はいいよ。はるにはちゃんと言った?」


「さっき連絡した」


「ならよかった。帰ろうか」


「あぁ」


律騎が遅れたのは、大学のキャリアセンターから急に連絡があり、急遽大学に向かう必要があったからだと、メッセージのやり取りで知った。

遅れる理由の連絡は早くしてほしかったけれど、陽生の言うように、律騎は器用ではなく、そして何より、幼馴染であるめぐみと陽生に甘えているのだ。何をしても許してもらえると。


「はるのおばあちゃん、元気そうだったよ。お見舞いに行った私の方が楽しんじゃった」


「俺も会いたかったな」


「りつにも会いたがってたよ」


律騎の大学での時間は充実していたようだ。

残念そうにはしているが、さほど後悔も見えない。


「りつ。話があるの」


「俺ん家で話す?」


「ううん。ここでいい」


アパートの前で止まり、向かい合う。

夕暮れの中、律騎の半身が赤く染まっている。



「何?」


「私たち、別れよう」


「……は?」


めぐみの表情が晴れやかになればなるほど、律騎の顔は曇った。


「これから社会人になって、多分、余裕なくなって、会えなくなると思う。そしたら、上手くいかない気がするの。それなら、早くに別れてもいいかなって思ったんだよね」


「待てよ。さっきから“多分”とか“気がする”とか、不確定な要素で別れを決めるなよ」


「でも、りつは卒業してからの私との関係、全然明確じゃないよね?」


「そんなこと……」


律騎は言葉を失い、目を泳がせる。

どうやら今まで自覚がないようだった。


「自分勝手なのは分かってる。でも、こうした方がいいと思う。……こうしたいの」


真っ直ぐに律騎の目を見据えれば、律騎はたじろいだ。


理解の及ばないうちに話をつけてしまうのは卑怯だと分かっている。

しかし、これが2人にとって最善の道だと、妙に確信があり、揺らぐわけにはいかなかった。


「私、りつと付き合えて幸せだったよ。大好きなりつと付き合えて本当によかった。付き合ってくれてありがとう」


「おい、勝手に完結するなよ!」


きっと、律騎にとっては唐突な申し入れに違いない。

しかし、めぐみにとっては付き合ってからの積み重ねだった。


「本気でずっと俺のこと好きだったなら、簡単に諦め切れるものなのか?」


めぐみは泣きそうになりながらも微笑む。

こんなふうに引き留められる日が来るなんて、過去の自分が知ったら泣いて喜ぶだろう。


「好きだからだよ」


「またそれかよっ」


小さく舌打ちをして言う律騎は、ひどく苛立っていた。


「好きな俺の気持ちは無視か? それでも好きって言えるのか?」


目の前で好きな人にそんなことを言われて揺らがない人がいるだろうか。

心はひどく揺れたが、気持ちはすでに固まっていた。


「……それとも、俺よりも好きな人が……」


「そういうことじゃないんだよ」


やはり律騎が自分と同じ立場にいないと分かる。


「やっぱり私たち、このまま付き合っても上手くいかないよ」


律騎の表情に、諦めのような色がにじみ始めた。


諦めずに向かってきてほしい気持ちよりも、これで十分だという満足感の方が、めぐみの心の大方を占めていた。


その日の茜色の綺麗な夕日は、一生忘れないと思った。

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