第5話(4)
週明け、こよりはいつもよりも少し早く駅へと向かった。
通勤・通学時間にはまだ早いため、人の姿はまだ数える程度しかいない。
「あ、こより!」
こよりが改札口の前に来ると、改札口の方からこよりを呼ぶ声が聞こえた。
美嶋だった。
改札口の向こうでピョンピョンと飛び跳ねながら、こよりに向かって手を振っている。
こよりは恥ずかしそうに小さく手を振り返し、改札口を横切る。
「ちょっと、はしゃぎ過ぎよ。目立ってるじゃない」
「えへへ。こよりに会えたのが嬉しくてさ」
美嶋は子供のような無邪気な笑みを作ってみせた。
こよりの心臓がドキンと跳ねる。
こよりは「もう……」と言葉を漏らしながら、視線を逸らす。
「こよりは今日も可愛いね」
「だから、そう言うことを人前で――」
「いいじゃん。こよりは僕の恋人なんだからさ」
美嶋はこよりの背中に腕を回すと、そのまま自分の方へと抱き寄せる。
こよりも流れのまま美嶋に体重を預けてしまう。
「ねえ、こより。キスしてもいい?」
「……はい!?」
「ダメ?」
美嶋は相変わらずおねだり上手だった。
こよりは苦心の表情で考えこむものの、最後には溜息をつくと「一回だけよ」と忠告をし、美嶋に唇を突き出した。
「ありがとう」
美嶋の張りのある唇がこよりの唇にそっと触れる。
その瞬間、こよりは身体が弾けてしまいそうな程の幸福感に満たされる。
「好きだよ。こより」
「……私も好きよ」
「こよりに好きって言われるとゾクゾクする。だから、もう一回キスしても――」
「調子に乗らない。さあ、行くわよ」
こよりは美嶋の腕の中から逃れ、一人ホームへと歩き出す。
美嶋は慌てた様子でこよりを追ってくると、こよりの指の間に自分の指を滑り込ませた。
「これくらいは良いでしょ?」
答えなんか聞く気はないといったように、美嶋はこよりの手を握ってくる。
「……もう。あなたって人は」
こよりは文句を言いながらも美嶋の手を握り返す。
こよりはなんだかんだ言っても美嶋との時間に幸福を感じていた。
一条麗華であった時は教師と生徒の関係が邪魔をして、外で恋人らしいことは何一つすることができなかった。
(苦しい……)
けれど、今のこよりにはこの幸福だけではなかった。
それはまるで薔薇のよう。
情熱的な真紅の花弁に心が満たされる一方、心に巻き付いた茨がじわりじわりと罪悪感という苦痛を与えていた。
(耐えないと。隠し通さないと。愛し通さないと。せめて、優だけでも幸せにしてあげないと……)
*
恋人となったこよりと美嶋だが、二人の学校生活はガラリというほど変わることはなかった。
憧れの人のような教師になりたいという美嶋の夢とそこに向けられる熱意は変わらず、勉強に打ち込んでいる。
こよりも美嶋の手助けを欠かさなかった。
「……終わった!中学生の範囲終わったよ!」
授業後、いつも通り二人しかいない教室に美嶋の歓喜の声が響く。
美嶋は達成感に満ちた表情を浮かべて、今まで必死に取り組んできた参考書を天に掲げた。
「やったわね。おめでとう」
「全部先生とこよりが教えてくれたおかげだよ。僕一人だったら、一年で終わらなかったよ」
「そんなことないわ。優が頑張り続けた結果よ」
「えへへ。ありがとう」
こよりは頭を掻きながら、恥ずかしそうに笑みを作る。
そして、分厚い参考書をパラパラとめくり、何やら感慨深そうにしていた。
(もう一年か……)
二年のブランクで中学レベルの勉強内容もうろ覚えになってしまった美嶋が復習を開始したのは去年の五月始めのことだった。
(でも、あのまま
一条が亡くなったこの時点で全体の八割ほどは復習が済んでいた。
その後、美嶋は半年もの間一人で勉強を進めていた。
けれど、教えを乞う相手がおらず苦戦し、ほとんど進んでいなかった。
つまり、あの事件がなければ美嶋は二年生に進級できた可能は十分にあったということだ。
「こより……?どうして泣いてるの?」
ハッとしたこよりは慌てて目元を拭ってみる。
すると、美嶋の言う通り指には涙の跡が残っていた。
「本当。優が頑張ってきたことを知っているから、思わず涙が出ちゃったわ」
「こより……」
美嶋はこよりをギュッと抱きしめると、頭をこよりの首筋に擦り付けた。
「こより。僕、もっと頑張ってこよりに相応しい女の子になるから」
「何を言っているの?もう優は私にとって相応しい女の子よ?」
「……こより。まだ早いけど、今日はこれで終わっていい?」
「いいけれど、これからどうするの?」
そう問いかけると、美嶋はこよりの顔を正面から見つめる。
ギラギラと炎のように燃え上がる熱を抱いた瞳がこよりの顔を映している。
何を求められているのかはその視線だけで痛いほど分かった。
同時にこよりの身体にゾクゾクとした高揚感が湧き上がって来る。
「あんまり激しいと見つかっちゃうから、加減してね」
「……頑張るよ」
美嶋の顔が近付いてくる。
こよりはそっと目蓋を閉じて美嶋の唇を受け入れた。
美嶋はじれったいキスなんて好まない。
情熱的なキスはまるで抑えきれないほどの愛情の表れであるかのようだった。
ここが学校であることなんて数秒で忘れてしまいそうな快楽がこよりの頭いっぱいに広がる。
「こより、好きだよ。愛してる」
「私もよ」
愛を囁き合いながら、一方的に美嶋に貪りつくされるのがたまらなく気持ちいいと感じてしまう。
いつしか、こよりは上半身裸にされていた。
美嶋の膝の上に腰を下ろし、触れるだけで身体が跳ねるほど感度の高い胸の先端を一方は口の中で転がされ、もう一方は指先で弄くり回される。
こよりは唇を噛み締めながら声を抑えようとするものの、時折快感に抑えきれず甲高い喘ぎ声が教室中に響き渡った。
「っぐぅぅ、ああぁぁ……っ!」
そして、こよりは身体を大きくのけぞらせて果てた。
美嶋の支えがなければ、そのまま美嶋の膝の上から滑り落ちてしまうところだった。
美嶋は糸が切れた人形のようになってしまったこよりを優しく抱き寄せ、唇を耳元に持ってくる。
美嶋はこよりと変わらないくらい荒い呼吸をしていた。
「お疲れ様。すっごく可愛かったよ」
「もう満足かしら?」
「うん。もう最高、で……」
突然、美嶋の様子がおかしくなった。
「優……?」
余韻の残る重い身体を動かして美嶋を見やる。
美嶋は顔を真っ青にして、教室の入り口の方を見つめていた。
こよりは「何だろう」と疑問を浮かべながら美嶋が見ていた方を見やると、その表情をすぐに理解し、そして言葉を失った。
教室の入り口の扉。
少しだけ隙間が空いたその扉の向こうから顔を覗かせる人影があったのだ。
その人物は二人がよく知っている人物だった。
「ええっと。部活でここ通りかかったら、声が聞こえてもうて……」
彼女は申し訳なさそうにしながら、教室へと入ってきた。
スラッとした華奢な体型にツインテール、クリッとした真ん丸で大きな瞳の可愛らしい童顔と関西弁が印象的な少女。
こよりたちのクラスメイト、四ノ宮るか(しのみや るか)だった。
(……見られてしまった)
こよりは喘ぎ声を教室中に響かせながら快楽に耽っていた姿を第三者に見られたと思うと、恥ずかしさで気を失いそうになる。
すると、美嶋はこよりを抱きしめる腕に力を込めた。
こよりには美嶋が安心しろと言っているかのように思えた。
「四ノ宮さん、いつから僕たちのことを見てたのかな?」
美嶋は四ノ宮を刺し殺してしまいそうな鋭い視線を飛ばす。
「そんな睨みつけんといてな。五分くらい前からや。コンテストに出すモチーフ探しとったら、たまたま二人を見つけたんや」
四ノ宮は首からデジタルカメラをぶら下げていた。
「……ないと思うけどさ、写真撮ったりしてないよね?」
「トルワケナイヤン」
るいは分かりやすいくらい片言だった。
「嘘つくってことは、その高そうなカメラを粉々にされる覚悟はあるってことでいいんだよね?」
「ちょい待ち!うちが悪かったわ。撮った写真も見せるし、何で撮ったかの説明もする。せやから、一旦落ち着こか!」
四ノ宮は顔を真っ青にしながら、大事そうにカメラを腕の中へと隠した。
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