第2章  疑惑(フォーカス・オブ・サスピション)


           Act.2 


「えー、なにそれ?さっぱり意味分かんない」

 形のよい眉毛をハの字にして、美悠は顔を顰めた。

「だからさあ、あそこの連中、地下だってのにみんなサングラスしてるんだよ。社長はそうじゃなかったけど、部屋の中が真っ暗で、ホント手元の灯りくらいしか点けてなくて、そういえばケイトのねえちゃんも、社長は夜にならないと出て来ないとか言ってたんだよなあ」

「えっ?マジィ?なんかそういうの、映画で見た様な気がするんだけど。もう少し詳しく話してよ」

「一応、口止めされてんだけど」

「何言ってんの?大事なヨータに、もしもの事があったらどーすんのよ?」

 え?と思わず目を剥いた。美悠の口から零れ出た意外なセリフに驚いたのである。

「あのさあ私、普段軽口ばっか叩いているかも知れないけど、それはここの空気が好きだからだよ。実家のお父さんは勝手でお母さんの事いつも見下したような態度取ってるし、バイト先でも変な下心ありの連中がうじゃうじゃ来るのを笑顔で見送らなくちゃいけなくて、それでもここでは、何の気兼ねもなく、思ったままの自分を出せるの。そんなのヨータの前だけなんだから。いろんなわがまま言ってるけど、本当はそんなの嫌な顔ひとつしないヨータの事が大好きなの。だから、そんなヨータに何かあったら困る。いくら稼ぎのいい話でも、それが闇バイトとか、犯罪とかに関わってるなら早く手を引いた方がいいと思うから」

 胸の内側がきゅんと高鳴った。こんなに真剣な美悠の顔を見たのは初めてである。陽太はこれまでの疑問の山を、包み隠さず恋人に打ち明けた。

「金髪ねえちゃんは、どうせ誰も信じないからとか言ってたけどな」

 うーんと唸った美悠の表情に、何かが浮かんだ。

「ねえ、その人たちみんな、『吸血鬼バンパイア』なんじゃないの?」

「はあ?」

 美悠の唐突な疑念に陽太も顔を歪めた。

「いくら何でもそりゃねーだろ」

「だってだってだって、その社長さんも金髪さんも、メッチャ綺麗なんでしょ?ほら、これ見てよ?」

 美悠は自分のスマホに検索を掛けてウィキペディアの『吸血鬼』という項目を画面に出した。

「ほらほら、ここ。ここの項目見てよ?」


【――血の塊のようなものであるか、もしくは生前のままであるとされることが多い。両者とも、一定の期間を経れば完全な人間になるとされることもある。また、様々な姿に変身することが出来るとされる。吸血鬼は、虫に変身する、ネズミに変身する、霧に変身するなどの手段を用いて棺の隙間や小さな穴から抜け出し、夜中から夜明けまでの間に活動するものとされた。(中略)最近では、獲物である人間を惹き付けるために、美しい容姿を持つとされることが多い――】

                     (ウィキペディア・吸血鬼の姿より)


 一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた陽太だが、美悠の開いた検索画面を眺めていると、なるほど幾つか思い当たる節がないでもない。あそこの連中は妙に「光」を嫌っているように思えるのだ。

「でもさあ、婆さんの方はシワシワのちんちくりんだったぜ?」

「そういうのも、いるかもしれないじゃん!」

「え?じゃあ土手に待機していた映画のロケ隊とか、あれどういう関連なの?」

「だから、政府機関とぐるなんだよ!借りたDVDの中にそういうのがあったから!きっと闇の存在が、権力の座に付いてる人間と手を組んで、地上を征服する目的で……」

「荒川で龍を退治するSFXを撮影してたと……?」

「違うったら!」

 美悠は頬を膨らませてぶんむくれた。

「もう……。いいわ。大学にそういうの詳しい人がいるから聞いてみる。これからは変な事があったら、全部私に報告してね。うまく言えないけど、それなんかイヤな予感がするから」

「だから、あんまり人に喋るなと言われてんだけどな」

「馬鹿じゃないの?そんなの闇バイトだったら黙ってろって言うの当たり前でしょ?何かあって脅されたら、証拠揃えて警察に駆け込めるようにしとかないと!」

「え、だって美悠のいう通り、政府の上層部とかと結託してたら、そんなの無駄じゃね?」

「そうだけど!」

 とりとめのない水掛け論を展開していると、不意にテーブルの上に置いてあった陽太のスマホの呼び出しアラームが鳴り始めた。

 発信人は「オフィス・エッダ」となっている。陽太と美悠は顔を見合わせた。

「……ほ、ほら、早く出なよヨータ!」

「えー、だってだってだって!」

 やがて意を決したかのように陽太がスマホを取り上げて、通話をONにする。

「はい、隅野です。あ、ケイトさんすか。……え?え?え?いや、別にいいすけど、車の方は?今日もまだそのまんまで?三日も入れっぱで料金大変すよ?はあ、はあ、はい、別にいいすけど……、池袋すね。分かりました。じゃあもう暫くしたら……」

 通話アプリをOFFにした陽太は、怪訝な顔をして美悠に尋ねた。

「なあ美悠、『吸血鬼バンパイア』って、昼間でも外歩けんの?」

「はあ?太陽の光は吸血鬼の最大の弱点よ?」

「今、あの金髪ねえちゃんが、所用で外出るから、業務説明も含めて池袋でお茶しようって」

「え?え?」

「3時くらいにサンシャイン通りのスタボかどこかだって。どうやら吸血鬼説はペケみたいだな。出掛ける用意するから、美悠、部屋のカギ掛けといて」

 状況の急変に追い付けないのか、目を白黒させている美悠を尻目に、陽太はハンガーに掛けていたスタジャンに袖を通す。

 そして「やれやれ」とひと言呟いた。


 東京・西池袋。午後2時43分。

 ホテルメトロポリタンからそう遠くない、雑居ビルの一階。破壊された入口のあちこちに「立入禁止」とプリントされた黄色いテープが張り巡らされている。

 まだ現場検証中なのだろうか。路上には数台の警察車両が停車していた。

「おい、橘警部と一緒の、あの金髪何者だよ?」

「これ見よがしに顔隠してるけど、あれサングラス取ったら、結構な美人だぜ?」

「……俺、あの人、他の現場で一度見てるよ。やっぱり猟奇系事件だったけど、同期の他のヤツに聞いたら、正体不明なんだけど、結構この手の現場に現れるんだと。FBIから本庁に派遣されてる、犯罪プロファイラーとか噂があるみたいだぜ?」


「全部聞こえてるんだけど、はずれ」

 ケイト・アンダーソンはひそひそと私語を交わす制服警官らの姿をチラ見しながらそう呟いた。

「あとできっつく注意しとく。だがね、あんたが美人過ぎるのも原因だ」

 警視庁捜査一課肩書を持つ橘警部は、苦虫を嚙んだような表情を浮かべた。

「女性の容姿をあれこれ言うのは時流に反すると、よく教育しといてね。本当『あの人』の言う様に、昔に比べると質が落ちたみたい。お喋りが多すぎる」

「痛いとこ突いてくれるねぇ」

「時代の流れの中には、いい悪いもあるけれど、橘さんも含めて、昔の警官達はもう少し職務忠実に感じたもの」

「それだけ戦後からこっち、暫く平和だったって事よ。環境がいいって事は、もやしっ子が育つもんだぜ、ケイトねえちゃん?」

「その『もやしっ子』という言葉も、ずいぶん久しぶり。死語ってヤツよ」

「俺はもうすぐ定年の年寄りだからな」

「昭和、平成、令和か……。出会った頃は、鼻たれガキだったくせにね。でも、あなたはとてもいい顔になったと思う」

「そりゃ光栄だ。あとな、あいつら洋画の見過ぎかなんかで気が付いてねえが、日本じゃ外国人はFBIだろうがCIAだろうが拳銃携帯できねぇ決まりだから、そんなでっけえの、これ見よがしに懐に入れてるなよ。また厄介ごとが起こるぞ」

「ああ、その何かが起こるから、淑華さんが持ってけって」

「マジかよ、頭がいてえ。お手柔らかに頼むぜ」

 そこで橘は一旦言葉を切った。そして懐から煙草を取り出し、火をつけようとして、慌ててライターをしまう。

「……『第四の天使がその杯を太陽に降り注ぐと、太陽はその熱で人間を焼く事が許された……』だっけか?今年の異常気温って、そいつの事なんだろ?」

「まあね」

「もうそこまで来ちまってるのか。俺、定年後は、女房とのんびり旅行でもして回りたいと思ってるんだけどな……」

「努力はする」

 不可解な会話をしながら橘とケイトが足を踏み入れたその事務所の扉は、内側に3センチの鋼板を挟み込んで、そこに樫板をリベット止めした頑丈なものだった。そいつが粉々に割れて床に転がっている。その先のオフィスには机や応接セットの残骸と、生々しい大量の血痕の跡と、遺体があった場所がチョークで描かれていた。

「確かに。バラバラだけど欠損がないから『別口』よね。だけどこの様子だと、まともに五体繋がっていた遺体なんかないんじゃないの?おまけにこの扉、アサルトライフルで撃ってもびくともしなさそうなのに」

「1人だけ、辛うじて息があるヤツがいてな。まっ、そいつも右手と両足がちょん切れちまって虫の息なんだが、証言も取れた。ホシはいつぞやの防犯カメラに映っていたあの『修験者』だよ」

「砂獣使い」

 現場のあたこちに血糊と一緒に固まった砂を確認しながら、ケイトは屈み込むと床に向って何事かを呟いた。

「ご苦労様。贖罪の対価として、あなたはここから逝ける」

 ケイトが呟いた途端に、そよ風の様ながふわりと橘の頬を撫でた。

「いま聞いてみたけど、これまでと同じよ。『砂の狛犬』ですって。日本書紀に登場する砂の女神・沙土煮尊(スイジニ)を召喚し、それを核として、死人の魂で固めて方向性を持たせた『式神』の一種みたいね。高速噴出する砂の摩擦がグラインダーみたいに、なんでも削ってそぎ落とすってとこかな」

「いつもながら見事な『口寄せ』だよ、大天使ケイトさん。これ見てくれ」

 橘は小さなビニール袋に入った「現場押収品」を取り出した。

「そこら片に転がってたライフルの弾丸なんだが、半分ヤスリに掛けたみたいに無くなっちまってるんだ。鑑識の連中が難しい顔をしてたぞ。ところで『殺された奴』って、やっぱりバラバラのまま転がってるのか?」

「殺された場合は大抵、その時の状態のままで転がってるわ。でもあなた方の『ブッキョウ』でいうと初七日?その辺りを過ぎるといない方が多いわね」

「状況見聞は早急に行えってか。ぞっとしねえなあ。やっぱりそれって『誰か』が迎えに来るのかね?」

「さあ、見た事がないからそれは分からない。私の宗教観は昔の教会通いがベースだし。それより問題は、なんでこんな強力な『神』が、術者の意に従いっばなしなのかって事」

「そいつがな、ここのホトケさんらの下部組織のチンピラが、そいつの娘をSNSか何かで騙しててめえんとこまで呼び出して、何人かで回しちまったらしい。結果それで娘は自殺して母親も首吊ったそうだ。元ダンナの修験者の方は、ずいぶん前に離縁してて、どこかの山に籠ってたらしいけどな」

 鮮血塗れの、床に描かれたチョークの跡をひとつひとつ確認しながら、ケイトは投げやりな口調で言った。

「そういう因果のやり取りがあるワケね。そりゃ従うな。志垣会でしたっけ?これはこいつら1人残らず殲滅される。変に関わればから、もう因果応報って事で、放って置いていいんじゃない?」

「事件になったら、警察が黙っているワケにはいかねえんだよ」

「その理由じゃ、『あの人』が承知するかしら?相手との『カルマ』が釣り合わない。は均等に遂行されるのよ?」

「勘弁してくれよ。ライフルの銃弾削り落とすような奴じゃ、部下が皆殺しになっちまう」

 ケイトは束の間視線をそらし、口元に人差し指を当てて呟いた。

「そうね。最終的には『あの人』が決める事だから。それも必然かも知れない」


 東京・台東区鶯谷。午後2時55分。

 明治通りを走り抜けた1台のパトカーが、寛永寺陸橋方面へと猛スピードで左折して行く。そのまま側道に入り、突き当たりのラブホテルの前に停車した。

「ホテル・ギャラクシィ」と看板の掲げられた入口では支配人と従業員らしき男達が慌てふためいた様子で待っている。

「……フリータイムでご利用されたお客様なんですが、さっき、部屋の中から凄まじい悲鳴が聞こえて……」

 支配人に案内されて警官達が辿り着いたのは五階奥に位置する、角部屋の508号室であった。現場らしいその部屋のドアは開けっ放しになっている。

「うっ……」

 部屋になだれ込んだ警官達は、ひと目でその異常を把握できた。

 小洒落たパステルピンクの壁紙で彩られた部屋。申し訳程度のテーブルとソファがしつらえてあり、面積の3分の2もありそうなクイーンサイズのベッド置かれている。そのベッドのシーツは大量の鮮血と千切れた肉片に塗れ、そこに男性のものらしい左手が、ころりと1本転がっているのである。

「窓から逃げたのか!」

 ラブホ特有の鎧戸を付けた窓が乱暴にぶち破られていて、そこから入り込む風で、レースのカーテンが揺れている。いまここで起きている惨状の事など気にも留めない、JR鶯谷駅の無機質な喧騒やアナウンスが、そこから聞こえて来た。

「ちょっと待て、ここ5階だぞ?」

 その事実を思い出して、2人の警官は顔を見合わせた。


 東京・西池袋。午後3時43分。

 格安で有名なイタリア料理の某ファミレスチェーンの一角で陽太が大盛りパスタを頬張っていると、正面の座席に腰を降ろす女性の姿が網膜に映った。

「ちょっと手間取って。遅れてごめんなさいね」

 ケイト・アンダーソンは、口元に微笑みを浮かべて会釈をした。

「何すか?仕事そんなに忙しいんすか?」

「そうね。何かこう、んー、時流っていうの?『5年間の安息の時は過ぎて、35年に渡る戦いの時が始まった』っていうか……」

「それって、東欧ヨーロッパの方の国の紛争の事すか?」

「ま、そんなとこ。ともかくご時世で、とにかく私達の繁忙期に入ったという感じでいてくれればいいから」

「いや、何が何だかよく分かんないですけど」

 陽太はすずーっと音をさせて、これ見よがしにパスタを啜った。

「あ、ケイトさん、これ平気っすか?」

「なに?ペペロンチーノ?」

「いやまあそれが、これから人と会うってのに、ニンニク効いたのを頼んじゃったから……」

「私もそれ好きだけど、何か?」

 何気に首から下げた十字架のアクセサリーを弄ってみるが、ケイトは気にする素振りも見せずに、皮製の大きなビジネスバッグを取り出した。

(美悠のアホタレ。吸血鬼なんているワケないじゃん)

 そんな陽太の胸の内も知らない様子で、ケイトはテーブルの上に雑多な品物アイテムを並べ始める。タブレット、よく分からない感じのチャージカード、スマホ、車のリモコンキーらしきものが3個。現金の入った封筒。そして変てこで薄っぺらな手作りのである。

「この間も急に仕事になって御免ね。でもあなたの事、社長も気に入って宜しく頼むって言ってたから。で、続ける気ある?この仕事は昼間呼び出しがある事はないけれど、基本的に24時間営業みたいなものだから、体力的に続かなかった人もいてね。この間のはある意味、いい感じの『実習』みたいな感じになったかなって」

「あのーケイトさん、この間のあれって……」

 金髪サングラスの麗人は、人差し指を唇に当てて、にっこり微笑んだ。

「それは聞かない。私達の仕事が何なのかは詮索しない。給与の中身にはそれを含まれているという事を承知しておいて。これはあなたを守るためなの」

「はあ」

「あなたのお仕事は基本的に社長を現場までお連れする運転手とその社用車の管理。たまに調査業務を頼む事もあるかも知れない。ただし、社長は夜しか出掛けないし、呼び出しもいつあるかは基本的に分からないから不定期業務。先日みたいに急な場合もあったりする。だからその見返りとして高給を保証してるってワケ。これ、渡しておくから」

 そう言ってケイトは卓上の品々を指した。

「スマホはこっちで業務用のを用意したから。あと、このチャージカードには常に50万円入金してある。当座の費用として持っていて。電子決済が出来ない場合に備えて現金も20万。とりあえずのお仕事は、あなたの自宅周辺で、先に預けてあるベントレークラスが停められる『地下駐車場』を二、三件探して、そこを契約して貰う事。今回みたいに直帰のケースもあるから。次回からは運転業務以外の仕事の指示は、このタブレットにデーターを送信する形になる。Does it make sense?」

「はあ。この汚い御守は何ですか?」

「文字通りの厄除けよ。いまここで財布の中にしまって。無くさないでね」

 言われるままに陽太は財布を取り出すと、その薄い紙札の御守を財布の隙間に滑り込ませた。

「社用車は先日のベントレーの他に、品川と杉並にそれぞれベンツとハンヴィーがあるから、それらのメンテナンス代行をお願いしたいの。データーはタブレットに入力してある。そこに車両の状態チェック、ガソリン満タンの日時や実施日入力してデーター送信してくれればOK。出動時にバッテリー上がりとか、現場で故障とか、どの車両も整備中とかなんかはもっての他だから宜しくね。費用はいくら掛かっても構わないから。ただ、勿論整備とかは業者任せでいいけど、ワックス掛けとか簡単なメンテは自分でやって、請求額をボッケに入れて、タブレットに入力してくれればそれでも構わない。私も『あの人』もそれくらい心得てるから」

「はあ、あのう、質問いいスか?」

「どうぞ」

「それって、何か人雇わなくても、ケイトさんだけでやれそうじゃないですか?何でバイトが必要なんです?」

「私、運転は出来るけど免許は取れないのよ」

「え、国籍か何かの問題ですか?」

「ほら、車止められた時とかにを確かめられちゃうでしょ。あれが困るの。あとね、橘さんに言わせると、目立ち過ぎるんですって」

 (おいおい、顔を見られると困るとか、指名手配とかされてんのかよ?やっぱマジやばいのこの人達?そもそも橘って誰?)

 慌てた陽太は背筋を正してケイトを見据えた。

「あの、これだけは確かめておきたいんですけど、この仕事って、いわゆる『ヤバい仕事』じゃないスよね?詐欺とか強盗とかの実行犯みたいな……」

 ケイトは腕を組むと、少し間を置いて慎重な口調でこう答えた。

「そうね。少なくとも『警察に逮捕されるような仕事』じゃないのは確か」

「そうなんですね?間違いないんですね?」

「犯罪の片棒を担がせる様な真似でないのも確か」

 はあ、と大きな溜息をついて、陽太は急にヘラヘラと笑い出した。

「いや済みません。話すなって言われていたのに、この間の赤羽の件、あんまり妙だったんで、つい彼女に話しちゃって……。そしたらアイツ、すんごい心配しちゃって、ボスやケイトさんがすげえ美形だからとか言ったら、吸血鬼なんじゃないかと抜かして、いや、笑っちゃいますよね!そんなんあるワケないじゃないスかねぇ!」

 一瞬の間を置いて、ケイトも口に手を当てて噴き出した。

 「……私が吸血鬼バンパイア?」

 サングラスの金髪美女は、右手を顔に添えて、くっ、くっと笑いを必死に堪えているようだ。それがまた、やけにそれが「人間らしい」所作に思えた。

「ごめんなさい。久しぶりに。ああおかしい。やっぱりきみ、何かいいな」

 目を点にしている陽太に向ってサングラス越しに笑顔を向けた金髪秘書は、やや感情の籠った声で問い掛けた。

「そう、隅野くん彼女さんいるのか。その子の事、好き?」

「そ、そりゃもう」

 彼女、という言葉を耳にした途端、それまで硬いイメージだったケイトの表情が僅かに緩んだ気がした。

「それなら大切にしてあげて。そこの電子マネー、2、3万ちょろまかしても構わないから、帰りに何か美味しいものとか買って行ってあげたら?」

「えっ、そんなのいいんですか?」

「大事な彼氏をこき使う事になるからっていう『あの人』からの気遣いだって伝えてくれればいいから。あと私達、少なくとも吸血鬼バンパイアじゃないわよ」

 その時、レストランの入口が開いて3人ほどの男性客が入って来た。

「いらっしゃいませー、お好きな席にどうぞー」

 店員から声が掛かると、男達は陽太達の席のはす向かいに陣取った。

 すると。

 ケイトの表情から「一抹の人間らしさ」が失せて、あの精密機械を思わす冷さが戻って来たのである。

「ごめんね。何か、きみに急な仕事が出来ちゃった。スマホとかタブレットとか、早くしまって」

「え?」

「そしたらその用件なんだけど、私が先に会計済ませてここを出るから、5分経ったらきみがここを出て、先の路地を右手に曲がって、一目散に西池袋公園の方に向かってくれる?で、その公園の真ん中あたりで池袋駅に全力疾走で向かって。それでおしまい。ボーナスとして、3分以内に駅に辿り着いたら、そのマネーカードから5万円、好きに使っていいから」

「はあ?なんすかそれ?」

「それじゃ、お会計済ましてくるから、宜しくね」

 そう言うと、ケイトは座席から立ち上がった。刹那、彼女のスーツの胸元がずれて、そこから黒い金属のようなものが覗いたが、二度見する間もなく彼女はセルフレジへと向かって行く。


「あの、ちょっといいですか?」

「なに?」

「ケイトさんって、ボスの事を、本当は『あの人』って呼ぶんですね」


 ケイトの冷徹な表情に、再び「ヒトの気配」が走るのを、陽太は見届けた。






【作者より】

 ここまでのお付き合いをありがとうございます。

 この「シャドウ」の初期設定を作ったのは、平成の初めであり、まだまだネットもスマホも無い時代。ひとつひとつの場所を描くにも、足を使って調べるのが普通のだった頃でした。

 せっかく舞台となっている東京に住んでいるのだからと、舞台となるシーンを選ぶ都度、その土地に足を運んだり、車を走らせて道路や街角、そこを行き交う人間の種類や表情などの空気感を掴んでから書き上げる手法を取っておりました。この時のやり方はその後、取材系怪談を書くようになった今でも、大いに役立っている様子です。

 また、人物らの使用する小道具なども入手できる範囲のものは手に取って、構え・重さ・様々な角度からの見え方の表現などを研究していたのも、今ではよい思い出です。ただ、この物語をリニューアルしようと考えた時、羯磨の使用しているルガーP08(エアガン)を再度入手しようと思いましたら、当時の3倍~5倍の値段に跳ね上がってまして「ひ~、手離すんじゃなかった!」と大後悔。人間、短気は損気というのは間違いじゃないと思っています。


 それでは引き続き、宜しくお願い申し上げます。



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