Ⅵ.記憶の忘失②


眩しい。

眩しくて目が開けられない。


息を吸えば、慣れ親しんだ匂いのような気はするが、落ち着かない気分になる。


目を開けなければ、と薄目を開け、少しずつ目を慣らしていく。


どうやらカーテンの隙間から光が差し込んでいたらしい。

寝返りを打ち、光を避ける。


ベッドはいつもより柔らかく、少し動くだけでも簡単に軋み、沈む。

体にかけているタオルケットも、手触りが思っていたものとは違う。


――おかしい。


ここは自宅ではない。

自宅でなければ、ここはどこだ。


焦燥感に駆られ、起き上がる。

急に動くから、ベッドのスプリングが軋む音が部屋に響く。


見渡せば、全体的に青の印象だった。

ここは、律騎の部屋だったと思い出す。


その律騎はどこにいるのか。

思い当たる場所があり、ベッドの上から床を覗き込めば、律騎はそこに寝ていた。


部屋の借り主である律騎ではなく、めぐみがベッドを占領している。

どうしてこんな状況になっているのか、全く思い出せない。


「何、で……?」


頭が痛いのは、飲みすぎたからだろう。

考えれば考えるほど分からなくなり、頭を抱えるしかない。



「――今何時?」


突然、自分以外の声がして、肝を潰した。


律騎は起き上がったが、目をこすって、あくびを噛み殺している。


「えっと……」


めぐみは手首に腕時計がついたままだったので、それで時間を確認して「7時過ぎ」と答えた。


「まだ寝られるな」


律騎はそのまま元の体勢に戻ろうとするから、慌てた。


「そこで寝たら体痛いでしょ? ベッドで寝たら?」


「……あぁ。それもそうか」


律騎はゆるゆると体を動かし、ベッドに上ってくる。

代わりに退かなければと思ったとき、ふと律騎の唇に目がいく。


「え、どうしたの?」


「何が?」


「それ。唇」


唇に指を差すと、律騎は唇に指を這わせる。

そこは、切れて血が滲んだのをそのままにしていたようで、傷に沿って血が固まっていた。


心配になって手を伸ばすが、律騎の口から大きなため息が漏れて、その唇に触れようとした手は宙で止まる。


「めぐのせいだろ。覚えてないのかよ」


ベッドの上に座った律騎の目は、真っ直ぐめぐみの目を捉えていた。


めぐみは目を見張り、動揺で呼吸が浅くなる。

律騎は嘘を吐いているようには見えない。


めぐみは青ざめた。


酔うと気持ちが素直に溢れ、失態を演じてしまう。

だから、律騎の前では、お酒を浴びるほど飲むのは控えていたのに。


めぐみが動けないでいる間、律騎は寝心地のいい体勢を見つけようと、仰向けになったり、横向けになったりしている。

その度に、めぐみの体も揺れた。


陽生はいない。

終電がなくなる前に、実家に帰ったのだ。


そうだ。見送ったのは覚えている。


だったら、自分は?

陽生と同じタイミングで一緒に帰らなかったのだ。


歩いても数十秒しかかからないところに自宅はあるのだ。どれだけ眠くたって、帰ればいい。

それなのに、どうして律騎の家で、律騎のベッドで、寝ていたのだろう。


頭の中がぐらぐらして、気分が悪くなってきた。

吐き気がするのは、二日酔いのせいだけではなさそうだ。


「……私、帰る」


「気をつけてな」


律騎はまどろみながら、手だけ軽く振った。


あっさりと送り出され、それがまたもやもやを生む。


律騎は何とも思っていないのか。

ずきりと胸が痛むが、これは今に始まった話ではないので、問題はない。


今一番の問題は、律騎の唇の傷がめぐみのせいだという事実だ。


とにかく、陽生に話を聞くべきだ。

もしかしたら何かヒントがあるかもしれない。


律騎の家を出て、すぐに陽生の名前を探し、電話をかけるが、繋がらない。


時間は7時過ぎだ。昨夜、帰るのも遅かっただろうから、まだ寝ているのかもしれない。


逸る気持ちをどうにかなだめながら、自分の家へと戻る。


何から手をつけていいか分からず、スマホを握ったまま、ただ家の中をぐるぐると歩くことしかできない。


それほど経たないうちに、手の中のスマホが振動し始めた。

陽生からの折り返しだった。


画面をスワイプして、耳に当てる。

繋がった途端、めぐみは叫ぶように、そして祈るように言った。


「はる! 私、りつの前で、変なこと言ったりしてたり、してなかったかな?」

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