第20話

「直感的にはわかっていたつもりだったけど、訂正する必要がある。来栖シュカの能力は魔術と魔法のハイブリットというより、魔法そのものだな」


 上から見下ろす七海摩耶は、カーディガンのポケットに手を突っ込んだまま、真剣なまなざしで宣言する。


「魔法...ですか?」


 神木はその視線の先、来栖シュカを追いながら、七海摩耶の独り言に応える。友人が危険な線上に立っているが、自分の力はかくも役に立てないと舌を噛んでいる彼女。来栖シュカの夢のための私見であるという以上、彼女がシュカの首根っこを捕まえてずこずこと出ていけるはずがない。そんな焦燥感に身を焼きながら吐き捨てるように答える彼女の言を可憐に躱しながら、カーディガンの裾をマントのように翻し、彼女は続ける。


「ああ、まず来栖シュカが電撃を弾いた一発目。彼女は電撃の軌道上にあらかじめ一本の線を引いていたんだ。流石に空を伝う電撃に合わせるようにペンを振るうことは無理だからな。それによってさっきみたいに殺生院の攻撃をなかったことにしたんだよ。ちょうどボールペンで文字を書いているときに、間違えた部分を上から一本線を引くようにね。」


 彼女は指を空にかざしながら、横一文字に一閃。ちょうど漢字の一を描くように放たれた軌跡には、彼女の動作の残像こそあれ、当然ながら何も起こらない。しかし、来栖シュカはそんな不思議な動作を以て電撃というわかりやすい武力に対抗しようとしているのだから、胆力や覚悟云々の段階ではもはやないのであろう。おそらく、覚醒してまもない彼女は、ペンを握って確信しているのだ。これが自分の能力であると。


「そして二人の拘束を可能にしていた殺生院の魔術。多分、あいつは単純な銃の形じゃなくて、輪ゴム銃みたいなおもちゃを想像の枠組みとして成立させていたんだろうな。だから相当概念があやふやなんだ。」


七海摩耶は自身の右手で、殺生院と同じく指銃を作る。その姿は先の彼と重なるがために、神木は身を悴めて防御の姿勢を取る。その姿勢を予想していたかのように、七海はニマリと小悪魔のような笑顔を浮かべると、ぱあんと小さな声を出して、銃を撃ちこむふりをする。



「星ヶ宮の狙い事態は正しい、だけど、その正しいっていう線引きは、歴戦の経験から捻出されたものだ。例えば今回で言えば、ルーティーンを崩すために指銃を狙ったこととかね。想像力の根幹を崩す、魔術の輪郭を壊す。でも、それは戦い慣れしているやつの発想だ。こと最近新しい魔術覚えたてで、アニマの流れも抑制できていないような奴が、そのことを学校で習っていたとしてもおいそれと実践できるようなものじゃない。だからこそ、アニマの浪費が激しいながらも、もっと自由に魔術を使うことが出来るんだ。」


 神木の得ている知識では、このような詳しい魔術の基礎などは学習の範疇に存在しない。私たちの土地とこちらの都市では、こうも魔術に対する理解度が異なっているものかと軽く舌を巻く。そんな彼女を横目に、七海の目線はくるりと戦場の方に戻す。


「魔術の基礎を重視する星ヶ宮、魔術の自由さを表す殺生院。どちらの面にも魔術のいい面悪い面が反映されている。それもランカーレベルの高度なものがね。もしかしなくとも、これはテストというにはあまりにも高レベルなものだったのかもしれないな。悪いことをしたかもしれない。しかし...」


 彼女の目線の下では、今も爆発と熱風、黒煙など星ヶ宮の魔術の副次的効果と殺生院の電撃が蔓延る。派手な戦いをする彼彼女らと対照的に、来栖シュカの能力は一見地味にも思える。


 自身の右手に持っているペンで線を引くように描くことで何とか殺生院の魔術をしのぐ彼女。遠目から見た程度では、七海摩耶が推すほどの魅力あるものではないように神木自体は感じた。



「だけど、来栖シュカのそれは、そのどちらにも属さないイレギュラーなものであったってことがわかったな。元来であれば、あれほどの魔術は発動できないし、事実今の彼女は魔術を使っていない。魔術の枠に収まらないからね。...あれはね、魔法って言うんだ。いやー、久しぶりにいいものが見れたよ。新しい能力の発見は、いつも心を揺さぶるものがあるな。魂に響くよ。」


 満足げにうなづく彼女に、神木は一つの疑問を投げかける。


「魔法、って言うんですか?魔術ではなくて?」


「そもそも、皆が当然にように使っている力は、おおざっぱに言ってしまえばすべて能力っていう言葉でくくられているんだ。特に人体の不思議な力に馴染みのない、そっちの都市だったら、そっちの言葉の方が一般的だったんじゃないかな?」


 少し過去に思いを馳せれば、確かに来栖シュカは自分のことを”能力ナシのスカ”と自嘲していた。彼女だけでなく、土地の人々がいう言には、おそらく能力という言葉こそあれ、魔術という言葉は使われてこなかった。視界の隅では、七海摩耶が「多分、能力の有効活用とかに否定的だったから、細かくは知らずにいたんじゃないかな」と言葉をこぼす。


「人体発火現象から発起した能力は、未来機関によってさまざま分化されていった。その結果が神羅と呼ばれる4つの収斂だ。炎羅、漿羅、颪羅、堰羅...魔術の神とされる、占星術の聖女が授けた4大元素の羅針盤からあやかってね。例えば...」


 七海の視線が最も可憐を自称する美の化身、星ヶ宮の方に向く。つられて神木もちらりと視線を動かせば、謎の号令とともにまたもや爆発が地面を震撼させる。


「あそこにいる星ヶ宮は炎羅≪イグニス≫を持つ。人間の持つ羅針が、想像力と相まって、自身のもつ神羅を指し示すんだ。それは人間性って言い換えてもいい。勝気なヤツ、エネルギッシュで活発なヤツって、ありていに言えば、炎でも纏ってるようなイメージつくだろう?」


 実際に美しさを絶対とする彼女が、好きな魔術能力を伸ばすとしてイメージするものは何なのか。きっと、その溌剌とした魅力を前面に押し出す魔術や、もしくはそれを維持するようなものを作りそうなものだ。その結果として血を媒介とする爆発を自身の魔術として設定するのはどうかとも思えるが。


「人間性とか、性格とかがそのまま能力に反映されるっていうことですか?それの延長線上に、同じく魔法があるっていう...」


 神木が不思議そうに尋ねると、七海は指を二つ立てる。その仕草は幼い子供が何かを成し遂げたときに指でその喜びを表すときに行うピースであった。しかし、七海自身の目は至って真摯に映る。


「素晴らしい観察眼。しかし2点、補足をしておこう。性格が能力に反映されるという表現だと、魔術は一概に表現することは出来ない。それはあくまで個人のパラメーターという指標にしかならないんだ。魔術の例えとしてインスタント飲料を例にして考えてみようか。」


 七海は手をパン、を胸の前で叩くと、教団の前に立つ教師のような屹立とした背を以て講義を開始する。


「3人の学生が、朝にそろって朝食をとるような状況を考えてみてくれ。ある一人の学徒はコーンポタージュが好いていたとしよう。そしてもう一人はココアが、そして最後の一人は...まあ、青汁を好いていたとしようか。ここで、それぞれのインスタント飲料を作成する際に、それぞれをおいしく頂くには何を注ぐべきか。どう考える、神木?」


 突然の問いかけに身がどぎまぎとする。まるで本物の教師がそこにいるかのような雰囲気や圧を感じる。そんな感覚をよそに、神木は席から立って発言する。


「そうですね...まず、コーンポタージュを好いている人には、とりあえずお湯でも渡せばおいしく頂けると思います。ココアの人には、お湯でもいいんですけど、特にホットミルクとか私は好きですね。ギュっとした濃度にミルクがほどける感じがして、一番好きです。あと青汁の人には...まあ、正直何をあげても同じだと思うので、素直に割るための水とかを渡しておきますね。」


 ふむ、と顎に手を当てて七海がうなずく。興味深そうにこちらを除く、そんな彼女は何かを待っている子供のような興味と期待を感じる。その小さな身長と童顔さも相まって、ほしいものを手に入れんとする、クリスマスイブの夜を彷彿とさせる。


「..でも、それが全くの正解じゃないんじゃないですか。それぞれをどのようにして飲むかなんて、それぞれの自由でしょう?絶対の正解があるわけでもありませんし。」


「...正解」


 七海は指をパチンと鳴らす。正解の祝砲のよそに、彼女は腕を拡げて言葉を紡ぐ。


「そう、どんなにそのインスタント飲料を好いていたとしても、その作り方で満足するのかというのは個人の意思だ。これをこんなふうにして作ってみよう、ああいったアレンジをしてみようという意思の方向性こそが、インスタントをこよなく愛する者にとっては最も重要なんだ。そしてその概念は魔術にも通じる。」


「さて、能力の話に戻そう。さっきはあくまでインスタント飲料に置き換えていたが、コーンポタージュを炎羅、ココアを颪羅と変えてみよう。そして出来上がったインスタント飲料とは、その魔術の結果と考えてくれ。」


 指を小さく振ると、そのまま断崖絶壁の下に指を指す。その伸びた人差し指の先には、今もなお戦火病むことのない戦場に、殺生院、星ヶ宮、そして来栖シュカが映る。


「星ヶ宮は炎羅を持っていると説明したな。そして性格が神羅という指針に影響を及ぼしているとも。」


 神木がええ、と返事をすると、「よし」といい七海は続ける。その言葉に反応したかのように爆炎と、その煙が彼女の姿を隠すように吹き荒れる。


 その風に耐えようと神木が身を構える刹那に、七海は自らの魔術を使ったようであった。先にも見せた風よけの透明な壁を作成し、爆風を避ける。


 小さな体よりもあまりに大きなその壁は、自分たちの周りを囲むように作られている。神木の周りに聞こえてくるのは、彼女の教示する魔術への講義の声だけである。



「神羅は魂に付与される、人格や人間性に感化された副次効果の側面を持つ。魂に直結しているからこそ、その方向性が人間性に現れると考えられるんだ。まあ、卵が先か鶏が先かみたいな話になってくるけどね。」


 雑なところはご愛嬌、と軽く口ずさみながら、彼女は続ける。


「さて、そんな神羅が付与された魂、それを削り出してアニマというエネルギーを使って魔術を生成する。想像力の輪郭に流し込んでね。その時に、アニマにも魂同じく神羅が付与されているんだ。それが魔術との相性の良し悪しによってもブーストがかかるかからないが決められているんだ。」


「発現する魔術自体にも、その...神羅?みたいなよくわからない物が付与されているんですか。何かすごいわかりにくいですね...つまり?」


「魔術と魂にはそれぞれ神羅と呼ばれる属性がある。それが一致すればブーストはかかる。そんな感じだな」


「さて、炎羅と呼ばれるコーンポタージュが得意な星ヶ宮は、そのインスタント飲料を最適な状態で頂くべく、炎羅の魔術の習得を志した。その結果として、あいつはランカーと呼ばれる、5本の指に入るまでの力を手に入れている。インスタントの例えで言えば、もともとが好きな飲料をおいしく作ろうとするのが魔術の根幹なんだ。その点に関して言えば、習熟が速く、なおかつ効率よく研究することが出来るだろう。」


「反面、殺生院はココアをこよなく愛してるとしよう。そしてココアを作る際に入れるミルクとか水の種類を魂に付与されたアニマの種類とする。まあ、実際には魂に付与された魔術は不明だ。」


 七海は指でココアをかき混ぜるような仕草をする。ティースプーンをくるくると回すような動きで以て、彼の魔術を表現する。


 ここでの話をちょうど盗み聞いていたかのようなタイミングで、殺生院の電撃が空を伝うのがよく見える。


「しかし、発現していた魔術から考えて、現象化する魔術の神羅は颪羅だろう。まあ、こういう派手なエネルギー全般系の魔術はたいてい炎羅か颪羅って相場は決まっているんだけどね。」


 かき混ぜる手をピタと止める。それは指揮者が指揮棒を以て演奏を中断させるような流麗なものであった。講義する彼女の姿見はさながら講師と表現するなら、指揮棒ではなく教鞭というのが正しいだろうか。


「さて、ここでいうココアが何を例えていたかについてだ。例えばこれがもし彼の魂に付与された神羅と同じく、颪羅を例えていたとするならば、星ヶ宮と同じく魔術にブーストがかかるだろう。魔術の輪郭とそれにあったアニマが合致することでね。しかし...」

 

 言葉を止め、七海は指で舌を指さす。すると、殺生院の魔術を星ヶ宮の魔術がちょうどぶつかり合い、威力の押し相撲をせんとしている場面であった。


 神木の目には薄く、細目から見ていただけだが、結果は相殺といったところか。


「他の神羅を得意としていた場合に、ブーストがかからなくて威力が控えめになってしまうんだ。魔術の神羅と自身のそれが一致しないからね。」



「何かわかったような...わからないような感じですね。」


「魔術をコップ一杯のカップスープと想像しよう。その中で、魔術を想像力をアニマという概念に分ける。それぞれ、カップスープで言うところの素になる部分と注ぐお湯やホットミルクに分化する。魔術の輪郭を素に、アニマのお湯が注がれる。そのお湯が多ければ多いほど威力が上がるが、その分薄味になることで飲めたもんじゃあなくなってしまう。その絶妙な調節をしていくのが魔術の本懐だ。」


「魔術のイメージがきちんと想像できていればいるほど、元となる部分が圧縮されている。その分お湯を注ぐ分量が上がるから、魔術の威力を上げることが出来るんだ。だからこそ魔術には想像力が重要になってくる。魔術をきちんと現象化させるには、その下地を固める一番重要だからな。その想像に経験や記憶が介在してくる。」


「インスタントの素が魔術その想像力の輪郭であり、注がれるお湯やホットミルクの種類が個人のアニマの本質。そのインスタント飲料を作るにはそれぞれ適したお湯の種類を適切に選んでいくことが実に適当だろう。コーンポタージュを作るのにホットミルクはあまり適さない。牛乳の味が酷く前面に出されてしまうからね。」


「ココアも同様に、単なるお湯で作ろうとも、あまりにカカオの風味が強くなってしまってマイルドにならない。」


「これらを魔術の話に持ち込んでみようか。発現する魔術の輪郭に、それを構成する一本一本の細部にも神羅が関係してくる。星ヶ宮の想像力の輪郭にも、炎羅が通っているみたいにね。そしてその魔術を発動させる際に、流し入れるアニマが適してているアニマであるか否か。それが重要なんだ。」


 七海は目の前で両の手の人差し指をクロスさせる。それぞれがアニマ、魔術の輪郭を表しているかのようである。それが解するのは......


「魔術を構成する炎羅、魂に付与された炎羅、これら二つが合わされば...」


「威力が跳ね上がるんですね。構成する魔術の輪郭と、それを流れるアニマの相性が合致している関係で。」


 七海は満足そうに「うむ」と頷くと、鼻を鳴らしながら話を続ける。


「インスタント飲料の例でいえば、魔術の輪郭とアニマを合致させることは、おいしくコーンポタージュを作るっていうだけではないんだ。魔術の神羅とアニマを合致させることで、コップの中身はよりコンパクトになる。そうすると実現する魔術の量が多くなるから、より強大な魔術を使えるようになる。言い換えれば、脳の容量そのものの拡張が出来るんだ。」


「魔術はコップの中身を決めるようなものではなかったんですか?」


 神木が不思議そうに尋ねると、その言を待っていたかのように、得意げに指をピンと立てる。


「魔術の構成に想像力を使う以上、脳のキャパシティーの問題は避けては通れない。其れの大きい小さいなどという如何でも使用可能な魔術というのは変わってくるものなんだよ。コップの中身と量で決める魔術だと、その優位性は言うまでもないな。」


 何かないかな、と言って七海が周りを見渡すと、視界の端に透明なプラスチックコップが見つかる。円卓のテーブルに置かれたそれは、先まで七海、来栖、神木を交えてお茶会をしていたものである。爆炎などに大きく煽られる前に七海が魔術を発動させた影響も相まってカランと倒れたままだ。


「これこれ、このコップで例えてみよう。」


 そう言って彼女はコップに手を伸ばすと、神木の前に右手で支えるそれを差し出した。


「このコップを脳の容量とする。今はこんなサイズだけだし、まあお店でも4つくらいのサイズしか置いてないだろう。」


 右手の指を器用に使ってコップを回し始める。光の反射が円の軌跡を描き、その輪郭を表す。


「でもね、これを人の脳の容量と例えるなら、これは誰として同じじゃない。人の数、魔術の数だけこのコップの型は大量にある。とても数え切れたものじゃない。人工知能AIとかなら可能なのかもしれないけどね。」


「そんなことしても意味ないので、他のことに使うべきだと思いますけどね。」


 辛辣、と七海は一言。



「コップは脳の容量、そして魔術はおいしくできたかできないかの結果。おいしく出来たとき、思い描いた魔術が想像通りの結果をしたとき、人は甘美な成功体験を積む。逆にそれが失敗に終わったときには失敗の苦い経験を。」


 神木がうなずく。特に失敗の経験は、文字通り苦いものであることを彼女自身もよく理解している。


 具体的に言えば、彼女の得意である紐パンの結びが甘く、ずり落ちてしまいそうになった時の記憶である。いくら紐パンが速く結べるとはいっても、やはり何事も確認することは重要ということだろう。いたいけな少女に貼りついた苦い記憶、苦虫を嚙み潰すような痛ましい表情、苦汁を全身に塗りたくるような粘りつく視線。それらがトラウマになり、家で少し泣いたのは苦い思い出である。


 苦みという概念に付与されたイメージ。それは凡そ魔術においても同様ということであろう。


「コップ一杯に失敗という苦みが追加されれば、その量にもよるだろうが、たちまちのうちに旨味を取り逃がしてしまうことになるだろう。反対に、成功体験というものは、甘みと旨味を。それによって魔術という味は上下される。...もちろん、それだけが魔術のすべてを決めるわけではない。あくまで一例だけどね。苦いもの好きだって、いると世界中探せばいるような気もするだろう。」


「さっきの話じゃないですけど、青汁とか飲む人の話がここでつながってくるんですか?」


「んー、いや違うな。青汁は。」


 そうだな、そっちの話も”お前たちには”必要だな、と彼女は漏らす。それは独り言のようにも、こちらに聞こえるようにも捉えられ、彼女の真意は読み取れなかった。どちらかと言えば、後者のような気もするが。


「さて、能力、いや魔術のコップに入るのは、インスタントの粉とお湯。この二点が必要なんだ。」


 七海が透明なコップを持ち上げ、魔術の基礎を簡潔に説明する。その中身の如何、それが魔術の本懐である、と。


「さて、能力という概念には、魔術とは違う、それでいて魔術のような効果を生み出す概念が内包されている。それが魔法だ。さっきと少し口をこぼしたけどね。」


「魔法...ですか。でも魔術と魔法って、基本的に同一視されてませんか。本とかで調べても、多分おんなじこと書いてありますよ。そこに線引きはあるんですか?」


 そう神木が問いかける。「ではインスタント飲料の話に戻そう」とプラスチックカップの持ち方を変える。先ほどまでは右手の指で支えていたが、それを左手側に移しながら彼女は続ける。


「青汁っていうのは、もちろん苦みもあるだろうけど、その中で甘みとか酸っぱい味とかごちゃごちゃしているせいで”まずい”っていう結論になりがちだろう?どうあがいてもおいしくなること自体はない。味の創作性、拡張性がないんだ。」


 青汁というものはあまりなじみがないが、言わんとせんとすることは理解ができる。魔術の種類、もといコーンポタージュやココアの例でいえば、それぞれお湯をホットミルクにしたりと楽しむための手段が豊富に存在している。


 しかし、青汁というものにはそれらが存在しない。つまり――


「つまり、アレンジを加えることが出来ないんだ。この点が魔術と大きく異なる。魔術の本懐は、想像力という輪郭をありとあらゆる形に変更可能という点を利用して、そのレパートリーを拡げていくことにあるからね。何を食べてきたか、どのような味を好むようになったか...そして、それらをによって構成された味覚は進化していく。経験という下地を基礎としてね。」


「どのような魔術の方向性かを決める神羅と、魂に付与された神羅の違いは時間軸にある。前者は先天的なものであるが、後者は後天的に発現するんだ。だから、こっちの世界では、想像力の感性を育てるためにも、こんな派手な街を作り上げているんだ。そっちの街からでも見えただろう。”未来の目”と呼ばれる建物が。」


 たしかに未来の目はこちらの世界からでもよく見える建物だ。急ピッチで作られた白くて高く、夜を照らす灯台のような役割さえ担うような派手に着飾られたそれは、想像力を高めるという点では大きな役目を買っているだろう。妄想の類かも知れないが。


 それこそこの街に入るという目標を立てたシュカの目には、常にそれが映っていたように感じる。それこそ病的なまでに。


「この先には、それほどまでとはいかなくても、様々なものがある。それこそ、一個一個に目を向けていれば、とても退屈なんてしないようなものがね。それでも虚無と不変を感じるのであれば、畢生と引き換えの何かをしようとしない愚か者のそれだよ。魔術発現しないやつにありがちなね。」


 

「未来の目とか、日常のそういう発見を積み重ねることで魔術の発現がしやすくなるんですか?」

 


「そうだ。それを経験するという。経験という概念は、魔術的には大きくかかわる概念だ。経験した、体感したというものは、魔術のイメージ構築に有利に働く。どのような経験をしてきたか、それによって自分にどう影響を与えてきたか...それらの総括によって人間性が構築される。そしてそれが魂の属性、神羅を決定する。」


 インスタント飲料と味覚の例で考えれば、味覚というものから魔術的経験という言葉に通じているものがあるのがわかる。味覚とは元来、生涯かけて育てていくものである。何をうまいと思うか、どのようなものを好むかは、何を食べてきたかという経験が大きく絡んでくる。いろいろなものを、好き嫌いなく様々な方向性のものを食べていけば、それだけ味覚が育ち、いろいろなものを食べられるようになる。その中で自分が好きだと思う味が、魔術で言う神羅なのだ。


「そして自分の神羅をはっきりと理解しているやつは皆、魔術の神羅も何となく把握できる嗅覚を持っている。これは自分に合いそうな食材だな、こう調理すればおいしく食べれるな、みたいな感じでね。経験という下地によって、自然と魔術の輪郭も決まっていくんだ。」


 どれがおいしいと感じるようになるのかを把握できる人間が、選り好みで嫌いなものを口に運ぶことは少ない。つまりはそういうことだろうか。


「じゃあ、青汁とかは誰も飲まないじゃないですか。好き好んで味を調節できないし、そもそもおいしくないのだわかり切ってるものですし。」


 先のインスタント飲料では、魔術をココアなどに表現させていたが、それでは青汁こと魔法のものに説明がつかない。誰が好き好んでまずいものを飲もうというのか。


「ああ、そもそも考え方が異なるんだ。さっきまでのコーンポタージュとかは、自分で調合していただろう?好きなものを、好きなだけ入れる。そういう2工程があったわけだ。」  


 七海はコップを持つ手と反対側、右手で指を日本ピースの形を取って描写する。


「魔術の輪郭を想像する工程と、アニマを流し込む工程ですね。それが...」


「コーンポタージュで考えると、インスタントの粉を入れる。それにお湯などを流し込む。という工程だ。その魔術的な考え方はすべからく正しい。しかし...」


 七海は先の右手のピースの形を変える。薬指を静かに下ろし、人差し指が大地に咲く向日葵のように立つ。


「魔法の工程は違うんだ。インスタントの粉を入れる工程ない。蛇口をひねれば出てくるミカンジュースのように、自身のアニマを流し込むだけで完成するんだ。自信の想像力を媒介としない。」


「何それ、ちょっとお得ですね。朝の時間とかすごく役に立ちそうです。」


 神木は朝の時間、インスタントのカップスープを作ることをルーティーンとしている。そのため、その作る工程をよく知っているのだ。時間がないときの、その煩わしさも。


 例えば朝寝坊したときなど、よくカップスープは作らずトーストだけで済ませることも多々ある。そのため、その時間で一口おいしいものを摂取できたなら、それもありであると考えた。


「いや、出てくるものがミカンジュースとか青汁とかだと日常生活すごい困ると思うぞ。特に青汁なんて出てきた日には涙で前が見えなくなる。こんなもの、本当にどうしろって言うんだよって途方に暮れるぞ。」


 七海が暗い表情で呟く。その陰りは、哀愁と未練の色が濃く残っているようにも感じた。


「え、経験談ですか?」


「ああ、自宅を改造したこともある。」


「自業自得じゃないですか。涙を拭いてください。流す権利なんてないんですから。」


 ふっっと彼女がその表情を戻す。一瞬その表情は穏やかなものになったと錯覚する時間もなく、表情は先の行使のそれに戻った。


「さて、魔術と魔法には、方法は違えどともにこのコップを満たすことが出来る。しかそ、その味の拡張性という面ではやはり魔術が優れている。魔法では、完成されたものは常に一定だからな。後でアレンジを足そうとしたところで、本来の味からは離れていくばかりで邪道でしかない。無論、例外はあるがね。」


「魔術の工程を術式と呼称するならば、魔法の工程は方式と表現しようか。術式は、その工程がはっきりと自覚、理解できる。そもそもの工程が自分の想像力次第なんだ。人は想像できないものを創造できない。しかし...」


 七海は下にいる最後の一人、今もなおペンで戦う来栖シュカに目を向ける。爆風と電撃という魔術抗争でもトップレベルな熾烈な戦いの中、発現したてのペンの能力で以て戦う彼女。その能力に苦心しながらも、星ヶ宮のサポートもあり、うまく電撃をさばいている。


「魔法の方式は世界が異なる。自分が理解してないもの、曖昧な概念、説明できない現象...それらを包括してもなおこちらの世界に、その現象を落とし込むことが可能なんだ。...だから正直驚いた。魔術も魔法も、というか能力という概念すら知らないシュカがこんなにも多彩な魔法を使えるなんてね。こっちの土地のそういない、ランカーとしても相違ない、稀有な才能だ。」



「何か得心はいってませんけどね。」


「どこらへんだ。詳しく聞かせよう。もちろん、あとで来栖にも。一番聞きたいと願っているのは、そして一番必要なのはおそらく彼女だろうからね。」


「そもそも、その魔術っていうのは、想像力とアニマと呼ばれるエネルギーを媒介として発現するんですよね。つまり、言ってしまえばだれにでも出来そうなものです。」


「鋭いね。人間というのは想像できることに上限はないんだ。つまり、やろうとおもえばなんでも実現できる。それだけの能力が、人間の可能性にはあるからね。」


「じゃあ、なんでその中で威力とか、ランキングとかがあるんですか。いろいろな経験を積み重ね、それでいていろいろなものに分化するという概念は、未来機関の人工知能AIの提唱する完全な等しさに矛盾している気がしますよ。」


 ふむ、と彼女は一瞬考えこむ素振りを見せると、指を絶たせてこう綴る。


「一つ目は、上限はなくても、限界はあるからだ。人間の発動する能力には、どうしても基礎となるアニマが必要になる。その出力を間違えればたちまち機能不全に陥ってしまうという関係上、使える量にも限界はある。特に魔法というものの発現にありがちなミスだな。いかに強力なものでも、発動できなければ意味がない。」


「さらに二つ目、魔術魔法ともに、完全な同じ経験というものは積まれない。遺伝子的な問題もあるし、先天的とかで関与できないものだってあるからな。魔法の中でも、魔術の中でも同じような問題は発生する。」


七海が右手の指をピンと立てて説明する。さらに彼女は薬指を伸ばして続ける。



「最後に三つ目。完全な等しさに関してだが...」


 こほん、とかわいらしく咳ばらいをすると、七海はもう一度手をふらふらとさせて神木に問うた。




「神木は普段、ゲームとかするかい?いや、ゲームじゃなくても、漫画とか...」


「いえ、あんまり...向こうでも別に流行ってるものとかはあまりなかったので、興味とかも湧かなかったので」


「ほら、”属性”って単語とか聞くと、何となく何個かの色とかパラメーターとかに分けられるイメージ湧かないか?スキルっていう単語とかもそうだけど...」


「うーん、あんまり...というか、スキルって、資格とかのことですよね。なんでそれらに色とかが付いたりするんですか。しかも、それが魔術とかみ合うことなんて考えられませんよ。ボールペンカチカチやって資格を取得したとて、星ヶ宮さんみたいな魔術は出来ませんしね。」


 そう言って神木が肩をすくむ仕草を見せれば、七海は一息ついて「そうか」と短く答える。そして七海は自分で自分の納得のいく道筋を探すが如く、空に目を向けて腕を組むと唇を尖らせた。「そういう意味になるよな、言われてみれば。...せっかく一番いい具体例が言えると思ったけどな。まあ、あっちじゃ未来機関の関係上、いろいろあるか...」という小さな独り言とともに。


 その文言を、神木の抜群の聴覚は聞き逃さない。彼女が誇れる点として挙げられるのは、パンチラを見逃さない洞察力だけにあらず。その身体能力全般であるということに、彼女自身が気が付いていないだけであろう。  


 ピクリと眉を吊り上げた彼女は、七海にずいっと一歩踏み出す。そして早口で問いかけた。


「何があるって言いました?こっちの土地とあっちの土地じゃ、魔術以外にも異なる基準が設けられているんですか?」


 彼女のポロリとこぼしたその言は、自分にとっては実に興味深い発言でもある。


 ”あっちではいろいろとある”。この文言から察するに、ゲーム他にも諸々の制限があるのであろう。ことゲームや漫画のみのことを刺していた場合でも、自らの状況を察すれば、いろいろと不思議な面がある。


 あちらの土地のゲームと言えば、役割のある駒同士を集めて王を打ち取ることを基盤とした盤上のゲームのようなものを指し示している。そこに属性やパラメーターなぞは介在しない。色なども、遊ぶゲームの種目によって細分化していくが、彼女が言うような色とりどりのものなど、どうしても想像がつかない。


 さらに疑念を隠せないのが漫画と能力の結びつきという点である。その他の土地に住んでいる私たちにとって、漫画というものは、魔術というものとはかけ離れたものである。今この魔術が蔓延る世界基準で見れば、恣意的なものすら感じれてしまうほどに徹底して排斥されていた。あの場所を除いて―――


「私たちが見てきたゲームとか、漫画には魔術とはかけ離れたものでしたよ。七海さんが言うような魔術への足掛かりとして使えそうなものは...多分ですが、在りませんでした。...今思えば、どうして漫画という想像力が闊歩する創作物に魔術という題材がなかったのか。多分、七海さんの言う漫画と、私たちが想像している漫画とは、世界が違うんですね。」


「ああ、多分な。私の言う漫画とは、魔術に限らず、いろいろな能力が闊歩するようなものだよ。そっちの世界では多分、出てこないようなものじゃないかな。その反応から察するに。」


「ええ、私の言う漫画というのは、人と人が手を取り合い、笑いあい、約束を交わし、それが果たされまぐわう。なんとも過激で可憐で、それでいて純情な恋の物語を指し示します。その中で魔術という単語は出てきたことなんて一度たりとも有りませんよ。断言すらできるほどに明らかに。」


 シュカは、心の中であの場所のことを押し殺しながら、七海に迫る。


「教えてください、七海さん。どうしてあちらの土地ではこうも魔術が排斥されていたのか。未来機関の関係上って、何がどう関係しているのか。」


「...能力にあまり興味のなさそうな神木がそこまで突っかかるのは...未来機関への怒りか?」


「...それもありますが、一番はシュカですよ。あいつ、七海さんも見た通り、未来都市にすごい憧れを持っています。それこそ、その気持ちだけでここまで来れてしまうほどの熱を。それがもし、未来機関の手で阻まれていたのだとしたら、許せないじゃないですか。」


 魔術の世界を知らぬままに、未来都市への扉を叩くシュカの背中には、神木の想像を超える何かを持っている。そんな彼女の執念と怒りの露呈を正面から見つめる七海は、ゆっくりと「そうか」とうなづき、口を開いた。


「能力と未来都市について、私も深いところまでは知らないし、規則で話すことは出来ないんだ。だから済まないね。しがない研究者には、まだこちらの話をするほどの知見は集まっていないんだ。」


「そうですか...」


 彼女が少ししょぼんとする様子を見て、拳の力を少し解く。どうやら知らず知らずのうちに少し熱くなっていたようだ。もちろん、これは七海に対するものではない。未来都市、ひいては未来機関への疑念から生まれたものだ。彼女に罪があるだろうか、と理性がつぶさに囁いた。


「話の続きついでに、少しだけ延長して教えよう。もちろん教えれるところだけだがね。私も詳しくは言えないから。」


「それは願ってもないですけど、いいんですか。七海さんにとってそんな話を私たちに教えることって大丈夫なんですか。研究職の内容ともかかわってくるっぽいですし...」


「義理はなくても理由が出来たからね。」


 口元はにやりとはにかみながら、双眸は爛々と輝いている。その歪さを不思議に感じながらも、その疑問を発するよりも早く、七海は言葉の鞘を抜く。


「さっきの話の続きだが、三つ目。完全な等しさというものは、どのような場合を用いようとも存在しえないんだ。ランキングのあるなしとか、魔術の種類や経験の有無とか、主義主張がどうのこうのとか、それ以前の話になってくる。人間の根底に、絶対不可欠でかつ、不平等な概念がある限りね。」


 息を静かに飲み、問いかける。


 彼女はしがない文化研究学者。しかし、人間に発現した様々なものを研究をする彼女には、その解を持つに足り得る背景があるのだろう。それが本物と言わしめさせる圧が神木には感じる。根拠を自身によってのみ構成される、能力とは別の人間に内包されたオーラとでも呼べばよいのか。それらの圧が彼女の周囲の空気を揺さぶる。


「...それは?」


 時が止まったかのような空間の中、周りを囲んでいた周囲の壁がなくなる。それだけ彼女の集中が能力の維持よりも、その言を伝えることに意味があると会わんばかりであった。空気が肌を伝うと、熱が頬をくすぐった。それでも、彼女は意に介さず、指を口元にピンと立てて、右目をつぶる。花浅葱色のカーディガンが風で揺れ、制服を着ていれば、彼女の身長も相まって、まるで愛の告白をする女学徒の風体であっただろう。そんな秘密を胸に秘めた思いを伝えるが如く、彼女は小声で囁いた。


「愛だよ、神木哀。世界は、愛で以て歪まれ、愛で以て回っているんだ。」


 彼女がそう口にした刹那、自分たちの立っていた崖は轟音とともに崩れ落ちた。


 





 


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