第2話【保護者で、彼氏】

『恵理那の様子はどうだい?』


 スマホのハンズフリー越しに落ち着いたトーンの女性の声が訊ねる。


「特に何も。昼間は部屋で受験勉強したり、たまに友達とどこかに遊びに行ったり。健全な学生の夏休みをエンジョイしてます」

『健全な学生の夏休みをエンジョイか。あんな娯楽の少ない田舎じゃ、健全じゃない学生の夏休みをするほうが難しいだろう』

「言えてますね」


 上品に笑うこの人は、恵理那の母親にして大学教授を務めている敦子叔母あつこおばさん。

 つい三ヶ月前まで恵理那と二人でこの広い家に住んでいたんだが、今は仕事で海外の大学を転々と回りながら教鞭きょうべんをとっている。

 年齢を考えるとあと5年も経たずに定年退職する歳だというのに、相変わらずバイタリティの衰えを知らない女性だ。


『年々、過疎化かそかが進んで、最近だとそういった地域を狙った強盗団も多いと聞くから心配だったんだが、拓坊たくぼうが来てくれて助かったよ』

「さすがに田舎のポツンと一軒家に恵理那一人じゃ心配ですからね。この辺、夜になると外灯もほとんどありませんし。カエルの大合唱じゃ防犯どころかむしろ犯罪の手助けになりかねませんから」

『面白いこと言うじゃないか。さすがは新進気鋭のフリーの映像編集マン。ワードチョイスが一品いっぴんだね』

「それ関係あります?」


 昼間できなかった動画のチェックを、敦子叔母さんと話ながら何度も流し見する。

 片方の耳で合成音声に変換された親戚の声、もう片方の耳はイヤホンでモニターのスピーカーから流れる音を拾う。我ながら器用な手法だ。


『こういうことは本来恵理那の姉である初奈はつなに頼むべきなんだが』

「仕方ないですよ。向こうはまだ結婚一年目の新婚ですから」


 敦子おばさんから『初奈』の言葉を聞き、マウスをクリックするタイミングが少し遅れた。

 真中まなか初奈――今は旦那の性を名乗っているから日野ひの初奈か。

 恵理那とは10歳離れた同い年の従姉妹いとこにして、俺の初恋の相手――。

 今はこの実家を離れ、遠く東京の港区の方に住んでいるらしい。

 なので敦子叔母さんが仕事の関係で一年間家を離れるその間。家にひとりぼっちになっしまう恵里菜の保護者として、フリーランスで在宅ワーク可能の俺に白羽の矢が立ったというわけだ。


『拓坊は初奈とはしばらく会ってないんだったな』

「ええ、まぁ。結婚式も出れなかったんで、前回会ったのはもういつだったか」

『大学を卒業して東京に出て行ってからは家にもあまり帰って来なかったからね。タイミングが合わないのも当然だ』


 もう何年も前から俺の中での初奈のイメージは、小学校高学年頃までの、もっとも一緒によく遊んでいた時期のイメージで止まったままだった。

 笑った顔が花が咲いたように綺麗で、ガキのくせに気配り上手で優しい。身体つきもかなり早い段階から出るところは出ていて、初めて同年代の女子に欲情の気持ちを抱いてしまったのは、実をいうと彼女だったりする。


「東京からここまで結構距離ありますし、疎遠そえんになるのも分かる気がします」

『拓坊の実家だって東京と大して距離は変わらないじゃないか。しかも拓坊は就職して東京で一人暮らし始めてからもうちにはよく来てくれていたろ』

「それはなんというか。これまで続けてきたルーティンをやめられないというか」


 自分でも失礼かもなと思いつつも、つい自然と本音をべてしまった。

 電車は一時間にたった三本。

 駅を降りても歩いてニ時間はかかる距離にある家。もちろんバスの乗り継ぎは必須だ。

 周囲に娯楽施設と呼べるような代物は一切ない、住むには不便極まりないドが付く田舎でも、子供の頃から親に連れられて遊びに来ていた俺にとっては、唯一気兼ねなく帰れる場所なのだ。


『嬉しいこと言ってくれるじゃないか拓坊。他の親戚の子たちは大きくなると友達関係を優先して来なくなるというのに。変わらずにいてくれて感謝する』

「......それっていいことなんですかね」

『どういう意味だ』

「いえ別に。ところで敦子叔母さんのほうはどうなんです」


 確か先月の定期連絡では来月はアメリカに向かうって言ってたよな。だとすると向こうは朝の7時くらい、といったところか。

 寝起きのはずなのに気だるさを一切感じさせない振る舞いは、オンかオフしかない敦子叔母さんらしい。


『こちらも変わらずだ。何歳いくつになっても学ぶことは楽しいぞ。毎日脳細胞がトップギアで喜んでくれている』

「ちゃんと一年経ったら帰ってきてくださいよ」

「フフ。拓坊が恵理那の面倒をみてくれるなら、滞在期間を延長するのも選択肢としてアリだな」

『その時は早めに言ってくださいね』


 互いに冗談とも本気とも取れるやり取りを交わす。

 俺にとって敦子叔母さんは母親の姉に位置する人ではあるが、下手な友人たちより気兼ねなく本音に近い言葉で話せるのでついつい長話してしまう。

 いくら向こう持ちでも国際電話とあっては気が引けるので、今日はこの辺しておくか。


「あ、すいません。そろそろ夕飯の用意ができたみたいなんで」

『そうか。そっちはもうそんな時間か。恵理那にも元気にやっていると言っておいてくれ』

「分かりました」

『っと、忘れてた』


 切る方向だったのを急に思い出したかのように敦子叔母さんがさえぎる。


「――恵理那と仲がいいのは良いが、くれぐれも一緒に寝ないように」

「なッ!? いったい何を言い出すんですか!?」


 突然の忠告に口から心臓が飛び出しそうになり、勢い余って椅子から転げ落ちそうになってしまった。


『昨日、こちらでできた友人たちと話している最中にふと思い出してな。拓坊が小学生の頃、夜に初奈の布団に潜り込み、一緒に寝ているのを朝発見した時は度肝どぎもを抜かれたよ』

「んな昔話はいい加減忘れてください!」

『可愛いじゃないか。羞恥心をまだ知らないお子様のストレートな愛情表現。私は嫌いじゃないぞ』

「あの後おふくろにこっぴどく怒られたの、敦子叔母さんも見てましたよね!?」


『好き』をどう表現していいか分からなかったガキの頃の俺が起こした、未だ黒歴史ナンバー1の事件。

 どういうわけか夜、初奈の寝ている布団の中に入り込み、ただナニをするわけでもなく隣で一緒に寝た......というのが事の顛末てんまつで。何度思い出しても黒板を爪で引っ掻くような音を聴かされるレベルのがたさに顔が歪む。

 でも良かった。今の俺と恵理那の関係を気付いたわけではないらしい。小さくため息をついて安堵あんどする。


『いやすまない。歳を取ると自然と昔のことを思い出す機会が増えてきてな』

「だからって人の恥ずかしい黒歴史思い出します?」


 忘れようとしていた過去を思い出せさせてくれて。本当にこの人はいい性格をしている。いろんな意味で。


『私も拓坊が親戚じゃなかったら、初奈の結婚相手として推薦していたんだがな』

「お世辞でも嬉しいです。でも俺には初奈は勿体もったいすぎますよ」


 この世には法律で認められていても、人の目が良しとしないことというのが存在する。

 特に昔の人ほどその拒否反応は強くり込まれ、それを俺は幼心おさなごころに思い知らされた。

 好きだけど、お世話になった人たちとの関係を壊してまで告白する勇気は、俺になかった......。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る