第1話

「足生えてどっか行っちゃったんかなあ〜?ねえ〜?はるちゃん?」


 夫は靴下をその辺に脱ぎ散らかして何処かへ失踪させる常習犯、靴下紛失オバケである。

このオバケは今ソファに寝転がり足の上に3歳の次男を上に乗せて飛行機ごっこをしながら返事をするのだが、大体こういう時の返事は他人事で責任感がまるで無い。タチが悪い。足も臭い。


「パパの靴下これで今月何枚無くなってるか知ってる?いい加減にしてくれないかなあ」


 キャッキャする次男を反動をつけてブンブンあやしながら、「まあまあ落ち着いて」なんて言うのでこちらもまあまあカチコーンと頭にくる。


「大丈夫だよ、そのうち出てくるじゃん。はい、はるちゃんおしまーい」


 もっともっと!とせがむ次男に「飛行機はおしまい〜」と言いながら睨めっこを始めるオバケ。トイレから5歳の長男がドタバタ出てきて、豪快に濡れた手をバタつかせて床をびちゃびちゃにさせていくので私の怒りの矛先が変わり、取り調べはうやむやに終了してしまった。


 まじで。まじで毎日こんなんばっか。


 結婚する前は喧嘩ひとつ無い仲良しカップルだった。むしろ結婚して数年のうちはなんの問題もなく平和だった。

 それが一変したのは長男が産まれてからだ。


 幸せだったのに、幸せだったけど。

 産院から退院してすぐに大喧嘩をした。結構些細な事だったと思うけどメンタルぐちゃぐちゃで盛大に泣いてむちゃくちゃ怒っていたけれど、あれが産後鬱というものだったのだろう。

 いつも穏やかな夫は淡々としていて「大丈夫じゃない?」「そうかなぁ…」と静かに反応していたけれど、奥底で納得のいっていないオーラを発していた。


 子育てをすると人を許せるようになるよ、と言っていた人がいたけれど、私の場合はどちらかというと許せない事が増えたような気がする。

 ぐちゃぐちゃにして床にベチャーンされる離乳食や、長男のあれも嫌いこれも嫌いあれ買ってこれ買って攻撃。夫が失くす靴下、夫の洗った後の食器に残る汚れ、夫が使い切ったのにそのままのトイレットペーパーの芯、夫の茶碗に残る米粒に、あと夫の…


 とにかく。夫に対する不満は激増しお互い言い合う事も多くなった。


「絵本読むよ〜お布団行こ〜」


 寝る前の合図に絵本をめいっぱい手に持って集まる子ども達。


「よし、これとこれとこれ、あっこれも?じゃあ読もうか〜」


「ちょお、待ってや」


「え?」


 時計の針は既に21時を過ぎていた。本来なら20時には寝かしつけてしまいたいのに、子ども達の言うままそんな冊数読んでいたら寝静まるまでに22時を越えてしまう。


「もう遅いんだから今日はもういいじゃん!今日はもうそのまま寝なよ!」


「読んだ方がすぐ眠るんだって〜」


「いや、すぐ寝てるのは貴方でしょ」


「まあ、俺が一番に寝てる事は確かだね」


 家事や次の日の支度もあるので寝かしつけは夫に任せているが、まあダラダラしていてモヤモヤしてしまう。早く寝かせたい。夫の出勤時間は早くて、朝子ども達を起こすのは私の役目。起きられない息子達を一人ずつ寝室からリビングに運ぶのは正直しんどい。


 寝室から変な読み方で笑いを取りながら絵本を読み聞かせている夫の声と子ども達の笑い声が聞こえてくる。洗濯物の泥汚れとお漏らし汚れをお風呂の残り湯で濯ぎながら少しイラっとしてしまった。


「ねえ、普通に読みなよ!そんなにテンション上がったら寝れないじゃん!」


「わー、鬼ママ怒ってるからそろそろおしまい!」


 こしょこしょと話しているけれど全然聞こえてるから。どうせ鬼だよ。はあ、次はシンクに溜まった食器を洗って、保育園の支度をして…ああむしゃくしゃする。


「あーもう、死ね!殉職して立派な家建ててくれ!」


 おお怖い〜 ギャハハ


 まあ、いつもこんなノリの我が家。







 夫が死んだのはその次の日の昼過ぎの事だった。


 まじで殉職してしまった。仕事中の事故で3人が重症、1人が軽症、死亡したのは夫だけだった。

 遺体の確認からの時間の流れがあっという間すぎて、親族がドタバタと葬式の手配をしてくれて兄や姉が銀行口座がどうのこうの動いてくれたり、後々の手続きうんぬんやらなきゃいけないことなどを調べてくれたり。

 子ども達は久しぶりに会うイトコ達とワーワーお菓子を食べていた。


「ねえ、パパは来ないの?」


 長男は言った。


「お仕事頑張ってるからさ、パパにもこのお菓子食べさせてあげようよ」


 私は長男をぎゅっと抱きしめた。僕も僕も、と次男が背中をよじ登ってきて、私の喪服はぐちゃぐちゃになった。当然髪の毛もグシャァ。


 まだ人が死ぬと言う事を理解しきれていない長男。火葬場で「可哀想だよ、燃やさないで」と焦るように訴えてきた。


 なんて伝えたんだっけ。ちょっと思い出せない。私から伝える力がわかなくて、ばぁばが言ってくれたんだったかな。


 その後もとにかく手続き関係でドタバタしていた。携帯の解約やら、書類の名義変更…

 パートナーが死んだらもっとずっと泣いてばかりなんだと思っていたのだけれど、やらなくちゃいけない事があまりにも多すぎて。子ども達も放ってはおけない。必死すぎて泣くタイミングがなかった。


 とにかく。夫がいなくなって一人で子ども二人を世話しながら仕事に家事をして。身体が一つでは足りなかった。

 寝かしつけをするつもりが寝かしつけられてしまって保育園の支度も出来ておらず、洗濯物も食器もシンクにそのまま朝を迎える…保育園に遅刻して、仕事も遅刻…そんな絶望な日を何度も迎えてしまったり。

 このままじゃやばい。そう思って、長男とお話をして、申し訳ないけど寝かしつけを辞めた。最初こそは何度も号泣して寝室から抜け出してきたけれど、次第に二人で眠ってくれるようになった。寝室の扉の向こうのお喋りが寝息に変わるとホッとした。


 そんな風に少しずつだけど、日常に戻っていこうとしていたある日の夜。


 寝室からギャハハと次男の大きな笑い声が聞こえてきたので、早く寝なさい!と言おうと扉に手を掛けようとすると、何か話し声が聞こえてきた。


 聞き覚えのある絵本の読み聞かせだった。変な読み方で寝かしつけるというより笑いを取ろうとするような、パパそっくりの。

 耳で覚えた絵本の読み聞かせをする長男と、嬉しそうに笑う次男。

 扉の前で膝を抱えて息子達の声を聞きいていたら、ポトポト、ポタポタ、ボロボロと。海が出来るほど涙が出てきた。


 ハッとしたんだ。


 夫が居た。こんなところに居た。絵本を読む子ども達の中に夫が居た。なんだよ、こんなところにいたのか。なんで死んじゃったんだよ。


 やっと私は夫がいないこの世界を悲しいと泣く事が出来た。



 あれから数年。子ども達はもう恥ずかしいからって、私のことをママじゃなくお母さんと呼ぶようになったけど、写真の中で笑うパパの事はずっとパパ。


 もういない人間が復活する訳もないけれど、夫が残したモノは息子達や私たちの中に知らず知らずに生きていて。

 ふとした時にそれを見つけると、ああちゃんと生きていこうって思えるんだ。例えばこれ。



「ねえ、またあったよ」


「嘘でしょ。今度はどこよ」


「ぎょえ〜!くっさあ〜!」


 ソファの隙間から出てきた紛失オバケの靴下とかね。

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お母さんとパパ @mame1019

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