第1話 偶然の再会

#1 英雄の背中

五月女さおとめはるかは、教室の窓側の席で、受験のための課外授業を受けていた。


プリントが配られる間、ふと窓の外を眺める。


こんなときは思い出してしまう。

あれは暑さのまだ残る夏の終わりの頃だった。


登校日の帰りに、公園の砂場で、小学校に入って初めてできた友達と一緒に、砂のお城を作った。飽きた友達が帰ってもなお、遥はそのお城を座って眺めて、悦に入っていた。


そんなときだった。現れた騒がしい集団が、無残にも砂の城を足で踏み潰し始めたのだ。

自分よりも大きな子どもたちの集団は怖くて、その場を動けないまま、小さくなって、じっと壊れる様子を見ていることしかできなかった。


「――あんたたち! 何やってんの!」


急に目の前に現れたのは、彼らよりも大きな背中だった。


「やべっ!」


「逃げるぞ!」


彼らは焦って走り出し、あっという間に公園を出ていってしまった。いっぱいいるように見えていたのに、2人だったことに、驚いた。


お城をかばうようにお城の前で、腰に両手を当てて仁王立ちしていたその人は、彼らが見えなくなったことを確認してから振り向いた。


「君も言いたいことがあるならはっきり言わないと伝わらないよ」


強くて優しい声だった。

顔は後ろから射す太陽光のせいで、顔に影がかかり、よく見えない。


お礼も言えないうちに、その人は去っていってしまった。



あの背中がずっと忘れられない。

夏になり、眩しい太陽の光を浴びると、蝉の声とともに必ず思い出した。


小学校1年生のとき、周りに比べて小さかった遥は、女の子にもいるような名前だったこともあり、よくからかわれた。それに特に反論もできず、ただただ恥ずかしかった。

だから、あの人に憧れた。眩しかった。


あの人は誰なのか知りたくて、何度も公園に足を運んだが、結局、見つけられなかった。




授業が終わり、クラスメートで親友の相馬そうま駿しゅんが、遥の机の前でしゃがみこんできた。


「夏休み、課外でつぶれたな」


机に腕を置き、その上に顎を乗せている。


「そうだな」


この夏休み、思い返せば思い出らしい思い出はない。受験勉強ばかりしていたような気がする。


「なあ、遥。夏休みの最後に、楽しい思い出作らねぇか?」


「は?」


「公園の近くにケーキ屋あるだろ?」


「ああ」


「最近、新しい人が働き始めたらしくて、美人だって話題なんだよ。聞いてねぇか?」


遥は駿の話を何となく聞きながら、帰り支度を始める。


「こういうの、興味ねぇよな」


「分かってたなら誘うなよ」


「まあまあそう言わずにさ。行こうぜ」


遥が立ち上がると同時に駿も立ち上がり、行方を阻んでくる。


「俺についてきてくれるだけでいいから。男1人でケーキ屋入れねぇだろ?」


手を合わせて懇願し始めたので、遥はため息を吐いた。


どうせ帰り道だ。仕方ない。


「……分かったよ」




公園が近づいてくるに従い、駿の口数は増え、興奮が増していく。それを感じれば感じるほど、遥は冷めていく気持ちがした。


何でもそうだ。期待すると、期待外れの可能性が高くなる。

言い換えれば、期待しなければ、ある程度満足できるのだ。

だから、あまり期待するのは好きではない。


「あそこかな?」


駿が指を差したのは、白い壁にダークブラウンの木製の扉が映えるお店だった。壁の上の方に店名だろうか、“JEWEL BOX”と書かれている。


ちょうど、その前をランドセルを背負った小学生が通り過ぎようとしていた。


よく見る光景だと思っていたら、1人の子に2人がちょっかいを出し始めた。ランドセルを1人が勢いよく引っ張ったかと思うと、もう1人が手提げバッグを引っ張り出す。引っ張られている彼は嫌がっているのにも関わらず、2人の男の子はやめようとしない。むしろ、腕を掴み出し、ひどくなっている。


「何だよ、喧嘩かよ……」


駿が面倒くさそうに呟いたとき、木製の扉が手前に開き、1人の女性が出てきた。


「あんたたち! 何やってんの!」


遥はその言葉を聞いて、一瞬で、11年前の公園の記憶がフラッシュバックした。あの人と同じ言葉だ、と。


「2対1なんて卑怯でしょう。不満なことがあったら話し合って解決しなさい」


腰に手を当てて仁王立ちする姿は、やはり似ている。


心臓が早鐘のように打ち出した。彼女から目が離せない。


小学生たちが去ってしまうと、その人は扉の中へと消えていった。



「こっわ! 女の人って怒らせたら怖ぇな」


「でも、あの人じゃない? 駿が“美人”って言ってた人」


白いシャツにブラウンのエプロンをしていたから、店員には違いない。だが、あの彼女が駿の言う“美人”かは、見当違いかもしれない。


それでもよかった。とにかく、彼女に近づいてみたくなった。


彼女の登場で止まってしまっていた足を踏み出した。


「行くのかよ」


駿は遅れて遥の後をついてくる。


来る前には考えられない。完全に立場が逆転してしまった。


「せっかく来たから妹と弟に買って帰る」


「親友には冷てぇけど、家族思いだよな」


「何か言ったか?」


「いや、何も」


妹と弟に買って帰るなんて、ただの口実だ。

単純に彼女が気になったから行くのだ。



店内に入ると、白の木目調の壁で、床は扉の色に似ていた。外装と内装の色味は統一されているらしい。


入ってすぐにケーキが並ぶガラス張りのショーケースがあり、その横には焼き菓子なども並んでおり、ケーキ以外も売っていた。


そして、奥には小さなイートインスペースもあるらしい。


「いらっしゃいませ」と出迎えてくれたのは、さっき外で小学生に説教していた女性だった。

少し低めのハスキーボイスで、確かにさっきの人と同一人物のはずなのだが、満面の笑みを浮かべており、怒った顔とのギャップに驚いた。


「ずっとここで働かれてるんですか?」


聞いたのは駿だった。

近くで見て、美人だったから、心が動いたに違いない。


「いいえ。数日前から働き始めたんですよ」


「そうですか~」


駿がニヤニヤとして遥を見る。


ビンゴだった。彼女が駿の言う“美人”だったらしい。


「今日は何をお探しで?」


「弟と妹にケーキを買おうと思って」


駿は初めから買うつもりはなかったらしい。遥が答えた。


「そうでしたか」


「おすすめってありますか?」


「おすすめはこちらの期間限定のケーキですね」


「じゃあ、これにします」


彼女に会計をしてもらっている間、店内を見るふりをして、彼女を観察した。


いくつくらいの人なのだろう。

もし彼女が記憶上の“あの人”だったのなら、5歳くらいは離れているはずだ。下手したら10歳違う可能性もある。それくらい大きく見えたのだ。


……駄目だ。女性の年齢はよく分からない。


結局、黒髪を後ろに1つにまとめていることと、背が高そうだということしか分からなかった。


テレビの中のヒーローのように、現実にはいないと思えるようになったのに。あの背中の人かもしれないと思ったら、それを確かめたくなっている。


「また来てくださいね」


彼女の帰り際の言葉に、遥は小さく頷いた。

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