Novel colors.

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1.ターコイズブルーの嘆き

 その色は、綺麗だった。


「今日、卯野うのさん、元気ないね」

「先週ぐらいからだと思うけど、何か有ったのかな」

女性スタッフらの小声に、結城ゆうきはちらと視線をもたげた。話題に居ながらにして全く気付いていない男、卯野は自席で溜息を吐いたところだった。

緑がかった青い髪――ターコイズブルーの如き派手な色をしているわりに、彼は非常に線が細い。今の溜息さえ、蝋燭はおろか、マッチの火さえ消せまい。

「ご不幸とか?」

「それなら休むでしょ? ひょっとして失恋?」

――失恋して職場で溜息?

思わず脳内で会話に参加しつつ、結城の視線はパソコン画面と悩める男をちらちらと往復した。若々しい容貌で勘違いして以降、卯野が自分よりも歳上、しかも三十過ぎなのは知っている。

失恋であんなに落ち込んでいるのなら、随分と可愛いメンタルだ。

女性スタッフは如何にも気の毒そうに言った。

新寄色ノベル・カラーの人って、トラブル多いって聞くもんねえ……」

「わかる。私も同級生に居て、女の子でピンクの髪だったから凄く可愛かったけど、親戚とか年配の眼は厳しいって悩んでたなあ……変質者に絡まれるとか、いきなり写真撮られるとか……」

新寄色ノベル・カラー』とは、三十年ほど前から生まれ始めた特殊な色の髪や目をした人間のことだ。正確には『新奇色児ノベル・カラー・チルドレン』と呼ばれ、自然界に置ける青いアマガエルやピンクのバッタと同じ、遺伝子の突然変異種らしいが、希少であることも含めて詳しいことは未だ不明である。両親共に日本人でありながら、赤毛や金髪に生まれたり、染めた以外考えられない色をしている為、先駆けの人達は特に学生時代、証明書を書かされるなど、かなり苦労した様だ。

自然に生まれてしまったのだから仕方ないとしか言い様がないのに、両親が変なものを食べたとか、薬をやっていたのではとか、幼い子を派手な色に染めているなどと後ろ指さされることも多く、単なる見た目だけの差別は今も根強い。

その為、敢えて目立たない色に染め直す人や、カラーコンタクトで隠すこともまま有るという。

実を言うと結城もそうなのだが、自分は金髪に薄茶色の目という、どちらかといえばありふれた色だった。しかも、生まれはニューヨークという帰国子女である為、さほど白い目で見られはせず、れっきとした日本人である父母もアメリカ慣れした人間よろしく、息子の髪色なんぞ気にもしなかったし、親戚筋もとやかく言う者は居なかった。社内でも、未だに結城が新奇色であることなど知らないスタッフも居るだろう。

弊社は外国人スタッフも多いWeb関連企業なので、デザイン担当者辺りはピアス穴だらけ、ツートンカラーに染めているなど派手な容姿の者も少なくないので、卯野も居やすい会社には違いない。

現に、彼は女性スタッフらに心から心配されている。

「良い人なのにね。優しいし、偉そうにしないし、怒ったとこ見たこと無いし」

「だよね。髪は珍しい色だけど、普通の人だもん」

お昼になんか差し入れ買ってきてあげよっかー、などと、もはや失恋確定で相談するほのぼのとした会話を聞き終え、結城はもう一度だけ卯野を見た。

オフィスに差し込む光に照らされるその髪は、綺麗だった。

失恋。そうなのかもしれない。

憂鬱そうに、何なら切なそうにパソコン画面を見つめる双眸も、少し陰って見えるブルーは綺麗だ。うっかり涙が零れてしまいそうなそれを見つめて、自分も何かしようかなと思いながら、結城は仕事に戻った。



「卯野さん、今夜、飲みに行きませんか?」

終業後、ごく自然に誘ったつもりだったが、卯野は狼と視線が合ったウサギみたいな顔をした。

「え……僕?」

「他に卯野さんは居ないと思いますが」

しょうもないことを聞き返す男に、少々つっけんどんな調子になった結城だが、怯えたような目を前に頭を搔いた。

「今日、落ち込んでる様に見えたので」

「あ、ああ……そうだよね。ごめん。色んな人に言われた」

気恥ずかしそうに苦笑すると、例の細すぎる溜息をこぼした。

「ありがとう、大丈夫だから心配しないで」

何処が。ちっとも大丈夫には見えない。高い場所に行ったらふらりと飛び降りそうな顔で言わないでほしい。やれやれと思いながら結城はオフィスの方を軽く指差した。

「俺じゃない方がいいなら、誰かに声掛けましょうか。美桜みおさんや優華ゆうかさんとか、心配してたんで喜んで行くと思いますけど」

「えっ⁉ あっ……違うよ? 結城くんと行くのが嫌なんじゃないから!」

急に大きな声を出し、慌てて周囲を見渡してから卯野は身を縮めた。

「そ、そうじゃなくて……くだ巻いちゃいそうで。職場の人にそういうの見せるのは申し訳ないし……かえって気を遣わせると思う……」

落ち込んでいても社会人らしい発言をする卯野は、正真正銘の日本人だ。

「大丈夫ですよ。そういうのが有るとわかって言ってます」

「でも……」

「深刻な話なら社内カウンセラーやセラピストを当たった方が良いですが、ただ聞くだけなら適当な男相手が楽かなと」

「適当……」

二言目には申し訳なさそうな顔になる男に、何やら結城もきまり悪そうに言った。

「あの……俺はアメリカ育ちなので、ニュアンスが違っていたらすみません。向こうじゃ、友人に愚痴や悩みを言うのはネガティブなことだから……特別に仲が良いわけでもない俺ぐらいが気楽かなって思っただけなんです」

そこまで言うと、卯野はようやく理解した顔で小さく微笑んだ。

「……そうか、結城くん、帰国子女だっけ……じゃあ、行こうかな。僕も一人で家に居ると、なんだかしんどい気がする」

全くその通りだろう表情で頷いたので、結城は少しほっとした。

……いや、断られても構わないのだが。

第一、人付き合いはドライな自分が腰を上げたのは気まぐれに近い。アメリカに居た時ならセラピストに相談したらと言うだろうし、日本ではプライベートな話は親しい人にする方が自然なのは知っている。

それでも変な声掛けをしたのは、案外、仲間意識なのかもしれない。

いそいそと帰宅準備をする男の髪を見下ろした。綺麗な色だ。他の誰にも無い色。

――勝手に生き辛いと判断されるのは、不服だろうけれど。




「わ……おしゃれだね。なんか緊張するな」

壁一面の大きな窓や、ヴィンテージ調の椅子やテーブル、橙色の仄かな照明が各所の観葉植物を照らす中、女の子みたいなことを言う卯野に結城は微苦笑を浮かべた。

――この人、本当に年上男性なんだろうか。

男性らしさを見つける方が難しい上司は、年下の後輩か、それこそ女性を伴ったような気にさせられる。実際、辺りは同世代か年下と思しき若者が多かった。

「そういえば、職場の人と”さし”で飲むのって初めてかも……」

席に着きながら緊張気味に周囲を見渡す男に、同じように椅子を引いて腰掛けながら結城は目を瞬かせた。

「サシって何ですか?」

「あ、”二人で”ってこと」

ふうん、と結城は首を捻り、メニューを眺め始める。

「卯野さん優しいから、後輩に相談とかされたら行くと思っていました」

「うーん……あんまり相談されないけど、そういう時は職場かランチで済ませるようにしてるよ。同じ立場の人ならいいけど、僕から誘うとセクハラとかパワハラになっちゃうから。後は大人数の飲み会が中心でしょう?」

「日本はそういうとこ、面倒臭いですね」

「はは、結城くんはハッキリしていていいね。アメリカっぽいのかな。羨ましい」

おっとり微笑んだ顔は、まだ拭えない悲しみと、深入りを避ける社交辞令が確と見える。それは彼が思うよりも分厚い膜で、にわかに突き破るのは難しく見えた。向かいの席に座りながら、得体の知れないバリアの向こうに居るみたいで、不可解な落ち着きの無さに胸の奥がざわざわする。

「元気がない理由は何だったんですか?」

乾杯も程々にグラスを傾けながら問いかけると、卯野は切なげに苦笑した。

「……その、不幸が有って……」

喋る合間にも、彼は言葉が喉に詰まり、泣きそうな目になる。

結城は焦った。予想の数パーセントには入っていたが、まさかと耳を疑う。

――不幸だって? おい、誰だ。失恋なんて言ったのは!

「ご……ご不幸だったんですか? それなら、休んだ方が良いんじゃ……?」

「休んでると……それはそれで辛いから」

「でも……色々とやることがあるでしょう?」

誰が亡くなったのか知らないが、身内の不幸とくれば――いや、待て? 誰が亡くなったかによるか? 両親は――彼が末っ子なら高齢もあり得る? 事故や病気? それとも、昨今のこと……災害や、もっと嫌な事件? 結婚はしていないと聞いているが、それこそ相手が恋人じゃあ、掛ける言葉も見当たらない。

こちらの焦りを余所に、卯野は力なく微笑んだ。

「あるけど、遺品を見ると辛くて。もっと一緒に居たかったなあ……とか、もっとしてあげられたことがあったなあ、とか……僕と居て幸せだったのかなあ、とか……色々考えちゃって……」

「……そんなの……後悔は辛いだけですよ。その方はそんな風に思ってくれる人と一緒に過ごせて幸せだったと思います」

常套句を言ったつもりだったが、こちらを見上げた目から、不意にぽろぽろと涙がこぼれた。髪と同じ綺麗な目から、異様に澄んで見える涙が色白の肌を滑った。

結城は、いよいよ焦った。

よりによって、泣かせてしまった。目の前で。

「す、すみません――知ったような口を――……」

「う、ううん、良いんだ。ごめんね……」

ガタガタと席を揺らしながらハンカチを取り出して目元も鼻も押さえ、卯野はしばらく黙した後に、鼻を啜った。驚く程に静かな嗚咽は長くもないが短くもなかった。

「……ありがと。結城くんは優しいね……」

ハンカチを通して悲しそうに言う合間にも、彼は苦しそうにぐっと言葉を呑んで低く答えた。

「ニコも、そう思ってくれてると嬉しい……」

「そ、そうですよ、きっとニコさんも……え、ニコ?」

嗚咽混じりに言う卯野が発した異様な名前をキャッチして、ようやく結城は気付いた。

「それ、もしかして……ペットですか?」

すう、と辛そうに呼吸して、卯野は潤んだ目元を持ち上げて言った。

「うん……猫」

猫。

ねこ? CAT?

いや、猫だって家族だが……――

「結城くん、どうかした……?」

片手で前髪を押さえて項垂れた結城に掛かった不安げな声に、失恋の勘違いから人間の不幸かと思った早合点を打ち明けると、卯野は涙を拭いてか弱く微笑んだ。

「紛らわしくてごめん。どちらにしても、心配してくれてありがとう」

「ああ、いえ……新奇色ノベル・カラーに関することかと、勝手に思ったのはこっちなので……」

同じ新奇色ノベル・カラーの男が失恋で辛気臭い顔をしているとしたら嫌だと思った次第なのだが、髪は関与の無い深刻な話だった分、申し訳ない。

「そういえば結城くんも新奇色ノベル・カラーだったね。”そういう”苦労が?」

「いえ、俺は見ての通りのありきたりな色なのであまり。学生時代の殆どはアメリカに居ましたし、向こうの人は無関心に近いぐらい、気にしないので」

「いいなあ。結城くん、モテそうだもんね」

「は?」

聞き返すと、卯野はきょとんとした。

「モテるでしょ? 背も高いし、足も長くてハンサムだ」

「いやいやいや、モテませんよ?」

全部見た目じゃないか、と思いながら首を振るが、卯野はおっとりと首を捻った。

「今も、職場の同僚ってだけの僕の事を心配してくれてる。ハンサムで優しいなんて、モテなくちゃおかしいよ。特定の人が居ると思っていたけど」

「居ませんし、俺はどちらかというと淡白とかドライって言われる方ですよ」

「え?」

「卯野さんのがモテるでしょう? ウチの社内だって嫌いな人なんて居ないと思いますが」

「え?」

「え?って……」

変な沈黙の後、彼は首を振った。

「やだなあ……僕がモテるわけないよ。少なくともこの低身長だと、なかなか」

「身長? いや、そんなの二の次でしょう? 太ってたら自己管理がどうとか思われそうですが」

「うーん……? 出会いはアメリカに求めた方がいいのかな?」

自嘲気味にじわっと浮かぶ笑みは、どうにも痛々しい。傷心しているのを差し置いても、もともとこういう笑い方だった気がする。何か心の底にある重いものを後生大事に抱えていて、笑っているのに寂しい感じがする。

「結城くんは、海外の方とお付き合いを?」

「あの、昔は居ましたけど、今はガールフレンドとかホントに居ませんから。居たら金曜の夜は空けますよ」

「え……本当に?」

「はい。卯野さんに気が有るわけでもないのでご安心下さい」

「そ、そんな勘違いしないよ……年上の男相手に気味が悪いだろ?」

――気味が悪い? そう聞かれると、そうでもない。

無論、彼がおよそ男性的では無いからというわけでもなく、自分にそのが有るからでもない。要はこっちの感情が砂漠化しているが故だし、一緒に飲んで不快な相手をわざわざ誘う事など無い。

「気味悪くは有りませんが、俺は人への関心が薄いというか……恋人なんかも、長続きしたことないんで」

「へえ……そうなんだ。意外だね」

どうも彼の中では”人付き合いのできるしっかり者”と思われていたらしい。

まあ、そこは海外の関係者と英語で話せるコミュニケーション力如何の面かもしれない。実際、話せる=社交性では無いだろう。現状、この会話もお互いにボソボソと声も小さく、離れた隣席の盛り上がりが同じテーブルで聴こえるようだ。

聞いても一向に構わなかったのだが、卯野はペットの話はしなかった。

思った通り、落ち込んでいるのもあるだろうが食は細く、野菜は進むが肉はこっちに寄せた。何となく仕事の話になって、何となくしょうもない世相の話になって、ただ何となく時が過ぎた。洒落た店で、洒落た一部になりすました人々の、ちっとも洒落ていないゴシップが、とろけるような光とジャズのBGMに滲んで消える。

気付けば、二杯、三杯と、酒は進んだ。

結城は痩身の上司を眺め、意外と飲めるんだな、と半ば感心していたのだが。

その日和見が、完全に失敗だったと気付いたのは店を出た時だった。

美味しかった~……と間延びした声で店を出て数歩歩いた刹那、彼は急にたたらを踏み、小柄な身は明後日の方によろめいた。

「だ、大丈夫ですか?」

慌てて支えて、両腕にずしんときた重みに初めて男らしさを感じて焦る。

”泥酔”という言葉が脳を掠め、潰してしまったことに気が付いた。

「う……卯野さん?」

呼び掛けたが、既に彼は深い眠りへと沈没している。

気絶――ではないが、しっかりした寝息。

細くても大の大人らしい体重を預けてくる上司を両腕に抱え、結城は愕然とした。

これは――……俺が悪いのか? ……急に落ちるとは思わないだろ、普通。

こういう時、無意味に辺りを見渡してしまうのは何故だろう。当然、見渡したところで暗い夜の街とまばらな人、お構いなしに素通りする車。良策なんぞ落ちていない。

しかも、今は暑すぎた夏も過ぎ去り秋も深まる頃。路傍に放り出すなど、よほどの悪党でもやるまい。

――送るしかない。だが、家……この人の家、何処だ?

同僚に聞けばわかるだろうが、深夜に上司や女性スタッフに連絡するのはいくらなんでも非常識だ。

連れて帰るしかないのか……?

上司を持ち帰る? マジか。

救いなのは彼が男性であることと、今日が金曜日ということだ。

明日の内に帰せばどうにかなる。社宅じゃ無し、同僚に目撃される可能性も少ない。

「ニコ……」

小さな声に振り向いたとき、その閉じた瞼から涙が一筋、頬を伝った。

それはとてもかわいそうで、綺麗なものに見えた。ゾッとするような魔が差しそうになり、思わず触れてしまいそうな唇から目を逸らした。

彼のような細くて小さな溜息を吐いて、結城はタクシーを拾った。

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