6-2 密談

 湯けむりの中にふたつの影が浮かび上がる。数々の岩に囲まれた露天風呂。

「セリスがいると話難くてな。まあ、デカい息子とふたりで入る風呂も悪くない。」


 熱いなぁとぼやくカイエンの真意をアレックスは計りかねていた。岩の間を流れる温かなお湯の音がやけに響く。


「ぴの字、シュテルン側に説明したのか?」

「いえ、まずは父上の判断を仰ぎたいと思いまして」


 アレックスの高く結い上げた髪が一筋落ちる。


「賢明な判断だな。評議会の爺どもは頭硬てぇからな」


 カイエンの後だけ伸ばした髪が結ばれ、尾長鳥のように見える。頭の上にタオルを乗せて寛いでいる姿に、アレックスは戸惑っていた。


「親子もいいもんだろう。一番無防備な姿で腹割って話す事もできる。まぁ、ぴの字の生い立ちを考えると、こんな裸の付き合いがなかったのも分かる。そう警戒するな」

「はぁ」

「で、爺どもを誑かすいい案はあるのかよ?」

 その言葉にアレックスは天を仰ぐ。湯けむりの先に星が瞬いている。弱い光は湯気を払うと光り輝く。満天の星が煌めいていた。

「ないですね。出たとこ勝負ですよ」

 呆れ返ったカイエンの長いため息で湯気が揺らめく。

「案外のんきというか、あの百戦錬磨の狸爺の集まりを化かさなければ、勝ち目はないぞ」

「勝ちますよ。十年以上、教皇冠を被っている者は私しかいませんから。冗談ですけどね」

 いつも通りの柔和な表情。どこまでが本心なのかと、カイエンはあきれ返っていた。


 その理由になっているのか、なっていないのか微妙な答えだが、それがシュテルンの全聖職者と教徒をまとめてきた経験が言わせている自信だとしたら──。カイエンは横でニコニコと微笑むアレックスに恐ろしさを感じていた。教皇としての在位期間は王家と均衡状態を取り続けてきた時間とも言える。



「意外としたたかだな。シュテルン側の出方は評議会次第という訳か。となれば王家と、魔族。どうみる?ぴの字」

 アレックスの眉間に皺がよる。


「教皇が変わったとなれば何か仕掛けてくるはずです。そもそも12騎士に選ばれた教皇というのが異端。対魔族の戦力でなければどんな言いがかりでも付けてくるでしょうね。王は変わってしまった。年々何を考えているのか分かりませんよ」


 そう言うと、石の上に乗せていたタオルを水面に乗せて、ゆっくり沈める。無数の泡が立つのをアレックスは静かに眺めていた。我々はその泡沫でしかないと言わんばかりに。


「“戦う教皇聖下”が必要なシュテルンと、それが邪魔な“王家”。全く面倒な話だ」


「戦える教皇がシュテルンには必要。聖杖と評議会が認める者が頂点に立つべきだと思っています。私は禁忌を犯しましたから」


 重い言葉を平然と口にする。諦めているわけではない。シュテルンの歴史を大切に思い、理解をしている。それでもセリスへの思いを止められなくて苦しんで出した答えに正直なだけだ。自分を長い間、慈しんでくれた場所に背くのは、彼にとって究極の選択。



「禁忌ねぇ……。セリスも禁忌を犯してリベラ・メを発動してこの世界を守った。だれの価値でそれを測ったのかわからねぇけど、愛する事が禁忌であるなら、なぜそれを聖職者だけに求める理由が俺には分からん。リベラ・メは分かる。あれは人に過ぎたる力だ。だがよ、シュテルンの教えは俺には分からん。神は人を愛する。人も神を愛する。じゃあなんで神が自分に似せて作った人が、人を愛する事が禁忌なんだ?聖職者は人ではないというのか?だったら人であったものを殺す俺らは人か?」



 カイエンの鋭い眼差しがアレックスを射抜く。



 武人から発せられる言葉とは思えない哲学的な質問に、彼は答えられなかった。


 返す言葉が見つからない。


 自分でも気づかなかった“聖職者としての空洞”、“神学者としての盲点”が胸に開いた気がした。


 聖職者は神以外愛してはならない。その理由を考えた事などなかった。それがあまりにも当たり前の環境で育てられたから。


──ぴぃたん、ワシはお前を愛しているよ。



 湯けむりの中のカイエンの姿にふと懐かしい光を見たような気がした。ペンウッド前教皇──。祖父のように慕っていた人の言葉が蘇る。愛の形は星の数ほどある。聖職者が“愛する事”を禁じられているのなら。



「シュテルンは矛盾の中に存在している。」



 アレックスは湯の中に引きずり込まれた感覚だった。苦しんでいた教義の根幹を揺るがす言葉。


「俺が外の人間だから気がついた事だ。気にするな。その問いの答えは評議会の爺どもにも出せやしないはずだ。問題はシュテルンと王家が揉めている時に、アスモダイ級の魔族が攻めてきたらどうする?人間同士がいがみ合う事は魔族にとって好機。」


 カイエンは流れてきた落ち葉を指で弾いた。二つに切られた葉はくるくると回り、どこかに消えていく。



「魔族にそんな知能が……。」

「ないとは言えねぇだろうが。アスモダイは大勢の負の感情を喰らって、恨みの元の王宮を狙ってきた。私を認めろと恨み辛みを吐いてな。魔族が人の言葉を話したことは今までにあったか?俺はアスモダイには何らかの意志が働いたと見ている。」


 湯の中に身体を委ねているのに、凍りついていく。誰かの邪な企みによって──。


「セリスは……、12騎士は傷ついた。」


「ああ、それを炙り出す。本当の敵は誰か。王家とシュテルンの緊張状態が深刻化したのは三十年くらい前だと俺は睨んでいる。これも仕組まれたものだとしたら、この世は憎しみに染まっていく。魔族にとっては勝手にご馳走が流れていく状況が作られる。それが魔族だけの意思か、人間側の誰かが手を結んでいるのか?──そっから先は、おとしゃにはわからねぇよ。大体、俺は頭脳労働は嫌いなんだよ。それより剣を振り回すのが俺の本分だ。俺は正しいもののために剣を振るう、それだけだ。さて、長湯しすぎたな。ぴの字、今日は飲んでいくだろう?明日、葬式になるかもしれねぇからな」


 にわかに信じがたい“仮説”に呆然となっている息子の腕を“父”は強引に引っ張る。鍛えられたがっしりとした太い腕が逞しかった。



「墓はふたりで入れるようにしてやる。それが無駄になるようにな。俺、ジィジって呼ばれるのが夢だから、忘れんなよ」


 その言葉にアレックスは赤くなり、固まってしまった。


「いちいち照れんなよ」


 カイエンの手がアレックスの背中を叩く。手の跡が赤く残ったが、それが信頼の証だと思えた。


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