第3話(3)
そんな中、こよりから提案された「そういう関係」という言葉に美嶋はひどく困惑していた。
「そういう関係って何……?意味が分かんないよ」
美嶋は恐る恐る問いかけた。
「そうね。ちょっと曖昧だったわね。えっと、分かりやすく言うのであれば……親友かしら?」
「親友……?」
「美嶋さんは私のことを他の人と同じようには見ることができない。でも、あなたには好きな人がいて、私と恋人になることはできない。つまり、美嶋さんが求めている関係は、『友だち以上、恋人未満の関係』。その関係って、親友ということになると思わない?」
「お前はそれでいいの?」
美嶋の言葉に、こよりの唇がピクリと震える。
しかし、次の瞬間にはこよりは包み込むような柔らかい笑みを作っていた。
「……ええ。もちろん」
こよりがそう答えると、タイミングよく授業の開始を知らせる本鈴の放送が校内に流れ始める。
「授業が始まってしまったわね。すぐ教室に戻らないと」
「ごめん。僕のせいで。怒られるよね?」
「大丈夫よ。何だったら、このまま授業をサボったっていいわよ。だって、大切な親友がこんなにも弱っているんだもの。親友として一緒にいてあげないと」
美嶋は目を細め、じーっとこよりを見やる。
「……お前、僕のことを子供か何かと勘違いしているだろう」
「そんなわけないじゃない」
「じゃあ、僕の頭を撫でるな!」
美嶋は顔全体を真っ赤にさせて、頭にのせられたこよりの手を振り払う。
「ええ、どうして?好きそうだからやってあげたのに、ふふふ」
「そ、そりゃあ確かに好きだけど……って、違う!ああもう!お前といると先生といるみたいで調子が狂う!」
「余程似てるのね、私とその先生って」
こよりはクスクスと笑う。
「~~っ!!は、早く教室に戻れ!」
「美嶋さんはもう大丈夫?ハグはしなくていいのかしら?」
「お前は一体僕をどうしたいのさ!」
恥ずかしさの限界を迎えた美嶋はこよりを無理やり保健室から追い出そうとし始める。
「さっさと教室に戻って、怒れて来い!」
「はいはい、分かったわよ。でも、一つだけ聞いていいかしら?」
こよりは美嶋と向かい合い、まっすぐ美嶋の目を見つめる。
「私たち、親友ってことでいいのよね?」
「……」
美嶋は顔を逸らす。
顔からにじみ出る表情には気恥ずかしさのようなものが混じっている。
「いいんじゃない?それで」
「照れてる。可愛い」
「う、うるさい!早く出ていけ!」
こよりは顔を赤らめる美嶋に投げ捨てられるように保健室から追い出される。
そして、美嶋はそのままこよりを閉め出そうとする。
「美嶋さん、また明日」
「はあ……また明日」
「明日は一緒に勉強もしましょう」
「……それは僕が頭悪いの知ってて、言ってるんだよね?」
「ええ。もちろ――って、痛い!?」
こよりは美嶋の頭の悪さを認めた途端、美嶋はこよりに軽い蹴りをかました。
「と、とにかく、明日は一緒に勉強しましょう。分からないところがあったら、できる限りで私が教えるわ」
「……適当な教え方をしたら、すぐに追い出すから」
「任せて。私、教えるはすごく得意なの」
(なんたって、こっちは元教師よ)
こよりは腰に手を当てながら胸を張り、自信満々の表情を露わにする。
しかし、相手よりも小さく、平坦な胸をいくら張ってもそれらしい頼もしさは出ていないようであった。
「……分かったから、早く行きなよ」
「ええ。もう行くわ。じゃあね、美嶋さん」
こよりはニコリと笑いかけながら手を振ってみせた。
すると、美嶋は恥ずかしそうに頬を赤らめ、視線を逸らしながら手を振る。
「また明日」
そして、そう小さく呟いたのだった。
*
保健室から立ち去ったこよりは自分の教室に戻る最中、トイレに立ち寄った。
授業中のため、トイレに生徒の姿はない。
それは今のこよりにとってとても都合が良かった。
こよりは個室に駆け込むと、勢いよく扉を閉め、そのままも倒れ込むように扉へたれかかる。
「うっ、うう……」
個室トイレの薄暗がりに包まれ、こよりはずっと堪えていたものを溢れさせる。
(ごめんなさい、優。やっぱり私は一条麗華には戻れないの……だって、
一こよりとして美嶋と親友という関係を結ぶことに、こよりは後悔などしていなかった。
けれど、本心は正体を明かしたくて仕方がなかった。
一条麗華にとって都合のいい部分だけを切り取って、美嶋と新しい恋路を歩みたくて仕方がなかったのだ。
(だから、
「うう、あぁぁ……」
(例えそれがどんなに苦しいことであったとしても、私は貫かなくてはいけない……一こよりとして生きると決めたから……)
こよりは絞り出すように声を漏らし、涙が枯れるまで泣き続けた。
*
翌日、こよりはいつものようにまだまったく学生が登校していない早朝に教室へと訪れた。
教室にはやはりいつものように美嶋の姿だけがある。
「美嶋さん、おはよう」
「……おはよう」
ニコリと笑みを浮かべるこよりと違って、美嶋は恥ずかしそうに挨拶の言葉を口にする。
「今日も朝から勉強しているのね」
「悪い?」
「ううん。偉い。私も一緒に勉強していい?」
「……邪魔しないなら」
「もちろん」
こよりは自分の席に鞄を置くと、そのまま自分の席を移動させて美嶋の席にくっつける。
すると、美嶋は「え!?」と声を漏らしながら、頬を赤くさせた。
「お、おい!?何で机をくっつけるんだ?」
「ダメかしら?これなら、分からないところがあればすぐに聞けるでしょう?」
「隣の席なんだから、近づけなくてもいいだろう!」
「一緒に勉強というと席をくっつけてやるイメージだったのだけど……美嶋さんが嫌だと言うなら、止めるわ」
そう言って、こよりは再び席を移動させようと机に手をかけた。
すると、美嶋はこよりの制服を掴む。
「嫌なんて言ってない」
「嫌そうにしてなかった?」
「してない!いきなりだったからびっくりしただけ。だから、その……」
美嶋の口調から段々と刺々しさが失われていく。
口はパクパクと開いたりと閉じたりを繰り返し始め、やがて上目遣いでこよりを見つめるようになる。
「僕の隣で勉強して。あと、分かんないところあるから教えて」
(本当にこの子は……どうしてこんなにも可愛いのかしら?)
こよりはニヤついてしまいそうになるのを必死でこらえていた。
ここで我慢できないと、美嶋は機嫌を損ねてしばらく口をきいてくれなくなる。
「それならこのままね。それで、分からないところというのはどこ?」
こよりは美嶋の机に広げられた参考書を覗き込む。
すると、こよりの肩が美嶋の肩が触れ合った。
美嶋は「あっ」と声を漏らし、素早く上半身を仰け反らせる。
「え?ああ、ごめんなさい!またびっくりさせたかしら?」
「……僕とお前って親友だよね?それなのにお前さ。距離感近くない?」
「そうかしら?ただ肩が当たっただけじゃない」
こよりはドギマギする美嶋の姿を見て、笑みがこぼれる。
「意識し過ぎ。私と恋はしない。そうでしょう?」
「そうだけど、お前が――」
「ねえ、美嶋さん。さっきから私の言葉をお前って呼んでいるけれど、その方がおかしくないかしら?」
「え?」
「私たちは親友よ。もうちょっと親しい感じで呼び合いたいわ」
こよりの言葉に美嶋は溜め息をつく。
「……じゃあ、一さん」
「ええ……」
「何で!?お前だって、僕のことをさん付けで呼んでるじゃないか!」
「確かにそうだけど、親友に対してちょうどいい呼び方かというとそうではないと思うの。だから、今から呼び方を変えようと思うわ」
こよりは美嶋の耳元に顔を近づける。
「……優」
「――っ!?」
こよりが囁くと、美嶋は耳を押さえながら素早く顔を遠ざける。
美嶋の顔は熟れたリンゴのように真っ赤にし、口は半開きにした状態、目はゴマ粒のように丸くしていた。
「お前、本当に親友をやる気ある?」
「なら、今からでも付き合う?」
「……悪いけど、僕には先生がいるんだ」
「それでいいと思うわ。私たちはあくまでも親友。でも、親友だからこそ、友だちよりも身近な関係を築いていかないといけないと思うのよ」
こよりは身体をグッと前のめりにして、至近距離で美嶋の顔を見やる。
「だから、これから私はあなたのことを優って呼ぶわ。あなたも私のことをこよりって呼んで?」
「……分かったよ。名前で呼べばいいんでしょ。呼べば」
「なら、早速呼んで?」
「ええ!?えっと……こ、こより?」
「ぎこちないからもう一回」
「ええ!?」
美嶋は視線を左右に行ったり来たりさせながら、何かと葛藤するような仕草を見せる。
そして、しばらくするとフーッと息を吐くと真剣な表情を浮かべてこよりを見つめた。
「こより」
「ふふっ。合格」
こよりが笑いかけると、美嶋はホッと胸を撫でおろした。
(……ちゃんと線引きできてるわね。うん。それでいい。友だち以上恋人未満の関係。それが
こよりの胸の奥でチクリと刺すような痛みが走る。
まるで一寸法師を飲み込んだ鬼になったかのような気分だった。
(
美嶋に笑顔を振りまく裏で、こよりは何度も自分にそう言い聞かせるのだった。
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