2-3 劇場

 魔法陣が揺らぎ、場違いなほど甘く濃厚なムスクの香りが辺りに立ち込める。


 まるで舞台の幕が上がるように、そこに立っていたのは──



 深い漆黒の髪をゆるやかに流し、豪奢なドレスのように仕立てられた12騎士の正装をわざとらしく着崩した人物。紫のルージュに、艶やかな付け黒子。口角の端を常に上げる微笑の仮面。




「まァまァ、ワタクシが来ないうちに、面白そうな事が始まっているじゃなくってェ。」



 その声は男とも女ともつかぬ、艶やかで妖しい響きを帯びている。




 シャルル・ド・アルトワ=オーギュスト──。




この国の第一王位継承者、そして十二番目の騎士。




 彼の登場に、場の空気が一瞬にして変わる。笑っているのに、全てを見透かしているようなその双眸が、兄を見た。




「ねえ兄上……今日のゲーム、もちろんワタクシも混ぜていただけるでしょう。」




 ゆっくりと宙を舞うような歩みで現れたシャルルは、まるで劇の幕開けを告げる役者のように手を広げ、誇張された所作で一礼した。



 その瞳は笑っていたが、笑ってなどいない。




 底知れぬ闇がその奥にある。




「普段、お茶会にも出てこない奴までくるとは。今日は厄日か。いい加減、その派手な格好で外に出てくるな。」



 アルヴィスの声は乾いていた。目も合わせぬまま、忌々しげに吐き捨てる。



 長年、弟の存在すら無視してきた男にとって、こうして同じ騎士として公の場に現れる彼は、



──目障り以上の何者でもない。




「あらァ、ワタクシの美しさがお気に召さないとは。セリス、アレックス様とレインとシオンは。」




 シャルルは手の甲で軽く唇を隠して笑った。濃い紫のルージュが艶やかに光を受ける。


 その仕草ひとつすらも、計算された舞台演出のようだった。



 挑発、愉悦、そして兄への静かな反抗…。




 全てが混ざり合い、彼の存在はただ“そこにいる”だけで空気を撹拌している。




「ディオニウスのご指名で、バケモノの進行を止めに行っている。」




「いい男が減ると、ワタクシ寂しいわァ。ネェ、そう思わなくて、ヴィーチェ。」




 シャルルは挑発するように瞳を細め、指先で黒の髪をくるくると弄ぶ。長椅子に座るヴィーチェのもとへ、香水のように濃密な存在感をまとって近づいていく。



「それは同意見ね。」



 ヴィーチェが微笑を返した瞬間、場の空気がひやりと震える。妖艶さを纏うふたりの立ち姿は、戦場の前線会議であることを忘れさせるほどだ。まるで絢爛な舞踏会の前触れのような錯覚すら、そこにはあった。



 会議室の空気が、戦略と緊迫に満ちた空間から、一瞬にして蠱惑と不安の入り混じる“演劇の舞台”へと変わる。




 誰もが言葉を失い、視線を逸らせない。彼らの美と毒が、漂うように場を支配していた。



「色気を出すのは後にしてくれ。」



 無機質な声がその空気を断ち切る。セリスは次々と変わる映像から一切目を上げずに言い放った。感情の起伏を感じさせない声音は、まるで彼女がその場にいる誰よりも別次元に存在しているかのようだった。



「そうねェ〜。でも、ワタクシ、自然と色気が出ちゃうのォ。」



 彼はわざと大げさに肩をすくめて見せた。唇の端をゆるやかに吊り上げ、長い睫毛の陰から彼女を見つめる。


「それに理由のわからない事、キライなのォ。さっきの爆風でワタクシの離宮の鏡まで割れたのよ。原因くらい分からなきゃ帰れ…。」



 言いながら、指先で髪を弄ぶ。まるで退屈しのぎの戯れのように見えるが、その実、言葉の刃は鋭く光っていた。



「バケモノからの直接攻撃だろう。」



 淡々と彼女は答えた。まるで数字を読み上げるような調子で。しかし、その眼差しには、すでに“ただの攻撃”で片付けるつもりがない気配が滲んでいる。




「いい、フロイライン。直撃した都市もないのに、どうして王宮一帯だけガラスが割れたのかしらァ。つまり…この宮殿のそばで“何か”が起きたってことよォ。」




 彼は一歩前に出ると、指先をゆっくりと宙に滑らせた。演劇の一幕を導くような所作で、彼女の静謐をかき乱すように。



 そして全ては彼の独壇場に塗り替えられていく。




「状況把握は大切よォ、そうでしょう兄上。相手のことも知らないうちにィ、感情だけで手を上げるなんてェ──」


 シャルルはくすりと笑った。だが、その目はチェシャ猫のようなある種の不気味さを孕んでいた。


「理由もなく暴力を振るうなんてェ、下衆のすることだわァ。例えばそうねェ、気に入らないってだけで子どもを塔に閉じ込めたりィ、黒髪だからって目も合わせなかったりィ……あらァ、心当たりはァ。」


 その声音は甘美で柔らかい。しかしそこに込められたのは、長年積もった毒そのもの。


「ねェ、兄上。美しくないでしょォ、ねェ。ワタクシ、そういうの大っ嫌いなのォ。わかるでしょうゥ、滑稽なのよォ、この話ィ。嫌い抜いた相手しか後継ぎがいないのォ。…それともォ、また誰かをいたぶりたくてぇ、うずうずしてらっしゃるのかしらァ。」


 シャルルは涼やかな笑みを浮かべながら、ひときわ鋭い視線をアルヴィスに突き刺した。



重く沈黙していた空気に、再び動きが生まれた。


 アルヴィスは、まるで胃の奥に鉄を詰め込まれたかのような表情で彼を睨みつけた。だが、その視線には怒りというよりも、苛立ちと、言葉にできぬ恐れのようなものが微かに滲んでいる。


 彼はその表情に気づいていた。だが、同情も、赦しも、もちろん与えなかった。


「セリス、現場検証に行かないィ。どうせここにいてもォ、醜悪なサディストのご機嫌取りしかできなさそうだものォ。」


 さらりと吐かれた毒は、まるで香水のように空間に漂う。その鋭さに、数人の騎士たちが息を呑むのがわかった。


 彼は肩をすくめ、ゆっくりと部屋を後にする。黒髪をひとつ指先で巻き上げ、何かを思い出すように小さく笑った。


「それでは……Mein lieber Bruder.」


 その声は甘く、爪先に毒を塗った天使の囁きのようだった。


 扉が音もなく閉じられると、残された者たちはしばし沈黙の中に立ち尽くしていた。誰もが口には出さなかったが、シャルルの残した“劇場の余韻”は、まだ部屋のどこかに残り続けていた。


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