第30楽章 何のために

吹奏楽部は大所帯おおじょたいだ。それだけにそれぞれがどんな思いで、音楽に向き合っているのか、その温度差おんどさとか価値観かちかんの違いなどがあるメンバーが、一つの目標に向かって進んでいくというのは、そう簡単なことではない。


吹奏楽部に入りたい!という理由で清流せいりゅうを選んだ生徒もいる。何か部活に入らなきゃいけないから、とりあえず吹奏楽部という生徒もいる。プロを目指せるほど上手い生徒もいる。一生懸命練習してなんとか合奏についてくる生徒もいる。周りに気をつかえる生徒もいれば、自分中心の生徒もいる。部活をやるからにはコンクールで賞を取りたいと考える生徒もいるし、なんとなくみんなについていっているだけで特別な意気込みはない生徒もいる。


オーボエの2年生、来宮きのみや瑠唯るい神楽坂かぐらざかの目から見てもとても上手い。演奏技術は3年生にも負けていないと思う。音大進学もあるのではないかと神楽坂は思っている。そんな瑠唯るいは、とても真面目に練習する。だからこそここまで上達したともいえる。ただ神楽坂は、彼がどんな思いで音楽をやっているのか、を聞いてみたいなと常々つねづね思っていた。


ある日の合奏終わり、たまたま彼が近くに来るタイミングがあったので神楽坂はそういえばという感じで声をかけた。瑠唯るい躊躇ちゅうちょなく「理由なんてありませんよ」と答えた。少し拍子抜ひょうしぬけするほどの快答かいとうだった。

一生懸命練習にも取り組むし、基礎練習なんかもサボらずやっているのは、音大を目指してるからなのかなとか、そんなことを想像していた神楽坂はめずらしく少しあわてた。

「そもそも、音楽って何かのためにやるもんなんですかね」

瑠唯るいに逆質問される。うーん、と神楽坂はうなる。

「確かに何かのためと聞かれると、答えに困るね。いや、変な質問をしてすまなかった。僕は職業として音楽をやっているから、ついそんなことを考えてしまってね」

「仕事として音楽をやるなら、誰かに聴かせるとか、観客を喜ばせるとか、自分を表現するとか、何かと伝えたいとかって考えるかもしれません。でも今の僕はただの高校生ですし。もちろんどこでもいいってわけじゃなくてこの吹奏楽部を選んだのは自分ですけれどね。だから、練習はちゃんとやります。やるからには、いい音を出したいし、いい演奏をしたいから」

しっかり考えているんだなぁ、と神楽坂は感嘆かんたんした。何のためでもないといいながら、自分じゃない立場からのことも考えてからの逆算ぎゃくさんで今の自分を客観的に見ている。


「まぁ、あえて言うなら、音楽が、というかオーボエが好きだからですね」

瑠唯るいはそうほがらかに言って、片付けに戻っていった。


今は自分がやりたいからってだけで音楽をやれる貴重な時間なのかもしれない、と神楽坂は思う。音楽を真剣にやり始めると辛いことも苦しむことも増えてくる。吹けて当たり前、できるのがスタンダードという世界に飛び込んでしまえば、全てが自己責任になって迷っているひまもない。

とはいえ、コンクールへ向けて毎日練習、勉強との両立、部内の人間関係などいろいろある中でみんなが四苦八苦しくはっくしているなかで、あっけらかんと「好きだから」と答えられる瑠唯るいが、ちょっとうらやましくもある神楽坂だった。



♪今日のワーク――――――――――――――♪

音楽は好き?

楽器が好き?

演奏は楽しい?


そんな当たり前の事を、時々忘れがちになるよね。

部活やコンクールといったことを頑張りすぎて、燃え尽きてしまう生徒を僕はたくさん見てきた。高校を卒業して、もう音楽はいいや、と思ってしまうんだ。

なんだか、それはすごくもったいないというか、僕からしたら残念だなって思う。


プロにならなくったって、音楽って気軽に楽しめるものだと思うんだ。

程度の差はあるけど、例えば好きなアーティストの音楽を聴いたりするのは、みんなやっていることだと思う。それだって、音楽を楽しむことの一つ。


少し仕事も落ち着いたころに、しまい込んだ楽器を取り出して、「もう一度やってみようかな」と考える人は多い。中学や高校で忙しく過ごすうちに、音楽が好きという気持ちを心の奥底にしまい込んでしまうのかもしれないね。そしてふとした瞬間にその扉が開いて、その気持ちを思い出す。そして、地域の楽団に入ってみたり、もう一度レッスンに通ってみたり、そうやって音楽を楽しむことを思い出す大人は多いんだ。思い出せただけでも幸せなことだと思うけど、できれば、その気持ちをしまい込まずにずっと持っていられたら、きっとずっと幸せなんじゃないかなと、僕は思う。

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