第2話(1)

 約五ヶ月ぶりに再会した美嶋はまるで別人になってしまったかのように印象がガラリと変わっていた。

 腰あたりまで伸びていた髪は肩ほどまでバッサリと切り、前髪に隠れて見えなかった均整の取れた中性的な顔も今はハッキリと見える。

 彼女は人並み以上に恵まれた胸の豊かさと身長を持つモデル体型だが、その中性的な顔のお陰か男役の演劇女優のような格好良さがにじみ出ていた。


「何考えてるんだ!?死にたいのか!?」


 赤信号の交差点に飛び出したこよりを助けた美嶋はそう怒鳴りつけた。


「……」


 美嶋と再会した衝撃で言葉を失い、口をポカンと開いたまま動けずにいた。

 そんなこよりを見て、美嶋は溜め息をつく。


「痛いところとかない?」

「……あ、ないです」

「そう。よかった」


 そう言うと、突然美嶋はこよりの身体をギュッと抱きしめる。

 周囲から黄色い声援が響き渡った。


「え?ええ!?」


 心臓がドクンと跳ねる。

 恥ずかしさと嬉しさで身体がカーッと熱くなっていく。


「……ごめん。思わず」

「いえ、お気にならず」


 美嶋がこよりから離れていってしまうことに胸の奥がキュッと苦しくなった。


「立てる?不安なら一緒に行こうか?」


 美嶋はそう言ってこよりに向かって手を差し出す。

 またしても黄色い声援が上がった。

 そして、こよりの心臓も大きく跳ねた。


(優ってこんな王子様みたいな子だっけ?もっと他人には興味がない素っ気ない子だったような……)


 こよりは同世代に接する美嶋の姿を知らない。

 かつて、一条麗華が教師として学校に来た時にはもう美嶋は他生徒とは関係を完全に断ち切っていた。


(とりあえず、どう答えるかだけど……)


 こよりは両手で頬を叩き、気持ちを切り替える。

 そして、美嶋ににこやかな笑みを浮かべてみせた。


「……大丈夫よ。助けてくれてありがとう。緊張していて周りが見えていなかったみたい」

「入学式で緊張って。真面目なんだね」


 美嶋が差し出した手を引っ込める。


 (あ……)


 こよりは喉の奥から声が出そうになるが必死でこらえた。

 周囲から「もったいない」という声も聞こえた。


「どうかした?」

「いえ、何も」

「そう。それじゃあ、周りには気を付けて」


 そう言うと、美嶋は学校へと向かっていった。


(……これで良かったのよ。今の私はもう一条麗華ではないのだから。でも、どうして優がこの学校に?)


 真っ先に思い浮かんだのは「自分のせい」という憶測だった。


(私があんなことをしたから、あの学校にいられなくなった?だとすれば、私は一体何のために……)


 心臓を鷲掴みにされたかのような息苦しさに苛まれる。

 しかし、それでもこよりは引き返すことなく一歩を踏み出すしかなかった。


 *


「それでは、入学式を始めます」


 新入生全員が体育館に集まり、入学式が始まる。

 休学をしていたこよりは新入生ではないが、同学年の新入生たちと少しでも打ち解けられるようにという学校側の提案で入学式に参加することとなった。


 生徒たちは割り振られたクラスごとで二列に並んでいる。

 当然、こよりも本来なら下級生の新入生たちと共に並んでおり、その隣にはこれから一年を過ごすクラスメイトの姿がある。


(一体どうして……どうしてこうなったのよ!?)


 こよりは心の中でそう呟きながら隣のクラスメイトの姿を見やる。

 何の因果か、そこにいたのは美嶋だった。


「……?」


 美嶋がこよりの視線に気付き、「どうしたの?」と言わんばかりに眉を顰める。

 こよりは反射的に視線を逸らす。


(いけない。私ったら……)


 こよりは軽く頬を叩いて式に集中しようとするが、気付けば美嶋に視線を送っていた。

 そして、再び視線が交差すると、美嶋はこよりを見てふうっと小さく息をつく。


「……僕じゃなくて、前を見ないと」


 美嶋はこよりの方に身体を少しだけ傾けると、こよりにしか聞こえない小さな声でそう言った。


(この子……本当に私の知ってる優!?)


 まるで自分よりも年上と接しているかのような、余裕に満ちた大人の雰囲気を漂わせる美嶋を前に、こよりの心臓はドクンドクン……と激しい運動をしたかのように暴れた。


「……もしかしてだけどさ、僕に惚れちゃったりとかしてる?」

「――!?」


 こよりは体育館中に響くような声を出しそうになるのをあと一歩のところで押しとどめた。

 しかし、そんなこよりの様子から美嶋は何かを察したのだろう。

 一呼吸置くと、優しい声色でこう言った。


「ごめん。僕、好きな人がいるんだ」


 こよりは告白もしていないのにフラれてしまった。

 それも元彼女に。


 しかし、こよりにとってそこはどうでもよかった。

 こよりの意識が向かう先は美嶋が口にした「好きな人」についてだった。


「誰?好きな人って」

「……秘密」


 美嶋は人差し指を唇に添えると、妖艶な笑みを浮かべながらそう答えたのだった。


 *


 入学式が終わった直後、こよりは職員室に呼び出された。


「失礼します。担任の――」

「お、一!待ってたぞ、こっちこっち!」


 こよりが職員室に入った途端、職員室中に女性の大きな声が響き渡る。

 声がした方を見やると机の影から女教師がちょこんと顔を出して手を振っていた。


「鹿路(ろくろ)先生、生徒を呼ぶのいいですが音量を考えてください。あと、椅子の上に立つのは止めてくださいと何度も言っていますよね?」

「あはっ、すみません」


 女教師は笑みを浮かべながら、注意した教師に向かって軽く頭を下げる。

 彼女のその様子に、周囲の教師とこよりは小さく溜息をついた。


(先輩ったら、本当に相変わらずね……)


「一。何やってるんだ?そんなところに突っ立ってないで。ほら、こっちこっち」


 こよりは手招きをする彼女のもとへと向かう。

 きれいに並べられた教師陣の机を縫うように進んでいくと、周りの教師たちよりも一回りくらい小柄な彼女の姿がこよりの目に飛び込んできた。

 まるで子供のような顔立ちに丸みを帯びた幼さが残る体系。

 それにも関わらず、他の女教師とは比較にならないほど豊満な胸を持っているという初対面では子供なのか大人なのか判別できない容姿を持つ女性。

 彼女の名は鹿路かな。

 こよりのクラスの担任だ。

 また、同時に一条麗華の大学時代の先輩でもある。


(優のことと言い、先輩のことと言い。どうしてこんな偶然が重なるのかしら?)


「さっきの入学式ぶりだな。どうだ、一年ぶりの校舎を見て何か思い出したりしたか?元担任のアタシのこととかさ?」


 鹿路は両手で自分のことを指さし、こよりに向かってニッと笑みを作る。


「……すみません」

「ま、そうだろうな。そんな簡単に思い出すんなら、きっともうとっくの昔に思い出してんだろうさ」


 鹿路はまったく気にしていないといった様子でポンとこよりの肩を叩く。


 (緩いところも大学時代からほとんど変わってないわ)


 変わらない鹿路の様子にこよりの口から自然と笑みがこぼれた。


「それで、話というのはどういう――」

「ん?先輩……?」

「……あっ!?」


 こよりは鹿路に言われてハッとする。

 鹿路の緩い雰囲気に流されて、無意識に大学時代の呼び方がそのまま出てしまった。


「あ、あの!これは――」

「一!お前、記憶が戻りかけてるんじゃないのか?」

「え?」


 生徒扱いされて流石に怒りだすかと思われた鹿路だが、意外にも彼女は目をキラキラと輝かせ始める。


「記憶が?どうして?」

「お前、今アタシのことを先輩って呼んだだろ?前にもあったんだよ。覚えてないか?」

「え?」


(こよりさん。あなたは自分の先生に向かってになんてことを……)


「ほら、お前が入院する前に受けた中間試験の時の話だよ。全科目二十点以下を叩きだして呼び出しを食らった時にアタシを先輩って言ったんだ」

「全科目二十点以下!?」


 こよりが思わず出した声は職員室の外まで聞こえるほどの大音量だった。


 *


(まさか、こよりさんがそんなに学力が低かったなんて……どうしよう、いきなり学力が上がったら怪しまれるかしら)


 鹿路とのカウンセリングじみた会話を終えたこよりは今後の身の振り方を考えながら自分の教室へと向かっていた。

 すでに下校時刻からある程度時間が経っているので生徒の姿はほとんどなかった。


「あ……」


 教室へと向かう途中、別校舎へと繋がる通路との交差点で美島と鉢合わせる。


「えっと、一さんだっけ?」

「私の名前覚えてくれたの?」

「『にのまえ』って名字が珍しかったしからね」

「ありがとう、覚えてくれて」

「……別にたまたま頭に残ってただけだよ。どうせ明日になれば忘れるから」

「え?忘れてしまうの?」


 こよりがそう問いかけると、美嶋ははぁーと重い溜息をついた。


「テストに出ない読み方なんて、覚える必要ある?」


 美嶋は苛ついているのか、言葉に棘があった。

 美嶋の瞳は刃物のよう冷たく、近付いただけで切りつけられてしまうかのような怖さがあった。


「ちょうど二人きりだから言っておくけどさ、僕は君のことなんて一ミリも興味ないし、馴れ合うつもりもないから」


 それはかつて校舎裏で一人蹲っていた時の美嶋によく似ていた。

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