第8話 卒業パーティー2

 卒業パーティーの会場は、卒業生達の晴れの舞台ともあり、とても華やかだった。

 ふかふかのレッドカーペットに、眩いばかりに煌めく大きなシャンデリア。美味しそうな料理に、この日のために呼ばれた王都でも有名なオーケストラ。色とりどりのドレスに着飾った卒業生やそのパートナー達——何もかもがキラキラと眩しく輝いていた。


 前回の人生で、この卒業パーティーは憂鬱だった。

 デーヴィッド様は婚約者の義務でエスコートはしてくれたけれど、会場についてからはすぐに別行動になった。


 私は生徒会のメンバー達と一緒にいて、彼はずっと他の女の子達とおしゃべりをしていた。

 逐一、彼の行動をチェックしてしまう自分に嫌気がさしたものだった。


 でも、今回はアーサー様が私のすぐそばにいてくれる。たったこれだけでとても心強くて、安心できた。



「やあ! アーサー、シャーロット嬢。来てくれたんだね」

「卒業おめでとう、ジェローム」

「卒業おめでとうございます、ジェローム殿下」


 私とアーサー様は、早速ジェローム殿下に挨拶をしに行った。

 ジェローム殿下は、たくさんの人達に囲まれていたけれど、私達が近づくと、笑顔で迎え入れてくれた。


「おや? シャーロット嬢のそのドレス……アーサーも隅に置けないな」


 ジェローム殿下がニッと口角を上げて、私達を交互に見つめた。


「こ、これは……!」

「ああ。シャーロット嬢によく似合うだろう?」


 私が言いかけると、アーサー様がすぐにジェローム殿下に笑顔で返事を返した。

 アーサー様にそっと腰を引かれ、心臓がドキンッと大きく跳ねて、私は何も言えなくなってしまった。


「ふふっ。アーサーもシャーロット嬢も、今夜のパーティーを楽しんでね」


 ジェローム殿下はニヤニヤと私達を眺めた後、また他の人との会話に戻っていった。


「何か少し食べようか?」

「え、ええ。そうしましょう」


 アーサー様に気遣われて、私は気を落ち着けて頷いた。


——そうよね。せっかくパーティーに来たのだもの。楽しまないと!



「シャーロット、なぜここに? それにその格好は……」


 その時、嫌という程聞き慣れた声が聞こえて、私の心臓は別の意味でドキンッと鳴って凍りついた。


 声がした方へ振り返ると、びっくりしてこちらを見つめるデーヴィッド様がいた。

 どうやら今夜は、卒業する先輩をエスコートしているみたい。


「ご機嫌よう、デーヴィッド様」


 私は努めて冷静に挨拶をした。

 少しだけ、アーサー様の腕に添えていた手が震えてしまう。


 一気に天国から現実に引き摺り落とされたような心地だった。


 三度目の人生になって、デーヴィッド様のことはキッパリと諦めていたし、自分の中ではもう心の整理も終わったと思っていた。特にここ最近は顔を合わせることもなく、噂話を聞くばかりだったし——だからこそ、油断していたのかもしれない。


 デーヴィッド様の顔を久々に前にして、なぜだか、今までの積りに積もった恨みとか、嫉妬とか、悔しいとか、過去の可哀想で満たされない前世の自分が心の中に浮かんで来た。彼女達は、私の中でもがいて暴れて、「なぜ、なぜ!? 今頃になって!?」と今世の私に訴えかけているようだった。


 アーサー様が私の小さく震える手に、大きな手を添えて包んでくれた。

 その瞬間、フッと私の震えが止まった。私の中の満たされなかった前世の想いも言葉達も、スッと波が引くように心の奥底へと沈んでいった。


「やあ、ローラット伯爵令息。私のパートナーに何か?」


 アーサー様が私を庇うように少し前に出て、話を代わってくれた。


「……いえ。シャーロットのパートナーについて何も聞いてなかったもので、あまりにもびっくりして……」


 デーヴィッド様が戸惑うように答えた。


「あなたはデーヴィッドの何かしら?」


 デーヴィッド様のパートナーの先輩が、二人の仲を見せつけるように彼の腕に豊かな胸を押し付けて訊いてきた。


「両親の仲が良いだけの、ただの幼馴染ですわ」


 私はなんでもないという風に、平静を装って答えた。無理矢理にでもにっこりと口角を上げる。

 一方で、私はアーサー様に添えている手にキュッと力を入れた。


「そろそろ失礼してもいいかな? 僕たちはこれから少し休憩するところなんだ」

「……あ、ああ……」


 アーサー様がどこか牽制するような凄みのある笑みを貼り付けて、半ば無理矢理デーヴィッド様達から離れた。私も一緒に、彼らから離れる。


 私はしばらくの間、デーヴィッド様達の痛い程の視線を背中に感じた。



 アーサー様が、二人分のドリンクをウェイターのトレイから取った。そのまま窓際へと向かう。


 バルコニーに出ると、私達以外には誰もいなかった。


「少し休もうか? はい、これ」

「ありがとうございます」


 アーサー様から淡い黄金色のドリンクを手渡され、お礼を言う。


 グラスの底から細やかな泡が立っているから、どうやらシャンパンみたい。

 本当はまだお酒を飲んでいい年頃じゃないけれど、このパーティーではみんな飲んでいる。アーサー様がせっかく取ってくれたのだから、私も一口飲んでみた。


 シャンパンはシュワッとほろ苦くて、大人の味がした。


「シャーロット嬢、大丈夫? 顔色がすぐれないようだけど……」

「ええ。大丈夫ですわ。アーサー様こそ、ごめんなさい。まさかデーヴィッド様がここにいるなんて思わなかったわ」


 アーサー様に心配そうに覗き込まれ、私は申し訳なさでいっぱいになって答えた。


「シャーロット嬢は、ローラット伯爵令息のことはどう思ってるの?」

「……ただの幼馴染ですわ」

「彼はそうとは思っていないみたいだけど? それに、君が彼と付き合ってるなんて噂もある……」

「それについては、根も葉もない噂を流されて、私もほとほと困ってるんです……」


 私がそこまで言うと、二人の間に沈黙が落ちた。


 バルコニーに冷たい風が吹き抜けて、少し肌寒くなった。


 アーサー様は急にジャケットを脱いだかと思うと、私の肩にかけてくださった。ふわっと彼のジャケットについた柑橘系の香りが立ち込める。


「ありがとうございます」

「いいよ」


 私がお礼を言うと、アーサー様がほろ苦く笑った。



 デーヴィッド様から離れて、お酒も飲んだからか、私の心はだんだんと落ち着いてきた。

 バルコニーから眺める夜の庭もとても静かで、そのおかげもあるのかもしれない。


 それはアーサー様も一緒みたいで、ポツリと呟くように囁いた。


「あなたはずっと彼ばかりを見てきた」

「そうですね……でも、もう私は気づいてしまったんです。一人で恋は続けられないと」


 少しだけお酒に当てられたのか、それともこの場の空気に当てられたのか、私から本音が溢れた。


「それなら、僕と二人で恋を続けてみない? その先に何があるのか、彼とは続けられなくても、僕ならじっくり付き合うよ」

「えっ……」


 アーサー様から思わぬことを言われて、私は彼の方を振り向いた。


 彼のブルーダイヤモンドのようなアイスブルー色の瞳には、くっきりと私の姿が写っていた。アーサー様の瞳に写る私は、驚いてはいたけれど、どこかホッと安心しているような和やかな表情を湛えていた。


「やっと、こっちを見てくれた」


 アーサー様がくしゃりと顔を綻ばせた。


 普段見たことのないアーサー様の心からの微笑みに、私はつい見惚れてしまった。


 デーヴィッド様は、いつでも彼の中では彼が一番だった。

 一度目の人生も、二度目の人生でも、彼は彼にとってその時に一番有利な方や楽しい方、ラクな方ばかりを選んできた——そして、その中に私は残らなかった。


 でも、アーサー様はいつでも私のことに気を配って、大切にしてくれた。生徒会やクラスで意見が分かれた時も、互いの話に耳を傾けあって、一緒に考えることができた。だからこそ、アーサー様とは信頼がある——彼とならきっと……


「私も、きっとアーサー様とだったら恋を続けられると思います」

「シャーロット!」


 私は急に、ギュッときつくアーサー様に抱きしめられた。


「ア、アーサー様!?」

「……シャーロット、ああ、良かった。ずっと、ずっと君のことが好きだったんだ」


 私の耳元で、アーサー様の低い声が響いた。

 彼の腕の中は、穏やかであたたかい柑橘系の香りがした。



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