Ⅵ.記憶の忘失②
*
眩しい。
眩しくて目が開けられない。
息を吸えば、慣れ親しんだ匂いのような気はするが、落ち着かない気分になる。
目を開けなければ、と薄目を開け、少しずつ目を慣らしていく。
どうやらカーテンの隙間から光が差し込んでいたらしい。
寝返りを打ち、光を避ける。
ベッドはいつもより柔らかく、少し動くだけでも簡単に軋み、沈む。
体にかけているタオルケットも、手触りが思っていたものとは違う。
――おかしい。
ここは自宅ではない。
自宅でなければ、ここはどこだ。
焦燥感に駆られ、起き上がる。
急に動くから、ベッドのスプリングが軋む音が部屋に響く。
見渡せば、全体的に青の印象だった。
ここは、律騎の部屋だったと思い出す。
その律騎はどこにいるのか。
思い当たる場所があり、ベッドの上から床を覗き込めば、律騎はそこに寝ていた。
部屋の借り主である律騎ではなく、めぐみがベッドを占領している。
どうしてこんな状況になっているのか、全く思い出せない。
「何、で……?」
頭が痛いのは、飲みすぎたからだろう。
考えれば考えるほど分からなくなり、頭を抱えるしかない。
「――今何時?」
突然、自分以外の声がして、肝を潰した。
律騎は起き上がったが、目をこすって、あくびを噛み殺している。
「えっと……」
めぐみは手首に腕時計がついたままだったので、それで時間を確認して「7時過ぎ」と答えた。
「まだ寝られるな」
律騎はそのまま元の体勢に戻ろうとするから、慌てた。
「そこで寝たら体痛いでしょ? ベッドで寝たら?」
「……あぁ。それもそうか」
律騎はゆるゆると体を動かし、ベッドに上ってくる。
代わりに退かなければと思ったとき、ふと律騎の唇に目がいく。
「え、どうしたの?」
「何が?」
「それ。唇」
唇に指を差すと、律騎は唇に指を這わせる。
そこは、切れて血が滲んだのをそのままにしていたようで、傷に沿って血が固まっていた。
心配になって手を伸ばすが、律騎の口から大きなため息が漏れて、その唇に触れようとした手は宙で止まる。
「めぐのせいだろ。覚えてないのかよ」
ベッドの上に座った律騎の目は、真っ直ぐめぐみの目を捉えていた。
めぐみは目を見張り、動揺で呼吸が浅くなる。
律騎は嘘を吐いているようには見えない。
めぐみは青ざめた。
酔うと気持ちが素直に溢れ、失態を演じてしまう。
だから、律騎の前では、お酒を浴びるほど飲むのは控えていたのに。
めぐみが動けないでいる間、律騎は寝心地のいい体勢を見つけようと、仰向けになったり、横向けになったりしている。
その度に、めぐみの体も揺れた。
陽生はいない。
終電がなくなる前に、実家に帰ったのだ。
そうだ。見送ったのは覚えている。
だったら、自分は?
陽生と同じタイミングで一緒に帰らなかったのだ。
歩いても数十秒しかかからないところに自宅はあるのだ。どれだけ眠くたって、帰ればいい。
それなのに、どうして律騎の家で、律騎のベッドで、寝ていたのだろう。
頭の中がぐらぐらして、気分が悪くなってきた。
吐き気がするのは、二日酔いのせいだけではなさそうだ。
「……私、帰る」
「気をつけてな」
律騎はまどろみながら、手だけ軽く振った。
あっさりと送り出され、それがまたもやもやを生む。
律騎は何とも思っていないのか。
ずきりと胸が痛むが、これは今に始まった話ではないので、問題はない。
今一番の問題は、律騎の唇の傷がめぐみのせいだという事実だ。
とにかく、陽生に話を聞くべきだ。
もしかしたら何かヒントがあるかもしれない。
律騎の家を出て、すぐに陽生の名前を探し、電話をかけるが、繋がらない。
時間は7時過ぎだ。昨夜、帰るのも遅かっただろうから、まだ寝ているのかもしれない。
逸る気持ちをどうにかなだめながら、自分の家へと戻る。
何から手をつけていいか分からず、スマホを握ったまま、ただ家の中をぐるぐると歩くことしかできない。
それほど経たないうちに、手の中のスマホが振動し始めた。
陽生からの折り返しだった。
画面をスワイプして、耳に当てる。
繋がった途端、めぐみは叫ぶように、そして祈るように言った。
「はる! 私、りつの前で、変なこと言ったりしてたり、してなかったかな?」
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