第6話(2)
「……来ない。もうとっくに集合時間過ぎてるのに」
開園五分前という集合時間から十分後。
四ノ宮の姿はなく、こよりと美嶋は動物園の入場口前で待っていた。
「何かあったのかしら?」
「こよりがさっき送ったメッセージは?返信あった?」
「まったく。既読にすらならないわ。何かあったのかしら?」
美嶋はムスッとしながら、足先で小刻みに地面を叩きつけてイラつきを露わにし始める。
四ノ宮の連絡先は彼女のスマホのSNSしか知らない。
けれど、SNSの反応はなし。
こうなってしまうと四ノ宮の現状を探ろうにも、それを知る手段が今の二人には一つもなかった。
「……まさか、まだ寝てるとかないよね?」
「四ノ宮さんのことをまだ知らないから分からないけれど、それはあり得るかもしれないわ」
こよりの脳裏に布団を蹴っ飛ばしながら、ベッドの上でスヤスヤと眠る四ノ宮の姿が思い浮かんだ。
「早くこよりと動物園デートしたいのに。いつまで待ってればいいのさ!」
「まあ、落ち着いて」
美嶋は一つ溜息を吐くと、こよりを抱きしめていた腕の力をキュッと強くする。
「もうあいつのことは忘れて、普通に二人で動物園デートしよう?」
「そんなこと言わずに、もうちょっとだけ待ってみましょうよ」
「ええ……」
突然、こよりのスマホから通知音が鳴る。
通知は四ノ宮からメッセージが届いたという旨でだった。
「あ、四ノ宮さんから連絡来たわ。えっと……『今着いた』?」
「一さ~ん!美嶋さ~ん!」
駅からこよりたちの方へと玉のような汗を浮かべながら駆け寄って来る四ノ宮の姿があった。
猫のキャラクターがプリントされたTシャツと短パンと身軽な格好で、肩にはウェストバック、首にはデジタルカメラをぶら下げている。
四ノ宮はぜえぜえと肩で息をしており、こよりたちのもとに到着すると、すぐさま膝に手をついて呼吸を整える。
「四ノ宮さん、おはよう」
「遅いよ!何でこんなに遅れたの?」
「二人とも……お、おはようさん……!えへへ……寝坊してもうた!起きたらもう集合時間二十分前やったわ!」
四ノ宮の言葉を聞くと、美嶋は「やっぱり!」と声を上げた。
「それならそうと連絡してくれればよかったのに」
「え?したで?」
「ええ?今さっきの「今着いた」以外、連絡は来てないわよ」
「んなばかな……」
四ノ宮は慌ててスマホを確認する。
そして、「あっ」と声を上げると愛想笑いをしてこよりたちに視線を向ける。
「やってもうた。間違えてお母さんに送っとったわ」
「あらら」
「ほんまにかんにんな。あとで何かおごるから許してくれへん?」
「私はいいけれど、優は……」
美嶋の顔はさっき以上にご機嫌斜めだった。
「えっと、美嶋さん?」
「……ダッズ。ハーゲンダッズ。僕とこよりの分」
ハーゲンダッズとは、ダッズの愛称で知られ、コンビニなどで買うことができるちょっとお高めのアイスクリームである。
つまり、美嶋は今回の失敗はアイスクリームで手打ちにしようと言っているのだ。
「買います!痛い出費やけど、喜んで買わせてもらいます!」
四ノ宮は食い気味にハーゲンダッズ購入を約束して、美嶋の機嫌を直した。
*
「確認だけど、今日は私たちが普通にデートを楽しめばいいのよね?」
園内に入場した三人は今日の撮影の確認。
四ノ宮はカメラを手にして、首を縦に振る。
「そうやで。一さんと美嶋さんは撮影とか考えず普通に動物園を楽しんでくれたらええ。うちは二人に付いて行って、ビビーン来た瞬間にそれを撮影するって感じ。名付けて、『TVでよくある密着取材みたいに熱々カップルに密着して撮影しよう作戦』や!」
四ノ宮はカメラ片手にこよりたちに親指を立てた拳を突き出す。
こよりは四ノ宮のテンションについていけず、あはは……と愛想笑い。
「そういうわけやから、あとは二人に任せるで!好きなだけイチャイチャしてええで」
(そう言われても、クラスメイトの前で優といちゃつく姿を見られると考えると、なんだか恥ずかしく……)
「よし。こより、行こう!」
「え!?優……!?」
余程動物園を回りたくて仕方がなかったのか、四ノ宮から合図が出た瞬間、美嶋はこよりの手を引いて走り出す。
彼女の横顔はまるで子供のようにキラキラしている。
「もう、優ったら」
こよりにはその美嶋の表情が愛おしく思え、自然と笑みがこぼれてカメラの存在も気にならなくなっていった。
*
こよりと美嶋は撮影のことを忘れて動物園を堪能していた。
ゾウにサイ、キリン、ライオン……と順調に園内の動物たちを見て回る。
「四ノ宮さん、調子はどう?満足できる写真は撮れたかしら?」
「ん~。ええ写真もあるんやけど、ビビーン来るもんだったかと言われると……」
四ノ宮は眉間にしわを作りながらカメラに収められた写真とにらめっこをしている。
「もっとこう、爆発的なもんが足り取らんというか……やっぱりエロさか……?」
「四ノ宮さん、ちゃんとテーマに合ったものを撮ってちょうだい」
「わ、分かっとるって。さあ、次行こか!」
こよりと美嶋は四ノ宮の言う通りに歩き始める。
すると、美嶋はこよりにこそっと耳打ちする。
「今日上手くいかなかったら、また変な要求されたりとかないよね?」
「……どうかしら」
こよりの脳裏にハンバーガーショップで美嶋に泣きついていた四ノ宮の姿が過った。
何も成果が得られなかった結果、また四ノ宮に泣きつかれるのではないかという予感が頭の片隅でポンッと湧いて出た。
「僕たちも頑張った方がいいのかな?」
「頑張ると言っても私、写真の知識はまったくないわよ。具体的にどう頑張るかなんて分からないわ」
「僕も分かんないけど、あいつの撮影が上手くいかなかったら……」
こよりと美嶋はチラリと四ノ宮を見やる。
四ノ宮は「どうしたの?」というように首をかしげる。
彼女はあまり焦っているようにも見えなかった。
「どうしよう。不安になって来たよ」
「何かあれば向こうから言ってくるでしょう。とりあえずは全力でこのデートを楽しみましょう」
「う、うん……」
美嶋はまだすべて納得できていなさそうに頷いた。
*
その後、こよりたちはコアラの展示場を訪れた。
屋内展示場の薄暗い通路を進むと、ガラス張りの壁の向こうに、丸太の足場で優雅な時間を過ごすコアラたちの姿が見えてくる。
「赤ちゃんだ……」
ぼそっと呟いたのはこよりだった。
視線の先には親の背中にしがみつく幼いコアラの姿があった。
抱き心地が良さそうなふわふわな毛とクリックリのつぶらな瞳、ぬいぐるみのように小さな身体はこよりのハートを鷲掴みしにした。
ここに来るまで沢山の動物を見てきたが、こよりがここまで心を奪われるのは初めてだった。
「か、可愛い……すっごく可愛いわ!可愛さの塊だわ!」
こよりは思わずガラスの壁に顔を押し付ける勢いで、食い入るように子コアラを観察する。
年甲斐もなく、「可愛い、可愛い」と何度もつぶやいて、はしゃいでいた。
「え?わわっ……!?」
すると突然、誰かが後ろから抱き着いてきた。
美嶋だった。
「優!?どうしたの?」
美嶋の顔を見やると、何かを訴えかけるような視線を告られていることに気付くこより。
「もしかして、嫉妬?」
「……」
美嶋は返事の代わりにこよりを抱きしめる腕に力を込めた。
(優ったら、相手は動物なのに……もう……)
こよりの胸はキュンキュン締め付けられる。
子コアラにときめいた心は一瞬で美嶋に奪われる。
(見た目はカッコいいのに、実は子供みたいに純粋で、甘えん坊で。でも、時々ビックリするくらいカッコよくなる)
「……ごめん。僕、カッコ悪いよね?重いよね?」
「その重さも私は好きよ」
こよりは美嶋の髪を優しく撫でる。
互いの視線を重ねると、まるでこよりと美嶋の心が繋がったかのような気持ちになった。
こよりは「キスする流れだ」と悟った。
予感の通り、美嶋の顔がゆっくりと近付いてくる。
こよりは美嶋の唇をそっと受け止めた。
控えめではあったが、舌を絡めもした。
キスの気持ち良さより、愛されているという実感と安心感が勝った。
周りが薄暗いからか、周囲の人々の意識がコアラに向いているからか、まるで二人だけの空間にいるかのような感覚に襲われる。
「ママ、お姉ちゃんたちキスしてる!」
けれど、実際はそんなに甘くなかった。
近くにいた子供が母親の服を引っ張りながら、こよりたちを指さす。
二人だけの甘い世界は一瞬で砕け散った。
現実に引き戻されたこよりと美嶋は途端に恥ずかしくなる。
「い、行こう。こより」
「ええ……」
こよりと美嶋はコアラのことをすっかり忘れて、顔を真っ赤にしながら、展示場から逃げ出した。
「……来た。来た、来た!ビビーンと来る一枚が来たでぇ!」
一方、四ノ宮はデジタルカメラの液晶を見つめ、頬が赤くなるほど興奮しながら、笑顔を浮かべていた。
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