◆1◆会うはずがなかったのに


私はどこにでもいる平凡な一般人。

名前は、和木わき千晴ちはる


地方公務員で、現在は公立の中学校で学校事務職員として働いている。


仕事内容は多岐にわたる。学校の備品や教材の管理・発注はもちろん、先生の給与や手当の計算、電話対応などである。

大学を卒業してから、勤め先は違えど、7年続けてきた仕事だ。先生や生徒との交流も楽しめる余裕もあり、充実した日々を送っていた。


プライベートで言えば、最近、誕生日を迎え、30歳となった。


とは言っても、厳密に言うと誕生日は来ていない。4年に1度しかやってこない閏年の2月29日生まれだからだ。


希少な誕生日で、今まで身近な人で出会ったのは、唯一1人だけだ。高校生のときに働いていたバイト先で出会った男――数ヶ月だけ付き合った元カレだけだ。


誕生日が近づいてくる度、誰かに誕生日を聞かれる度、彼のことを思い出してしまう。


それだけではない。テレビの中で不意に動く彼を見つけて、心拍数が上がることもしばしばだった。


これはいつまで続くのだろう。

彼の人気が落ち込むことは、決して望んではいないが、もしテレビで見ることがなくなっても、きっと変わらず定期的に思い出してしまうのだろう。




今朝はいつもより早く家を出て、学校に来ていた。

何故なら、ドラマのロケ地として勤め先の学校が使われる日だったからだ。


すでに初日は迎えており、今日が2日目だった。

学校が舞台のドラマで、学校までの桜の並木道や、校舎の外観、体育館は外観だけでなく、中でも撮影を行うことになっていた。

数年前に一度ロケ地として使われ、勝手が分かったこともあり、自治体としても引き受けやすかったらしい。


職員室では、有名俳優の名前を挙げて、「間近で見たら、スラッと背も高いし、小顔だし、肌が綺麗で、この世のものとは思えなかった!」と興奮しているベテラン先生がいる。

何となく職員室全体が浮き足立っている感じがあった。


「――和木先生は興味ないんですか?」


話しかけてきたのは、体育教師である小笠原おがさわら良彰よしあき先生だ。


「疎い方かもしれません」


「今日は昨日とまた違う人も来るらしいですよ」


「そうなんですか?」


「最近よく見かける俳優さんで、カメレオン俳優って言われてる人です。元アイドルで、綺麗な顔立ちをしていて、実年齢聞いてびっくりしました。もっと若く見えるから」


「小笠原先生ってお詳しいんですね」


「いえいえ、他の先生の受け売りですよ」


小笠原先生がちらりと向けた視線の先を見て、ひどく納得した。


ミーハーな音楽の先生だ。

観察眼が鋭くて、先生同士の関係はもちろん、生徒の関係についても担任ではないのに詳しかったりする。


「体育館、授業で使えないですよね」


グラウンドでの声出しも難しそうだという話も事前に出ていた。


「今日は保健の授業です」


「頑張ってくださいね」


にこやかにエールを送れば、小笠原先生は「はい!」と朗らかな笑みを浮かべていた。



給食を食べ終えた頃、そろそろ届く予定だと思っていた宅配便の到着の知らせがインターホンからあった。

荷物を受け取りに正面玄関へと向かう。


「お疲れ様です! 大きな荷物ですね」


いつもの若いお兄さんが、段ボールを運びながら言った。


「はい。卒業式に使うもので」


「もうそんな時期ですね」


お兄さんは、荷物が重いからと玄関までではなく、中まで運ぶことを申し出てくれたが、申し訳ないので断った。


「まだ他にあるんですよ」


そう言って、背を向け、駆け足で去っていくお兄さんを目で追う。


トラックまで追いかけるのはさすがにせず、玄関を出て、階段を降りずに待つ。


舞い戻ってきたお兄さんの手にはメール便がいくつかあった。


「いつもありがとうございます」


「いえいえ! 仕事ですから」


私がメール便を受け取ると、お兄さんはふと思い出したように口を開いた。


「そう言えば、今、何かの撮影が来てるんですか?」


「あー……まあ……」


まだ公にしたくはなく、ただお兄さんが広めるとも思わず、微妙な反応になる。


「さっき俳優さんを見たんですよ」


「撮影のスタッフさんじゃなくてですか?」


「撮影してるカメラマンさんもいたんですけど、宍戸ししど成海なるみがいたんですよ!」


「え……?」


時が止まったかと思った。


「知らないですか?」


「いや……」


「最近、見ない日はないんじゃないかなって思うほど出てますよね。昔、アイドルしてただけあって、めちゃくちゃイケメンですし、演技も上手いし、かっこいいですよね。実物はテレビで見るよりかっこよかったですよ!」


言葉を失い、お兄さんの言葉を聞き流すばかりになる。


“宍戸成海”


頭の中でフルネームが再生される。

音だけではない。漢字だって迷うことなく、思い出せる。


「そろそろ行きますね!」


「はい。ありがとうございました」


何とか笑みを浮かべてお礼を言うのが精一杯だった。


近くに彼がいると分かっただけで、どくどくと心臓が音を立てて、強く拍動する。一気に落ち着かない気分になった。


会うはずがないと思っていたのに、今まさに会う可能性がゼロではなくなっている。


胸の前で指を組み、しばらく放心状態になっていたことに気づき、慌てて建物の中へと戻ることにした。


勤務時間中だ。時間の無駄使いはよくない。



「――千晴……?」


学校で呼ばれることのない名前に、すぐに自分の名前だと気づけなかった。


「千晴だよな?」


そう言われて、ハッとして振り向く。


そこには、間違いなく、宅配便のお兄さんの言っていた、宍戸成海が立ち尽くしていた。


「……なる、くん……」


思わず、昔の呼び名がぽろっとこぼれ出た。 


テレビで見ていた“宍戸成海”の中に、昔のよく知る“なるくん”を垣間見たからだ。


一方的に見ていたから、久しぶりという感じがしない。

それに、見れば見るほど、“なるくん”ではなかった。何故そう呼んだのか、分からなくなるほどに。


「学校で働いてるのか?」


「……勤務中だから、ごめんなさい」


後ろで「おい!」と呼び止める声もしたが、見ないようにして、逃げるように完全に室内へと入り込み、一旦荷物はそのままに職員室へと走った。


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