ⅩⅢ.夢か現実か②
*
翌日、風邪を引いたことを知った陽生は、大学に向かう前にめぐみの家を訪ねていた。
長居するつもりはなかった。
とりあえず持っていた食べられるものを置いて帰ろうと、家の奥へと進む。
「冷蔵庫、俺が入れていい?」
「うん。こんなにありがとね」
「どれくらい具合が悪いか分からなかったから、適当に色々買ってきた」
「気遣わせちゃってごめんね」
「気にするなよ」
後ろでめぐみが見守る中、袋から冷蔵庫に移していく。
「朝は食べた?」
「さっきまで寝てたから食べてない」
「なら何か食べる? プリンはどう?」
最後に取り出したプリンをめぐみに差し出す。
「食べようかな」
めぐみは微笑んで受け取った。
笑う余裕があるのだと安心した。
「熱は測った?」
「うん。微熱」
「だるい?」
「少しね。でも、マシになった」
「プリン食べたら薬飲まなきゃな。どこにある?」
「……どこだろ?」
めぐみは、そう言えばどこにあるだろうと言いたげな顔をして、首を傾げる。
「昨日は飲んだんでしょ?」
「そうなんだけど……」
めぐみは陽生に背を向けて、部屋の中を見回す。
その視線につられて陽生も、ぐるりと見渡して、どこにあるか分からない理由を悟った。
「……あぁ、りつか」
思ったことを口に出すと、めぐみは肩をぴくりと震わせた。
「昨日、りつ泊めたんだって?」
他愛もない話のように、サラッと訊いてみたが、さすがにサラッとは答えられなかったようだ。
「……うん」
めぐみは、一瞬の間を置いて頷いた。
律騎から電話が来て、エアコンが壊れたからめぐみの家に泊まらせてもらうつもりだと聞いていた。
めぐみは泊まることを許したらしい。
しかも、この様子だと、何かあったのかもしれない。
話したいときはめぐみ自身から話してくるから、今回はまだ整理がついていないのだろうか。
「俺が探すから食べてな」
めぐみは陽生の言う通り大人しくラグに座った。
めぐみの隣には無造作に毛布とクッションが置かれていて、律騎が寝ていた形跡がありありと残っていた。
もやもやとするのは、どうしてだろう。
誰よりも先に、体調を崩しためぐみを看病したかったのか。
それは、彼氏としてか、幼馴染としてか。
めぐみは「いただきます」と言ってプリンを食べ出した。
「はる、おいしいよ」
顔だけ振り向いためぐみは、えくぼを見せて笑っていた。
「よかったな」
嬉しそうな顔を見ると、陽生も嬉しくなる。
買いすぎかとも思ったが、迷わず買ってきてよかった。
律騎と付き合いたいなら別れると、めぐみには言い放っておきながら、無意識にめぐみに最大限優しくしようとしている。まるで引き留めるように。
言動に感情が追いついていなかった。
めぐみをちゃんと律騎に向き合わせるには、こんなに近づくことはあってはならない。突き放すくらいではないと、きっとずるずるこのままぬるま湯にいてしまう。
「――あった」
すでに開いている風邪薬の箱を掲げて、めぐみに見せた。
「え、どこにあったの?」
「ここ」
陽生はテレビ台の上を指差した。
正確には、テレビ台の上に置かれたビニール袋の中にあった。
その中には冷却シートの箱もあり、買ったものをとりあえずまとめておいていたのだろう。
キッチンでグラスに水を入れて、めぐみの方へと戻る。テーブルに風邪薬とともにグラスを置いて、めぐみの横に並んで座る。
めぐみは「ごちそうさまでした」と言って、プリンをテーブルに置いた。
「……はる、もしかして、りつに何か言った?」
「ん? “何か”って何?」
陽生が顔を覗き込むが、一瞬目が合っただけで、逸らされてしまう。
「いや、別に何も言ってなければいいんだけど、もし、私のことで何か言ってたらっていうか……」
終始しどろもどろで、結局何が言いたいか分からない。
その言葉にも表情にも、話を切り出した後悔が滲み出ていて、陽生はフッと口元を綻ばせた。
「言ったかもしれないし、言ってないかも」
「え?」
陽生の顔を見返すめぐみの顔は、きょとんとしていた。
「けしかけるようなことは、言っちゃったかも」
「……何、それ」
はぐらかすようなことを言ったが、めぐみは思い当たる節があったのか、難しい顔をして口をつぐんでしまった。
数日前のことだ。めぐみが律騎と2人で帰宅させる機会を作ったら、それほど時間を置かないうちに、用事が終わったら会えないかと、めぐみから連絡が来た。
胸騒ぎがして電話をすれば、めぐみは律騎の前で泣いてしまったと言う。いても立ってもいられなくなり、めぐみの家を訪ねれば、めぐみは目を腫らしていた。
話を聞いていけば、本命が陽生でないかを問われ、結果、好きな男に彼氏との関係を認めてもらうために話すようなかたちになって、そのうち泣き出してしまったようだった。
別の男を思って泣く彼女を見たい彼氏がいるだろうか。いたとしたら、それはもう、彼女に気持ちはないだろう。
めぐみのことも律騎のことも好きで、めぐみを彼女として引き留めるために律騎を突き放すことはできないし、律騎に友達として寄り添ってめぐみを突き放すこともできない。
“りつと付き合いたいなら別れる。でも、りつに告白してどうにもならなかったら、俺と付き合って”
だから、ついそんな提案をした。
勝手に板挟みになって、結果、めぐみと律騎の仲を取り持つようなことをしている。
めぐみのためを思っての提案にも思えるが、これは完全に自分のためだった。あくまで、別れることになれば、それはめぐみと律騎のせいだと、自分に言い聞かせるため。いざそうなれば、めぐみは罪悪感を抱くだろう。我ながら、全然優しくない。
めぐみと会った後、会いにいった律騎は憔悴しきっていた。
そこにさらにダメージを食らわすことは気が引けたが、今だからこそ効果があるかもしれない。
「りつは俺らを別れさせたいの?」
「別れさせたいって……」
はっきりと否定する前に、言い淀む。
律騎の気持ちが定まっていないことが、手に取るように分かった。
答えを探してめぐみに問いかけ、解決できる言葉はもらえず、前よりも混乱する。堂々巡りしているのだ。
「今の関係が納得いかない理由、自分でもっと深く考えてみろよ」
律騎は固まっていた。
「めぐを悪戯に傷つけるな。傷つけるくらいなら覚悟を持てよ」
睨みつけるようにして言い放てば、律騎は怯んだ。
それを見てフッと笑う。
怖くて前に進めないことが、律騎にもあるのだ。
「俺はもう、覚悟はできてる」
そう言ったくせに、完全に覚悟はできていなくて、自嘲するように薄笑いを浮かべた。
「――はるは、私と別れたいの?」
めぐみは悲しそうに眉を下げる。
強く抱き締めて、慰めたくなる。
しかし、そういうわけにはいかない。
「りつとも向き合ってほしいんだ」
真正面からは答えてはいない。
今は明言を避けたかった。
「後々、やっぱりりつと付き合いたかったって後悔されたら、俺、立つ瀬ないじゃん」
「それは……」
めぐみは目を伏せて、目に見えて困惑している。
「ほら。即答できない」
「……意地悪」
「どうとでも言え」
不貞腐れて小さな声でぶつぶつと言うめぐみは可愛かった。陽生はクックッと笑う。
“はるは傷つかない?”
めぐみはそう訊いた。
多分もう、そう訊かれる時点で、自分は傷ついている。
その後のめぐみの行動によって、どれだけ傷をつけられるかが変わってくるだけだ。
すでに傷ついているから傷ついてもいいとは思えなくて、なるべくなら傷つきたくなくて、最小限の傷に抑えようとしている。
だから、めぐみは罪悪感を持たないでいいのに。
そう思うと同時に、罪悪感を持ってほしいとも思う。
“りつと付き合いたいなら別れる”と言って、めぐみに選択を投げ、別れたら罪悪感を覚えさせるようなことをしている時点で、後者の気持ちが強い気がする。
律騎は陽生に訊いた。
“ずっと一緒にいたいと思って付き合ってるわけじゃ、ないのか?”と。
律騎は、ずっと一緒にいたいと思う人と付き合うことを理想としている。きっと、今までもそうしていたのだろう。
幼馴染ながら、いい男ではないか。
好きの種類も好きな度合いも同じ、そんなカップルなんて、まずいなくて、奇跡のようなものだとして、めぐみがそんなカップルになれないとは限らない。
めぐみの重い愛を受け止める度量は、律騎にはあると思うのだ。
それは確かにりつの気持ち次第で、陽生は見守るしかできない。
せっかくここまでお膳立てしたのだ。頑張って欲しいと願う。幼馴染として。
「とにかく、今は寝て、風邪を治すんだな」
陽生はめぐみの頭をぽんぽんと撫でた。
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